ローレンス川・5大湖地域を広く探索し、今日のカナダの礎を築いたフランス人探検家サミュエル・ド・シャンプラン。17世紀を代表する有名人のひとりであり、特にフランス、カナダ両国にとってはきわめて重要な歴史上の人物だ。
いったい彼はどんな容貌をしていたのだろうか。これまでカナダやフランスの人々が思い浮かべるこの冒険者は、作品によって多少の差異はあるが、大方上記の描画のようなイメージであった。どちらかといえば、卵形の顔であり、探検家らしい精悍な顔だ。髪はカールして長く、大きな目、立派な口ひげ、あごひげを生やしている。
さらに、世界のさまざまな場所に、シャンプランの探検を記念する銅像、記念碑が多数、建立されてきた。そのいくつかを下に掲げてみた。読者の中にも、これらの像のあるものをご覧になった人がおられるかもしれない。それぞれにイメージはかなり異なっている。いったいどれが真のシャンプランに近いのだろうか。カナダ人の友人に尋ねてみたが、まったく自信がないとの答えだ。
実は20世紀初め、これらのイメージに疑問が持たれ、実在したシャンプラン像を探索する努力が行われた。それによると、これまでシャンプランと考えられてきた上掲の半身像は誤りで、本人ではないことが判明した。それまでは、17世紀の画家によるシャンプランの肖像画を基に、リトグラフ化されたと考えられ、肖像画自体はフランスの国立文書館が所蔵していると考えられていた。ところが、調査の結果、同文書館はシャンプラン本人と確定できる原画を保有していないことが判明した。さらに、その後の調査で、文書館で見いだされた資料からこの肖像はシャンプランではなく、同時代の別人のものと判定された。さらに、今日、世界に残る版画などのイメージの中には、シャンプランについての伝承を基に、想像で描かれたものもあるようだ。
それでは、シャンプランの真のイメージを伝える画像は存在しないのだろうか。シャンプランは四回に及ぶ航海を通して、膨大な記録を残している。しかし、彼自身あるいは家族に関する記述は、ほとんどない。さらに同時代人による記述も少ない。他方、この大冒険家・探検家に関心を抱く歴史家、伝記作家は数多く、たとえばカナダにはシャンプラン協会 The Champlain Society なる組織があり、この偉大な冒険者の事績を今日まで継承、伝える役割を果たしてきた。
シャンプラン協会あるいは研究者の努力の結果、かすかにこの偉大な冒険者・探検家の面影を伝えるのは、なんとあの1609年、シャンプラン湖の戦いを描いたシャンプランのスケッチを基に起こされた版画の人物(最下段に当該部分拡大、掲載)の姿のみであることが確認された。というわけで、世界各地に建立された多数の銅像、そして頒布された画像(IT上にも多数存在)のほとんどはシャンプランではないことになる。シャンプランさん、ご感想は? (続く)