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宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。

【10/12】何もありませんでした。

2020年10月12日 19時56分39秒 | 2020年夏秋政局 菅自民 枝野立憲 新体制に
[写真]国会議事堂と外務省、ことし2020年8月、宮崎信行撮影。

【令和2年2020年10月12日(月)】

 見事なまでに何もありませんでした。ページビューがめちゃくちゃ増えているので、何か書きたいし、「法案シリーズ」では書いてないことが多くて、書けますが、とりあえずきょうは無し。永田町、霞が関とも今のうちに休みましょう。あすは、閣議、与党の雇用調整給付金継続などの部会や、野党の学術会議とGoTo持続化給付金のヒアリング、立憲民主党東日本大震災復興本部立ち上げなどがあります。

 きょうの首相動静。菅首相と、安藤裕康・国際交流基金前理事長が会ったようです。橋本龍太郎内閣の首相秘書官では、政務秘書官の江田憲司・立憲民主党副代表を除いて、事務の秘書官はこれで全員一線から退いたというところでしょうか。イタリア大使を経て、ずいぶん長い期間国際交流基金理事長をされていた安藤さん。高級官僚の人生は、60歳以降も元気かどうかでいろいろ変わる気もします。安藤さんには私怨も2ないし3つほどありますが、腹のうちにとどめます。

 先週ちょっと書きましたが、下宮崇・読売新聞記者が亡くなりました。50歳だと思います。私の早稲田大学政治経済学部政治学科のゼミの3級上です。奥様が朝起きたら亡くなっていたので回してください、とのラインが私にも流れてきました。私は1ないし2回しか会っておらず、弔問にはうかがいませんでした。しかし、その友人たちは、マスコミ各社で、みなさんがポータルサイトで署名の見覚えがあるような人なのに、誰もSNSに書きません。人が亡くなるのは年齢にかかわらず1度だけ。なぜ、天下の早稲田の政経を出て、有名メディアのいいところにいるのに、書かないのか。書いたら、会社を首になるの?重苦しい同調圧力社会です。

 父が亡くなってから、私の2代目人生は2年と1週間になりました。私の身長は162センチ、体重95キロ、年齢46歳ですが、私の父を知らないはずの年長者も頭を下げられるようになりました。私は地元で頭を下げる相手は、銀行と国税庁だけになりました、この2年間下げてないけど。私の隣でニコニコして突っ立っている筋骨隆々とした 年長のオジサンに、「なんだこの人、5時過ぎたから帰ればいいのに」と思いながら、そうか、私の近くにいると仕事がもらえそうな気がするのだな、と。経済的に大成功した亡き父と健在の母が高卒であることも、私が反知性主義者になった要因です。ポルポトではありませんから、必ずどこかで歯止めをかけますが、反知性主義というのは、激高したときに出やすかったです、我が人生。

 1年5カ月経っても湯船につかるたびに怒っています。



 統一地方選で初当選した友人の両親。日教組構成員だと知っているので、なるべく選挙事務所で話さないようにしていました。お礼を言いたかったのでしょう。いきなり届いたはがき。まず、当ニュースサイトは無償なのに、「お仕事」と誤った定義を決めつけている。さらに「信念の」としています。私はやりがいと生業は分けた方がいいという考え方。また、私が今しんでも、私名義の土地や定期預金の価値は全く変わりませんが、「健康に留意され」と使用者のようなことを言う。上から目線です。なぜ、お礼状で上から目線で相対評価されなければならないのか。なぜ40代半ばの社長の私がいまさら通知表を渡されなければならないのか、早稲田の政経卒だから通知表が好きだと思われたのか。さらに充実させろ、ということは今は充実していないのか。国会議事堂はずっとそこにあるのに、なぜさらに充実させないといけないのか。過去半世紀教え子にこういう手紙を書いて誰からも叱られなかったのでしょう。

 今回、私信の一部をさらしてしまい、今後このようなことはないと思いますが、日教組構成員からのまるっきり階級感のそぐわないお礼状ならぬ無礼状に、バイオリズムがくずされ、1年前の当ニュースサイト一時中断につながりました。いまだに晴れません。実父の三回忌直前に再びハガキを引っ張り出してきましたが、寝ぼけまなこで読むと、まあいいかな、という気もしますが。なぜ、人間である私が他者から評価されなければならないのか。そもそも娘の友人に対して、娘に断らずに手紙を出す父親って、私の生まれ育った環境には一人もいませんでした。これ見て、私の方を非常識だと思う方がどれだけいるのか、多少の興味はありますが、私はやはり、高卒の父の背中を追いかけていきたい。父から見て、その父、その曾祖父、その高祖父は村会議員以上でした。その背中に反発して上京して起業した父。父の背中を見る私は、ある一つだけの事情で衆議院議員総選挙立候補が現段階ではかないませんが、当面、永田町では一部の権力者だけに頭を下げながら、オールジャパンに目を光らせていきたい。同調圧力と反知性主義の2020年日本ですが、私はすこぶる意気軒昂です。

 それと、作曲家の筒美京平さんが亡くなっていたことが、きょう報じられました。日本最大、おそらくアジア最大のセールスをされた作曲家です。とくに1980年代の完成度が高い楽曲、生放送テレビにオーケストラが入り、すっとんきょうな声のアイドルが歌う時代が今は良い時代だったと懐かしく思い出す秋です。

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インターネット版官報

Ⓒ2020年、宮崎信行 Miyazaki Nobuyuki
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