時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

黄金時代のフランス美術(5)

2013年01月11日 | 絵のある部屋





Q.この絵は誰がなにを描いたものでしょう。答えは後ほど文末で。

 

 ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの話をしていた時であった。関連してニコラ・プッサンという画家を知っていますかと教養課程段階の学生さんに聞いてみたことがあった。しかし、誰も名前すら知らないことに驚いた。ラ・トゥールについて、日本では知名度がきわめて低いことは、かなり以前から分かっていたが、フランスでさらに大きな評価を受けている国民的画家ともいえるプッサンの知名度がそれに劣らずきわめて低いことに驚かされた。日本の画家でもなく、別にこうした画家を知らないからといって、それ自体日常生活に何の影響もないのだが。一抹の寂しい思いが脳裏をかすめた。
 
 ニコラ・プッサン(1594-1665)は、ラ・トゥール(1593-1652)と同世代の17世紀の画家であり、当時のイタリア、フランスでは、ラ・トゥールをはるかにしのぐ人気を得ていた。ルイ13世、リシュリュー枢機卿が三顧の礼を尽くして、ローマからパリへ招いたほどの大画家である。

 プッサンはフランス生まれでありながら、殆ど不明な修業時代を除けば、画家としての職業生活の大部分はイタリア、ローマで過ごし、フランス国王の招きでルーヴル宮に王室首席画家として滞在した1640-42年の一時を除き、フランスへ戻ることもなかった。プッサンについては、その経歴からフランスの画家として評価すべきかとの疑問も提示されているが、生まれはフランスで、30歳近くまではフランスにいたことなどを考えると、フランスの美術界としてはこの大画家を自国の画家と考えたいようだ。

 フランスの美術品の評価、とりわけその市場価値や所蔵状況は、ヨーロッパの画商を通し、すでに19世紀からさほど大きな時間的落差をおくことなく、新大陸アメリカに伝わっていた。こうした画商は停滞しているヨーロッパ美術市場よりも、次々と富豪が生まれ、活気を呈していた新大陸アメリカの美術品市場の動向に大きな関心を抱いていた。アメリカの富豪や収集家たちは、フランス絵画については、当初印象派などの比較的新しい時期の画家の作品に興味を示すことが多かったが、次第に17世紀の画家たちの作品収集への関心も高まっていた。

 ジョルジュ・ド・ラ・トゥールもニコラ・プッサンも富豪、愛好家たちの対象になっており、ラ・トゥールについてみると、1973年にはアメリカの美術館は少なくとも6点の作品を保有していたと推定されるが、ここで話題としている1982年の『黄金時代のフランス美術』展の時には、その数は11点にまで増えていた。1938年以前にはアメリカにはラ・トゥールの作品は1点もなかったとみられる。

 ラ・トゥールに比較して、作品数がはるかに多かったプッサンの場合、かなり多くの作品がアメリカへ移っていた。正確な数は不明だが、1982年の特別展では少なくも30点を越える真作が展示された。他の画家の作品についても当てはまることだが、プッサンについては、画題自体が古代ギリシャ・ローマ神話、聖書などにかかわる審美的、哲学的な作品が多く、画題、含意、来歴、真贋などについて、多くの論争もあり、きわめて困難な問題が介在していた。(ちなみに、プッサンもラ・トゥールも、画題や制作年についてほとんど、なにも記していない。)

 しかし、美術史家、美術鑑定家などの努力で、上述の『黄金時代のフランス美術』展でもそれぞれの画家についてアメリカの公共美術館、個人の収集家などが所蔵する優れた作品が選び出され、ヨーロッパにある作品と併せて、プッサンの作品様式の変遷、精神的な旅路を理解することができるようになった。グローバル化が進む現代世界では、ひとりの画家の作品世界を理解するにも、きわめて多くの情報、知見が必要になっていることを示している。国際的な美術品市場の形成の過程は、それ自体、きわめて興味深いテーマでもある。





 さて、冒頭の問の答は・・・・・。

Nicolas Poussin, The Holy Family, 98 x 129.5 cm. Fogg Art Museum, Harvard University, Cambridge, Massachusetts. 
ニコラ・プッサン『聖家族』

続く

コメント
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