時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

光はどこから

2009年03月01日 | 午後のティールーム

フランス、ヴィック=シュル=セイユ、サンマルタン教会の洗礼盤。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールもここで洗礼を受けたと思われる。
        


  広大なITユニヴァースの中では小さな宇宙塵のようなこのサイト、どういうわけか、アクセスが急増した。人工衛星の破片でも衝突したか(笑)。原因は、どうも2月28日から国立西洋美術館で開催される「ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画」(6月14日まで)と、それに
併せたテレビ東京の番組「美の巨人たち:ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」(2月28日)の放映によるものらしい。

 TV番組自体は、30分の紹介番組。これでジョルジュ・ド・ラ・トゥールという謎の多い、深い精神性を秘めた画家がすぐに分かるわけではない。短い時間なのだから、画家の生きた17世紀の世界に直接入ることに徹すればよかったと思うのだが、無理に現代パリの照明器具デザイナーに結びつけようとした試みは、とってつけたようで成功しているとは思えなかった。「大工ヨセフとキリスト」の作品解釈ホントホルストの一枚との比較も、一寸外れて残念。こうした番組の宿命かもしれない。

 父親ジョルジュほどの画才に恵まれず、父親の没後、画業を続けることをあきらめた息子エティエンヌとの父子関係は、興味深いテーマだ。いつか記してみたいこともある。

 ラ・トゥールという画家、果たして報じられたように400点も制作したかはまったく分からない。案外、寡作であったのかとも思う。ひとつ確かなことは、制作に際して深く思考し、余分なものは一切描かないという画家だったと思う。この画家にとって、描きこまれたものはすべて意味があるのだ。晩年の作といわれる簡素のきわみともいえる「砂漠の洗礼者聖ヨハネ」も、華麗な「いかさま師」も、同じである。

 突如世界を覆い尽くした時代の不安に、この乱世をしたたかに生きた画家の作品が、多くの人の心の支えになりうるならば、ラ・トゥール・フリークのひとりとしても大変うれしい。

コメント (2)
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