時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

濃霧の中に射す一筋の光:トマ・ピケティ教授の新著

2014年07月30日 | 特別トピックス

 



 TVやインターネットの普及のおかげで思いがけないことを経験することがある。7月26日に放映されたNHKBS1番組『グローバル・ウイズドム:問われる資本主義~激論「21世紀の資本」~』を観ていると、海外から意見を述べる「賢者」(men of wisdom)の中に、ひとりだけ帽子を被って出演している人がいる。あれ、どこかで見た姿と思い、よく見るとやはりそうであった。ハーヴァード大学経済学部教授リチャード・フリーマン氏である。
 
 かつて同教授とJ.メドフ教授が若かりしころに著した”Two Faces of Unionism.” The Public Interest, vol.57, Fall 1979 (「労働組合の二つの顔」)なる論文を邦訳したことがあった。その縁で、同教授が来日した講演会の際に司会役を仰せつかったことがあった。その時も講演会を通して、帽子を被っておられた。以後、帽子は同教授のトレード・マークのようになり、学会などでもすぐに見つけることができた。同教授はいまやアメリカの労働経済学会の大御所ともいうべき存在である。今回のTV番組でも、きわめて適切なコメントをされていた。
 
 話題の経済学者トマ・ピケティの新著を中心にしての番組とのことだったが、全体の印象は番組制作のあり方が中途半端で拍子抜けした。ピケティ教授の新著のタイトルを番組表題に掲げるならば、少なくとも著者のピケティ氏にインタビューし、著作の目指した目標、今後の政策の実現可能性、出版後の反響への氏の考えなど、重要な諸点をしっかりと確かめておくのが著者に対しての礼儀であったと思う。それだけでも30分くらいは必要だろう。しかし、番組ではピケティ氏の新著が紹介されただけで、さまざまなコメントに対して、ピケ教授が応答される場は準備されていなかった。
 
 いくらアメリカでピケティ教授の著作が大変な人気とはいえ、日本でこの著作を読んだ人は未だ数少ないはずだ。海外から参加された知者と目される人たちは、当然ピケティ教授の著作を読まれている。しかし、番組編集者を含め、他の参加者があの仏文900ページ、英文700ページ近くの大著を消化されて、番組に臨んでいるとはにわかに信じがたい。管理人の場合でもフランス語版で読み始め、途中から英語版に切り替えて3ヶ月近くを要した。読後感はきわめて爽快である。
 
 ピケ教授の力量をもってすれば、本書のエッセンスは間違いなく100ページ以内に集約することができるだろう。しかし、同教授がこの大著を世に問われたのは、著者の骨太の主張と斬新な分析成果をできるかぎり多くの人に説得力をもって伝達するためであることは間違いない。この著作の素晴らしさはやはりこの大冊を読んでみないと正しく伝わってこない。バルザックの小説などを例に挙げながら、200年近くに及ぶ主要国の統計分析を初めとして、10年余を費やしたとされる研究成果を、平易に、そして見事な説得力をもって読者に伝えようとしている。そして、その目的は見事に達せられた。

 ピケ教授は資本主義の根底に流れる格差という大問題を真正面から取り上げ、その分析結果を大変分かりやすく提示して見せた。近来の経済学書としては珍しく明解に、歴史書のような感覚で読み通すことができる。10年に一度くらいしか見られない大輪の花のような力作である。経済学の初学者泣かせの難解な数式の羅列もなく、提示されるグラフもきわめて整理され、論旨もきわめて明解である。難解なことをもって良書?と考えかねないような近年の経済学専門書とは、大きく一線を画している。
 
 読後の爽快感・充足感は大変大きい。比較的こうした書籍を読み慣れている管理人も近来にない大きな感銘を受けた。同じような問題に多少関わってきた者として、諸手を挙げて推薦できる作品である。この点は番組以前にのブログでもお勧めしてきた。


 もちろん、この分野に多少なりと関わる人々なら疑問も生まれよう。むしろ疑問が生まれないことが不思議である。課題の設定、論理の展開と結論が明解だけに、切り落とされた部分をめぐって異論・反論は生まれるのは当然と思われる。所得や資産の格差を生みだす根源についても、詰めるべき議論は多い。しかし、それらは今後に残された課題だろう。今は濃霧で前方がほとんど見えなかった状況に、一筋の光が見えた思いがする。
 

 最大の論点はピケ氏の提示した格差の縮小、改善にかかわる政策の実行可能性にある。この点、海外からの参加者は誰もがその困難さを指摘していた。ピケティ氏の提示したグローバルな富裕税にとどまらず、複数の政策が総合的に立案、実施されることが必要だろう。世界が混迷しているだけに、前途は多難である。フリーマン教授がコメントした資本の所有者を資本家以外に広く開放することも、重要な政策となる*2。管理人もこの点はかなり早期から指摘してきたが、多少力をもらった思いがした。
 




J.メドフ/R.フリーマン(桑原靖夫訳)「労働組合の二つの顔」 『日本労働協会雑誌』 23(9), p25-37, 1981-09. 
*2
桑原靖夫「日本的経営論再考」他、一連の従業員管理に関する論考

 

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