Jean Le Clerc. Adorations of the Shepherds. oil on canvas, 180 x 137 cm.
「すべての人を照らす そのまことの光が来ようとしていた」
(ヨハネ福音書第1章第9節)
17世紀前半、ロレーヌ公国が繁栄の時を享受していた頃、ロレーヌには多数の画家が活躍していた。1580年から1635年の間でも、ロレーヌにはおよそ260人の画家と20人の版画家たちがいたといわれる。その半数以上がナンシーに拠点を置いていた。彼らがいかなる活動をし,作品を生み出していたか。そのくわしい実態を知ることは今日になるときわめて難しい。400年を超える年月が経過するうちに、作品や記録の多くは滅失したり、行方不明になってしまった。
残された記録から推察するかぎり、こうした状況で画家が生き残るためには、画家として生まれついての天賦の才、画業修業、とりわけローマでの修業経歴、有力なパトロン、貴族階級などとの人的付き合いなど、時代の求めるものへの対応力がさまざまに要求された。
それでも、時代を超えて燦然たる光芒を放っている画家たちもいる。生存中から華々しい名声を得ていた画家もいる反面、ラ・トゥール、ルナン兄弟などのように、生前は著名な画家であったが、その後長らく忘れ去られ、近年急速に再評価(再発見)された画家もいる。しかし、当時活動していた多く画家は、今日では名前すらほとんど知られていない。たとえば、前回記したポウル・ラ・タルテという画家などは、美術史家の間ですら知る人は少ないだろう。
さらに17世紀ヨーロッパ美術の研究者や愛好者の間では知られていても、その他の人々にはほとんど無名である画家もいる。ナンシー生まれのジャン・ルクレール Jean LeClerc(1587/88ー1633)もそのひとりだが、17世紀ロレーヌ公国のバロック画家として活躍し、テネブリスト(カラヴァジェスキ風の明暗を強調した画家)として知られる。
ルクレールは1600年代の初期イタリア、ヴェネティアに行き、その地のカルロ・サラチェーニに学んだ。1615年、支倉常長の建長遣欧使節団を描いた画家としても知られる。彼らは当時のローマ教皇パウルス五世に謁見したといわれる。残念ながら、この画家の才能をうかがい知る作品(油彩画)もわずかしか残っていない(版画は多く残っている)。『羊飼いの礼拝』 The Adoration of the Shepherds はその数枚のうちの一枚だ。このテーマは人気があり、数多くの画家が手がけている。
ルクレールはロレーヌ出身の画家だが、イタリアで学んだだけにその影響は明らかに感じられる。上に掲げる作品ばかりでなく、ナンシーに現存する『インド人に説経する聖フランシス・ザヴィエル』 St. Francis Xavier preaching to the Indians などを見ると、明らかにイタリアの光が射している。それもローマとは少し異なるヴェネティアの光だ。素朴な農民の姿そのままのラ・トゥールの『羊飼いの礼拝』とも違った光だ。