【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

【訃報】現職の局長が死亡、菅原隆拓・防衛省人事教育局長、享年56、解釈改憲時に「事態対処課長」も

2020年11月21日 02時56分16秒 | 霞が関人事
[画像]亡くなった、菅原隆拓・防衛省人事教育局長、きょねん2019年12月5日の衆議院インターネット審議中継(安全保障委員会)からスクリーンショット。

 防衛省に6人いる本省内局の局長のうちの1人である、

 菅原隆拓・防衛省人事教育局長

 がきのう(2020年11月20日)亡くなった、と報じられました。享年56。亡くなった当日に報じた時事通信によると、先月から体調をくずして入院していた、としました。

 心から哀悼の意を表するとともに、私からはご冥福をお祈りいたします。

 1964年8月生まれで、宮城県出身で東北大学法学部卒ですので、かつての事務次官の一人と同じ出身になります。昭和63年防衛庁入庁。大臣(長官)秘書官や内閣審議官などを歴任。菅原さんが人事教育局で厚生課長をつとめていたころに、今の事務次官が省筆頭とされる、防衛政策局防衛政策課長だったようです。このほか、統合幕僚幹部の内局トップの総括官や、交流の深い省である経済産業省でも課長をつとめました。

 また、安倍政権下では、運用企画局で筆頭の、事態対処課長を長くつとめたようです。長い課長在任中には、2014年7月1日の閣議決定「国の存立を全うし切れ目のない安全保障のための解釈改憲」、2015年の平和安全法制成立がありました。これにより、自衛隊の「事態」が「周辺事態」から「地球の裏側を含む、存立危機事態」へと大きく定義が変わりました。現在、この課は廃止されています。

 さらに、地方支分部局では、8つある防衛局のうち、中国・四国防衛局長もしており、安倍首相の地元である山口県内の岩国基地へ、菅官房長官兼沖縄基地負担軽減担当大臣の肝いりの、沖縄から岩国への、KC130空中給油可能な輸送機の15機移転について、米軍との折衝の現場窓口の一人だったのかもしれません。

 菅原さんの件からやや離れますが、筆者・宮崎は首相番のときに2代お世話になった首席内閣参事官(内閣総務官)が厚生省から転出した環境庁の官房長から事務次官に持ち上がったとたんに病に倒れ、その後、与党議員らの応援で判断能力がないまま事務次官をつとめたものの、結局亡くなったのを目の当たりにしました。その方は、土日のみ1時間半かかる一戸建てに住んでおり、奥さんと話したこともあります。年次によって持ち上がっていくメリット・システムについて、私は賛成ですが、たまたま局長年次の年齢になったときに、災禍がくることもありますので、なかなか思うようにならない世界だと感じます。

 以上です。