時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

黄金時代のフランス美術(9)

2013年01月26日 | 絵のある部屋

パリ・スクールの誕生

 前回とりあげたアントワーヌ・ル・ナンの作品『若い音楽師』、多少なりと、この画家についてご存じの方は、驚かれたかもしれない。実は、ブログ管理人の私も最初この作品に接した時は、半信半疑だった。ヨーロッパに残る作品を見ていたかぎり、ル・ナンの作品と聞くと、直ちに目に浮かんだのは、農民や職人をリアリスティックに描いた作品だったからである。『農民の家族』や『鍛冶屋』のように、時間が止まったように立ち尽くす人たちのイメージが強く頭の中に残っていた。

 『黄金時代のフランス美術』展を見て、改めてこの時代のフランス画家たちを頭に浮かべると、従来の画家へのイメージ、そして時代への理解がかなり大きく変わった。この特別展のカタログの執筆責任者だったロザンベールの説明を読みながら、さまざまなことを思った。実際、これらのアメリカへ渡った作品群を初めて目にしたフランス人のかなり多くの人が、仰天したようだ。自分たちに見る目がなかったのかと。そして、なぜこれほどの作品を流出させてしまったのかとの複雑な思いが生まれたようだ(この問題のいくつかの様相については、いずれ記してみたい)。

 特別展カタログで 「最初のパリ・スクール」 The First School of Paris と題する項目で取り上げられたのは、13点、すべて17世紀のパリで制作されたものであった。制作されたのは1636年から1654年の20年に満たない期間だ。それらの作品は、さまざまな経緯で海を渡り、アメリカへ移転した。制作した画家たちは誰もイタリアへ行ったことはなかった。イタリアへ行くことが画家として身を立てるに欠かせない条件とされていた時代であったにもかかわらず。

 このグループでの最年長者はフィリップ・ド・シャンパーニュ Philippe de Dhampaigne で、1602年生まれだった。最年少はユスタッシュ・ラ・シュール Eustacche La Sueur だった。ラ・イール La Hyreは二人の中間だった。年少の二人はそれぞれ、1655年、1656年に世を去った。そして、最も年長だったシャンパーニュは長生きして1674年まで生きた。

 これらの ”パリっ子”画家たちは、彼らの画題がなんであろうと、ある特徴を共有していた。たとえば、impasto と呼ばれた絵の具の厚塗りをせず、polished finish といわれる画法を採用した。彼らの画風はネオ・クラシズムといえるかもしれない。

 アメリカが買い求めたこれらの作品は、アメリカ人の好みに合ったものであり、同時になんらかの理由で、フランス人あるいはヨーロッパが手放した作品であった。そして、長い時間が経過した後、彼らが最初の「パリ・スクール」ともいわれるエポックを作った人々であることを、フランス人に知らしめることになった。フランスの美術愛好者たちは、複雑な思いでこれらの作品を見たのだった。以下には、管理人の好みで、最初の『パリ・スクール』の画家たちの作品から3点ほど選んでみた。いづれもヨーロッパに残る同じ画家の作品と比較しても、群を抜いて素晴らしい作品である。これらのそれぞれについて、記したいことは山ほどあるが、ここにはとても書いていられない。なにかの折を待つことにしたい。

シャンパーニュ『モーゼと十戒』 拡大はクリックしてください。
Philippe de Champaigne, Moses and the Ten Commandments, 99 x 74.5 cm.
Milwaukee Art Museum Collection, Gift of Mr.and Mrs. Myron Laskin

Eustache La Sueur, The Annunciation, 156 x 125.5cm, The Toledo Museum of Art, Gift of Edward Drummond Libbey

Laurence de La Hyre, Allegory of Music, 94 x 136.5 cm. The Metropolitan Museum of Art, New York, Charles B. Curtis Fund.

続く

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