渡辺恒雄の後継者、宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

【10/7】「学術会議」は平行線続く、与党内改革論以前からくすぶっていた 衆議院内閣委員会閉会中審査

2020年10月07日 13時23分33秒 | 第203回臨時国会(2020年10月下旬)菅首相初答弁
[写真]国会議事堂、4年前の2016年、宮崎信行撮影。

【衆議院内閣委員会閉会中審査 令和2年2020年10月7日(水)】

 一般質疑で、西村コロナ相のほか、各府省の新任副大臣が出席しました。きのうの記事に書いた、梶田・学術会議新会長は出席せず、事務局副事務局長が出席しました。

 日本学術会議について、与党は野党ヒアリングを研究しているようでした。当初は2020年の新会員名簿での6名漏れが初めてだと報じられましたが、2017年には定員を超える人数の名簿を出し、今回は定員通り。それ以前にも欠員不補充があった。2018年に政府が解釈変更がされたとされていました。が、きょう、内閣府の三ツ林副大臣と大塚官房長は「1983年の中曽根答弁から変わらない」との見解を国会初質問で答弁。押し通し、平行線が続きました。

 与党は、今回任命された人の中にも、平和安全法制に反対していた人がいるとしました。学者が87万人いて、学術会議連携委員が2000名、委員が210名いるとし、学術会議事務局は毎回9割が連携委員の経験者から選ばれているとしました。学術会議事務局は、内閣府副大臣のもとの勉強会で、平成27年2015年に「学術会議の今後の運営について」をとりまとめたと説明。政府・自民党内でかつてから学術会議をめぐる不満があったことが分かりました。

 GoToトラベルを活用した人の中で、新型コロナウイルス感染症で陽性になったのは、これまで22名になったことが、国交省の答弁で分かりました。薗浦健太郎さんへの答弁。

 第3次補正予算案について、西村担当相は「菅総理から、両立に向けた対策を時機をみながら臨機応変に対応するように」指示されているとしましたが、編成の時期については言及せず、早くても12月と思われます。薗浦さんへの答弁。

 予防接種法改正について、山本厚労副大臣は「ワクチン接種の在り方について、9月25日の専門分科会のとりまとめを受けて、制度論を検討している。予防接種法の臨時接種で、市町村を主体とし、国の指示でできるように、国が全額費用を負担するようにし、実費は徴収しないようにする。接種の努力義務規定について、副作用の情報量に応じて、一時的に外すこともある」としました。太田昌孝さんへの答弁。

 マスクをいつまでするかについて、尾身分科会座長(元自治医科大学教授)は、「神のみぞ知る」としました。大島敦さんへの答弁。

●あすの予定

 参議院内閣委員会での閉会中審査があるので、質問通告がされます。

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インターネット版官報

Ⓒ2020年、宮崎信行 Miyazaki Nobuyuki
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【訃報】【経済】さようなら稲葉清右衛門さん逝く、数値制御NC旋盤を世界に先駆け量産化、ファナック事実上創業者

2020年10月07日 03時41分35秒 | 経済
[写真]「ファナック」のブースで、おととし2018年11月、東京・江東の「ビッグサイト」の「JIMTOF日本工作機械見本市」で。

 「ノイマン型コンピューター」をとりつけ数値で制御して金属加工する「NC工作機械」を世界に先駆け量産するイノベーション(技術革新)をはたした「ファナック」の創業者、

 稲葉清右衛門さんが95歳で老衰で亡くなっていたことを、

 昨夜から、けさ(7日付)の日経新聞1面などが報じました。

 2020年10月2日(金)、95歳で老衰で亡くなったそうです。すでに近親者のみで通夜・告別式を済ませ、後日お別れの会を開く予定。報道では、喪主は不明。

 心から哀悼の意を表しますとともに、私からはご冥福をお祈りいたします。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/ibaraki/region/ibaraki-20201006213349
)。

 稲葉博士が何をされたかというと、IBMのフォン・ノイマン博士が開発したノイマン型コンピュータ。これはきょう2020年現在では単に「パソコン」と呼ばれている、あれです。これを旋盤にとりつければ同じ物を大量に均質に作り続けることができるーーこの発想は、米欧独日の多くのイノベーターは気づいていたはずです。稲葉さんは上司であった富士通常務から奨励され参加した「自動制御研究会」で、マサチューセッツ工科大学が1952年にこれに成功したことを、1956年になって、知ります。自身が1959年に世界で初めて成功しました。この初号機は「牧野フライス製作所」に納品されました。分社化した富士通ファナックの経営者となり、稲葉家がオーナーに。世界シェア断トツを61年間独走し続けた人生。以上。

 となりますが、傑物だけにもう一つ世界に抜きんでた発明をしました。こちらの方が現在ではNCをも凌駕しました。ロボット。ロボットがロボットを作る「FA」(ファクトリー・オートメーション)を経営者として採用するとともに、商品化しました。「ロボ・ドリル」なら金属板を固定したままで、左右から手が出てきてすごい勢いでスマホ本体の形に抜いていきます。

 私の父が1966年に後発として創業し、私が現在代表取締役をつとめる宮崎機械株式会社は同業者に先駆けて、ファナックの「販売店」ライセンスを獲得。「販売店」は「代理店」とは違い、債権回収リスクをすべて負う会社であり、小売価格と卸売価格の差額を儲けとして独占し、バブル期に同業者を圧倒する成功をおさめました。





 父は稲葉さんに会ったことがあります。販売店を集めた工場見学バスツアーの際、稲葉さんが最初と最後にあいさつをされたそうです。秘めた傑物のイメージとは違い、小柄な方で、とてもていねいにおじぎをしてくださったそうです。見学コースの最初は社員の方から「この工場はこの照明一つが付いていますが、これはみなさんが見学に来たからで、ふだんはこの照明も消えて、昼間なのに真っ暗で、ロボットが製品を作っているのです」とのサプライズがあったそうです。

 私にとっては2018年10月に享年84で亡くなった父の3回忌がおととい5日(月)でしたが、稲葉さんは先週金曜日2日に95歳で亡くなっていたことが、けさ分かりました。

 「プロジェクトX」などのテレビ番組にはまったく出演しなかった稲葉さんは、その商品と自社工場、社員寮などを黄色く染め上げることで有名でした。その理由は父と私は凡才なのでいまだに判然としません。

 以上です。
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