ヴィック=シュル=セイユ城門の崩れた城壁の「石落とし」
16世紀末から17世紀にかけて、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが生まれ育ったロレーヌ公国の町、ヴィック=シュル=セイユの町。今日訪れると、時が止まったような光景に驚かされる。しかし、ラ・トゥールの時代には、多くの人々が行き交う文化の交流地点のひとつとして、繁栄していた。
以前に記したことがあるように、この時代のロレーヌ公国自体、きわめて複雑な状況を呈していた。公国の中にも、メッス、トゥール、ヴェルダンという3つの司教区が存在していた。ヴィック=シュル=セイユは、その中でメッス司教区の管轄圏に入り、いわば飛び地のような存在だった。こうした状況を反映して、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが結婚後、生地ヴィック=シュル=セイユを離れ、ロレーヌ公直下のリュネヴィル(妻の実家があった)へ移住するについても、請願状を提出し、租税などの免除を要請している事実からも明らかなように、移住自体も決して容易ではなかった。
メッスは1552年にフランスの支配するところとなり、メッスにはフランス王(アンリ2世)の総督と守備隊が駐屯していた。メッスの司教はメッスからほど近いヴィック=シュル=セイユに司教館を建てて行政上の首都とし、滞在していたらしい。フランスの干渉が煩わしかったのかもしれない。その後長い年月の間に、城壁や司教館は崩れてしまい、わずかに城門の一部などを残すだけになっていた。
しかし、幸い盛時の状況を偲ばせる絵画や資料はかなり残っていた。そして、近年この町にジョルジュ・ド・ラ・トゥール美術館が設置されたこともあって、町の考古学的研究成果の再評価なども行われ、わずかに残っていた城門の修復作業が行われた。その完成を記念して、2008年10月12日から2009年2月22日にかけて、「ヴィック=シュル=セイユのメッス司教区城館」という特別展*も開催された。修復後の最新状況は、以前にご紹介したブログ「キッシュの街角」(城跡を訪ねて)に見ることができる。
修復中の城門(2007年)
ヴィックは、かつては周囲を城壁で囲まれた城砦の町であった。中世から近世にかけて、城砦としての増強・整備は進んだ。そして15世紀から16世紀初めにかけて、一段の充実が見られた。今回修復が行われた城門も一時は、下掲のように四つの塔を備え、偉容を示したものだったらしい。
15世紀の城門は、残っている資料から3Dで再現すると、このように立派なものであり、前門には跳ね橋、水堀などもあったようだ。今回修復されたのは、わずかに残っていた前門の部分である。
ヴィック=シュル=セイユに限らず、アルザス・ロレーヌには多数の城砦、要塞が残っている。この時代の城砦の構造、仕組みは色々と興味深い点が多い。いずれ記すことにしたい。
☆フランスの城の構造、建築法などについてはTVドキュメンタリー『中世の城の黄金期』Golden Age of Castles, NHKBS1 2019年6月12日がきわめて興味ふかい。
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Le château des évêques de Metz à Vic-sur-Seille, Jean-Denis Laffite, éditions Serpenoise, 2008, 65 p., ill., cartes