時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

Uターンできない自動車:盛者必衰(1)

2009年03月10日 | グローバル化の断面


  2007年12月、アメリカではロールスロイスが27台売れた。しかし、2008年12月は文字通り1台も売れなかったそうだ。並みの不況ではない。虚栄のシンボルも崩落しているのだ!

 昨年末以来、世界の自動車企業の慌てふためきようを見ていると、やはりひとつの時代が終わろうとしているとの思いがしてくる。マスメディアの多くは、金融危機から発した自動車需要の減少幅が異常に大きいという側面を強調し、2-3年後には以前の水準を回復するとしているが、果たしてそうだろうか。今日の自動車不況の深層に
読めるものは、単なる需要の数的な減少だけではない。自動車産業の盛衰を大きく左右する決定的な地殻変動が起きているように思われる。

フォーディズムの終幕
 ひたすら販売台数の増加を追い続けてきた「フォーディズム」(フォード自動車会社が導入した大量生産をベースとする経営管理方式)に基礎を置いた生産・販売の体系自体が、根底から揺らいでいる。言い換えれば、多大なエネルギーを消費する自動車を重要な移動の手段とし、その上に築かれた文明自体が、決定的な曲がり角に来ているように見える。

 簡単に締めくくってしまえば、20世紀を支配してきた「フォーディズム」が、終幕を迎えるということではないか。フォーディズムの極致ともいわれるトヨタ生産方式(トヨティズム)だが、今回の不況にはいとも簡単に弱点を露呈してしまった。フォーディズムの時代が終幕を迎えていることは、ほとんど疑いない。しばらく我慢すれば、また忘れたように販売台数を競い合う時代が来るとはそう簡単には思えない。

 オバマ新大統領の議会演説にも、この巨大化を追い求めた上に、破綻して、国家の手にも負えなくなった産業、企業について、確たる処方箋が描けない苦悩の一端がうかがわれた。本来購買力のない消費者にまで車を買わせてきたオートローンの決定的失敗を含めて、地域の衰退など、病状はきわめて深刻だ。

昔に戻れるのか
 自動車産業は以前の状態に戻れるのか。答えは「否」である。はっきりしているのは、不況前の状態への復元はありえないということだ。とりわけ注目が集まるデトロイトのビッグスリーについては、存続自体も危ぶまれる惨状を呈している。
 
 2月17日、GMとクライスラーの2社は、経営再建計画を提出した。両社併せて約5万人の人員削減計画を新たに打ち出す一方で、実施済みの緊急融資増額174億ドル(約1兆6千億円)に加え、新たに最大計216億ドル(約1兆9800億円)の追加融資を求めた。その直後に明らかにされたGMの昨年の赤字額は、3兆円に相当するという惨憺たる有様だ。3月5日には、GMの監査法人が破産に近い状況と厳しい報告を提出した。フォードは、なんとか自力で再建の道を探っているようだ。しかし、こちらも前途は厳しい。 

 アメリカという自動車を生み出した国で、そのすさまじい崩落を見るのは、耐え難いことだろう。しかし、公的資金をこれ以上投入しての救済は、さらに泥沼状態へ入ることであり、アメリカという国の精神的基盤をも否定しかねない。

 アメリカ企業ばかりでなく、トヨタに代表される日本企業、そして欧州企業も、ほとんどエンスト状態だ。わずかにインド、中国などが、かろうじて前年比プラスで健闘しているにすぎない。 それも多くの優遇策を講じての上だ。昨年の記録で自動車の販売落ち込み(前年比)が著しいのは、国別ではスペイン、アメリカ、日本など、企業別ではクライスラー、現代、トヨタなどだ。VWグループなど、ドイツ系企業が比較的落ち込みの程度が少ないといわれているが、これとても程度の差にすぎない。 これまでの経緯を見ていると、危機は想像以上に深刻であり、その原因も複雑であることが伝わってくる。

再生への手がかり
 金融部門と違って、自動車産業のような実体経済は、これほどまでに自壊してしまうと、復元はきわめて困難だ。生産から販売まで複雑な仕組みが、グローバルな次元で広がっているからだ。とはいっても、今回の大不況で自動車産業自体が消滅してしまうわけではない。しかし、いくつかの企業の名は確実に消え去る。そして、新しい構想に基づく自動車産業の体系が確立されるまでには、かなり時間がかかるだろう。産業内部の大きな再編が必要だからだ。

 幸い、再生のための材料、手段は残されている。この産業の将来は、消費者を含めて、関係者が描き、共有するヴィジョンいかんに大きくかかっている。とりわけ、新エネルギーへの転換、中国、インドなど、自動車の普及度が低い国々の中間層への対応、代替公共交通手段の充実などが鍵になるだろう。アメリカでは運転者人口の1人に1台だが、中国では100人に3台という普及率自体、さまざまなことを考えさせる。

 これからしばらく、自動車産業という名は残っても、内容は大きく異なる新しい産業への転換過程になると見るべきかもしれない。ハイブリッド、電気自動車など、クリーン・エネルギーへの移行ひとつとっても、既存の生産様式、部品生産などに大きな変革が必要になる。石油、電力などエネルギー関連産業への衝撃はとりわけ大きい。

 この大不況という舞台の暗転は、対応いかんでは新たな活力を秘めた時代への幕開けともなり得る可能性も秘めている。いずれにせよ、10年単位のかなり長い転換の時間を擁するだろう。幸い新たなイノヴェーションを創り出す素地は、多く残されている。「創造的破壊」の嵐が吹くことになるに違いない。部品、組み立て、販売を含めて、自動車産業の全局面を覆う激しい淘汰と新生の動きが見られるはずだ。

 とてもブログの視野に納められるようなテーマではない。ただ、第一次石油危機の前から、ひとりの観察者として自動車産業を眺めてきた。国内外の現場を訪れたことも多く、さまざまな感慨がスナップショットのように網膜に浮かんでくる。その数コマだけを記してみたい(続く)。

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