時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ネールはいずこに

2007年11月03日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚

Georges de La Tour et les femmes par Claude Petry. Paris:Flammarion, 1997, pp.127. 

  40点余しか残っていないラ・トゥールの作品だが、見方を変えると意外なことも分かってくる。これまでの人生で、数としてはかなり多くの特別展なるものを見てきたが、その個人的印象では、展示される画家の作品によって観客の男女別分布も異なるように思われる。要するに男性と女性によってごひいきの画家が多少?異なるのではないか。

  このごろは特別展の観客動員数などは時々公表されるようになったが、さすがにその性別までは調査されていない(企画者側は調べているかもしれないが)。ということで、この感想は統計調査に基づいたものではなく、単に印象に過ぎない。観客の性別分布を決める要因は、考えてみるとかなり多くありそうで、展示される画家や作品ばかりでもないようだ。

  こういうわけで、はなはだ頼りない主観的感想にすぎないのだが、このブログで時々話題とする17世紀の画家について例を挙げると、フェルメール、シャンパーニュなどは女性ファンが多いような気がする。これに対して、カラヴァッジョ、レンブラントは男性の方が多いのでは。数年前、ロンドンでゲインズバラの特別展を見た時、週日であるにもかかわらず圧倒的に中高年男性の観客が多いので驚いたこともあった。偶然だったのかもしれないが、それぞれ大変熱心に観ていた。ちなみに、日本人らしき人はほとんど見あたらなかった。

  さて、ラ・トゥールはどうだろうかと思っていた時に、この一冊に出会った。ラ・トゥールが描いた作品に出てくる女性たちの美術史評論である。表題を見た時、少し意外な感じがした。しかし、改めて考えると、この画家が残したわずか40点ばかりの作品には、かなり多くの女性が描かれていることに気づく。それも、ひとりひとりが、かなり個性的、ユニークな容貌で描かれている。

  この書籍は美術関係出版で著名なフラマリオン社のシリーズの一冊である。すでにヴァトー、マネ、ブーシュ、クリムトなどが同じテーマで刊行されている。いずれも女性を美しく描いた画家である。その中でラ・トゥールは際だってユニークに思われる。40点余りにすぎない作品に描かれた女性の範囲が大変幅広いのだ。天使、聖女から農民、召使、修道女、娼婦、占い師、詐欺師など当時の社会のイメージを思い浮かべるに好個な素材になる。その中には画家が好んで描いたマドレーヌも含まれている。

  注目する点の中には、女占い師のような不思議な容貌をした女性も描かれていることだ。以前にも記したが、絵画史の上でも忘れがたい顔である。当時の人ならばきっとその生い立ち、背景などを知っている女性であるに違いない。残念なことに、ラ・トゥールが長らく忘れられていた画家であったこともあって、断片的な情報から推測するしかない。しかし、このミステリアスなところが好奇心、探求心をかきたてる源でもある。



  
    そして、もうひとつの関心。ラ・トゥールはどこかで配偶者であるディアーヌ・ル・ネール*をモデルにしているのではないかという推測である。貴族の娘と結婚したラ・トゥールだが、ネールは当然最も身近にいた女性であり、多くの画家がそうであったように、モデルとして描いた可能性はきわめて高い。

  ラ・トゥールは比較的若い頃に制作したと思われる「キリストとアルビの使徒」シリーズ以外には、レンブラントのように肖像画のジャンルに入る作品をほとんど残していない。当時すでに大変著名な画家であっただけに、パトロンなどの依頼に応じて肖像画を描いた可能性は十分にある。この画家の力量をもってすれば、迫真力のあるイメージで描かれたに違いない。「キリストと12使徒」シリーズを見れば、その点は疑いない。もしかすると、作品があったとしても、戦火の中に失われてしまったのかもしれない。

  レンブラントがサスキヤ、ヘンドリッキェなどを描いたように、明瞭に妻や愛人をモデルとしたという作品がラ・トゥールの場合は、見当たらない。今日、美術史の関連領域は心理学、医学、化学など、かつては予想もしなかった学問にまで広がっている。作品の時代確定や真贋鑑定にX線写像や顔料の化学分析が果たした役割はよく知られている。フェミニズムの観点からのアプローチも行われているほどだ。今後、なにか新しい発見もあるかもしれない。

  「ラ・トゥールと女性たち」の謎解きも、始まったばかりといえる。もしかすると、これがそうではないかとのイメージもないわけではない。さて、ネールはどこかにいるのでしょうか。


 
* ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、Dianne le Nerf (ディアンヌ・ル・ネール)と1617年ヴィック=シュル=セイユで結婚

 

コメント
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