Tassin, Carte de Lorraine, vers 1630
Gravure, 10 x 15. Nancy, inventaire de Lorraine.
画家は二重人格?
画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの生涯を追っていると、画家でもあり、貴族でもあった世俗世界の人格が、現実にはいかなるものであったかに強い興味を惹かれる。とりわけ、貴族となった後の世俗的生活において、ラ・トゥールが獲得した封建的諸特権を大いに発揮し、領地の売買、資産の維持・拡大にかなり奔走していたかに思われる史料の記述、あるいは解釈がそのひとつである。ひとたび手にした特権を固守し、妥協しない、しばしば強欲さも感じさせる記述もある。
しかし、それがどの程度、この画家本人あるいは当時の貴族のイメージや生活規範と重なっているのか、実像は明らかではない。そのため、この画家については人格の二面性、謎の画家など、多くの形容詞が付されてきた。言葉だけが飛び交い、やや一方的に過ぎる評価と感じさせる部分もある。他方、この画家が工房で画想や制作にふけっている状況をイメージさせる記述は、ほとんどなにも示されていない。画家としての側面については、現存する作品以外に判断材料がきわめて少ない。
この間隙を埋めるために、当時の貴族や領主の実態がいかなるものであったか、より広い視野を確保し、出来る限り同時代人に近づいて考えてみたいと思ってきた。しかし、多少試みるうちに、小さなブログなどではおよそ対応できることではないこともよく分かってきた。しばらくは、次の発想が生まれるまでのキーワード程度を記しているにすぎない。
封建領地の重み
近世初期、ロレースでは領地の持つ重みは格段に重要だった。フランスなどでは、領地の重要度はかなり薄れていた。しかしロレーヌの貴族や農民は、封建領地そしてロレーヌ公の存在に強く依存していた。領地はロレーヌ公国が終幕を迎えるまで、領主、農民それぞれにとって、彼らの伝統的生活と権利を基本的に支えた存在だった。
ロレーヌ公国の領主は大別すると3種類あった。公国の公爵・領主たち、教会・修道院など、そして貴族である。1500年代半ばまでは、古い騎士層が領主以外の領地の最大の所有者だった。しかし16世紀末までに、ロレーヌ公による貴族勅許数の増加に伴って、土地所有における貴族の比率が高まった。その結果、限られた土地の配分に関わって、領主による領地の分割が行われ、領主権の一部売買なども頻繁に行われた。国や時代によっては、領地にとどまらず、貴族の称号、関連する封建的諸権利までが売買の対象になった。
この短いトピックスで事例に挙げているジャック・マウエが、1599年、貴族に任じられた後、きわめて目立つことは比較的短時日の間に、近隣領主あるいは後世代の後継者の間で領地の分割・売買を頻繁に行っていることだ。当時は、領主の数の増加に伴い、領主権の村落単位での分割も目立った*。これはロレーヌが小さな公国であり、公国内に大きな荘園が生まれなかったこともひとつの理由と考えられる。
*1600年3月27日、ジャック・マウエは早くも近隣の貴族などへ自らの領地を売却する。しかし、彼は領地所有をあきらめたわけではなかった。1612年1月までアンリ2世に、1625年6月まではシャルル4世に忠誠を誓っていた。むしろ、領地の有効利用を考えたのだろう。実際、彼の子孫は受け継いだ資産権利の拡大に努め、ロレーヌがフランスに統合されるまで公国内に多大な領地を取得し、なかには貴族の称号を与えられた者もいた。
ラ・トゥールの場合
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが貴族に任じられた正式の理由は明らかではない。確かに妻の一族の出生地であるリュネヴィルへ移住を求めて、ロレーヌ公に提出した特権請願書(1620年)には、当時の貴族に一般的に付与されていた租税免除や社会的特権付与を求めており、妻が貴族であること、自らの絵画の技自体が高貴な仕事であることなどを記してもいる。
これに対して、ロレーヌ公はラ・トゥールの請願を認めたようだが、それにかかわる勅許状の詳細、紋章などが授与されたかなどの点は、記録が不明なままである。ほぼ同時代に貴族に任じられたジャック・マウエの記録文書などによると、当時の状況はかなり明らかにされている。封建的特権を認める勅許状、紋章の授与など、いくつかの具体的裏付けがあったようだ。ただ、貴族に認められた特権の詳細は明記しなくとも、それらの内容はほぼ理解されていたようだ。
ラ・トゥールの場合は、貴族勅許の詳細などが判然としないが、この画家はリュネヴィルへ移住した後、かなり活発に不動産の売買・賃貸などに着手している。恐らく、当時の事情として、遊休地の活用などを含め、こうした行動、取引などは、苦難な時代を過ごす手段として、かなり一般化していたのだろう。現代をはるかに上回る不安と危機の時代であり、農民のみならず、貴族といえども決して安易に日を過ごせるわけではなかった。画業のみならず、世俗の才知にも富んでいたと思われるラ・トゥールは、恐らくその能力を十二分に発揮したのだろう(続く)。
Reference
Charles T. Lipp. Noble Strategies in an Early Modern Small State: The Mahuet of Lorraine. Rochester: The University of Rochester Press, 2011.