時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

現代産業社会を描ききる:L.S. ラウリーの作品世界(2)

2014年07月27日 | L.S. ラウリーの作品とその時代



Industrial Landscape
1955
Oil paint on canvass
114.3 x 152.4cm
「産業の光景」(拡大は画面クリック)



青い空のない世界
 ラウリーがその生涯に残した作品はいくつあるだろうか。実は作品数は非常に多く、未だ正確に確認できていないようだ。1970年代に、初めてこの画家の作品に出会って以来、折りに触れて、かなり多くの作品を見てきたつもりだが、IT上や書籍などで見ただけのものも数多い。現実に、この画家は創作欲が湧くと、手元の封筒やメニューの裏、紙の切れ端などに思い浮かんだイメージをスケッチして、同席している友人・知人などに渡していたらしい。これらも、いまやコレクターの垂涎の的だ。

 本ブログの管理人が、最初に見て感動した作品は、イングランド北西部の工業地帯を描いた作品 Industrial Landscapes 「産業の光景」 といわれる一連の作品である。画面全体に、多数の工場建屋、煙突、橋梁、船舶、汚れた河川、湖沼などが描かれている。工場には煙突が林立し、あたかも現代中国の工業地帯のように、ほとんど排煙規制をされないままに、空の色が変わるほど煙を立ち上らせている。実際にも管理人は、1960-70年代のイギリス北部の工業地帯で、こうした状況を彷彿させる情景を見た記憶がある。中国においても、ほぼ同様な光景を幾度となく目にしている。ラウリーの描いた光景は無くなっていないのだ。

 この画家の作品に初めて出会った人の中には、稚拙なアニメ調の画家ではないかと思ってしまう人もいるかもしれない。しかし、画家が描き出した産業社会のイメージは、実に多岐にわたり、それらを子細に見ていると、画家が生涯になにを思い、結果として産業革命がもたらした社会の変化のあらゆる面を描く創作活動に従事することを志し、それを貫いたことが、見る者に強く伝わってくる。
 
 描かれている画題は、画家が長らく住んだイングランド北西部の地に働く労働者やその家族などが圧倒的に多い。ロンドンなどのエスタブリッシュメント(既存体制派)の批評家の目には、北の無名の画家が稚拙な絵を描いているとしか映らなかったこともあった。しかし、この画家はそうした厳しい目にもかかわらず、一貫して産業革命以来、人間社会を変貌させてきた工業化とそのさまざまな面を描き続けてきた。伝統的な美術の対象にはふさわしくない画題も臆することなく制作の対象にしてきた。そして、年ごとに圧倒的な人気と名声を確保してきた。多くの人がラウリーの作品をこよなく愛してきた。

 イギリス美術界のエスタブリシュメントの代表とも考えられるテート・ブリテンは、ながらくこの画家を現代画壇の主流と見ることはなく、十数点の作品を購入しただけであった。そして、画家の死後、およそ37年を経過した2013年に、初めてロンドンの主要美術館として、この画家の特別展を企画・開催した。今は30余点の画家の作品を所有している。

美と醜さのバランス
 ラ
ウリーが残した多数の作品を見ていて気がついたひとつの点は、どの絵をみてもどんよりとした薄暗い空が描かれていることだ。台風一過の後に見られるような抜けるような青空など、どこを探しても見当たらない。イギリス北部特有のどんよりと曇ったような空、それに加えて、工場や都市の排煙がもたらした灰色の空ばかりだ。最近の工業デザイン的にも洗練された美しい工場とは異なり、長年にわたる煤煙などで薄汚れた工場の列、その間を縫って歩くマッチ棒のような姿をした労働者たちがこれでもかとばかりに描かれている。


 しかし、この画家の作品をよく見ていると、そこにはラウリーが影響を受けたといわれるフランス印象派の画家たちの絵とはおよそ異なった、形容しがたい美しさが見えてくる。立ち並ぶ工場の建屋もさまざまに異なる。繊維工場、鉄工場、炭鉱、発電所など、工業の世界を見慣れた人は画家の周到な目配りに感心する。立ち並ぶ煙突から出る煙の色、黒、灰色、赤みががった色、それぞれに描き分けられている。そして、それらの煙は空中高く舞い上がり、灰色の空に混じって行く。大気汚染に苦しむ現代社会の原風景ともいえる光景が描かれている。この画家の作品は美しいが、その美しさは、同時になにか薄汚れ、時にはみにくいものと並存している。しかし、そのバランスは巧みにとられている。ラウリーは抽象画の画家ではない。人間社会が生みだした汚れやみにくさから目を背けることなく、正面から対峙してきた。普通の画家たちが取り上げない、時には目を背けるような光景も、積極的に描いてきた。



Industrial Landscape, Wigan
1925
Oil paint on canvas
40.5 x 36.5cm 

「産業の光景:ウイガン」

 

 薄暗い画面に林立する工場の煙突と不気味な色をした煙。イングランド北西部グレーター・マンチェスターのタウン、ウイガン(ウイガン・アスレティック・FCの本拠地でもある)を描いた作品。中央部に黒煙に包まれたような赤色の工場が唯一目立つ存在だ。繊維工場だろうか。林立する煙突や電柱は、現代社会の墓標のようにすらみえる。ジョージ・オーウエルの名作 The Road to Wigan Pier(1937)  「ウイガン波止場への道」を思い起こさせる。そこにはいまや中間層からは失われてしまった生活様式、人間らしい生活が描かれている。
 
 この地に生まれ育った当時のイギリスを代表する音楽家でもあり、コメディアンでもあったジョージ・フォームビー(1875-1921)は、舞台で挨拶代わりに”Coughing Better Tonight?” 「今夜は咳の具合はいいかい?」とシニカルだが、呼吸器病に悩まされる労働者階級が多い観客に語りかけた。フォームビーはチャーリー・チャップリンに影響を与えたことでも知られているが、自ら結核の病に悩まされていた。

悲劇にも目を向けていた画家

 

Pit Tragedy
1919
Oil paint on canvas
39 x 49 cm 

「炭鉱の悲劇」

 産業革命は工場ばかりでなく、それを動かすエネルギー源、そして労働者の家庭で使われる石炭の採掘に従事する多数の炭鉱労働者を生みだした。炭鉱労働者が住む住宅の一角、日本でもかつてみられた光景である。しかし、この作品に描かれた光景は、日常の普通のものではない。炭鉱で爆発事故が起こり、犠牲になった炭鉱労働者と家族が不安な面持ちで状況を話し合っている。ただでさえ暗い風景が一段と黒ずんでいる。陰鬱な雰囲気が画面全体を包み込んでいる。炭鉱労働者の父や息子たちはどうしているのだろう。大きな不安にただ立ち止まる人々の容姿に、そのやり場のない悲しさが漂っている。

 イギリスに限ったことではないが、鉱山事故は工業化の過程で続発し、そのつど多くの犠牲者を伴った。この作品が制作された年にも、イギリスで二つの大事故が発生した。ラウリーが生まれ育ったランカシャー、マンチェスターの近傍にも多数の炭鉱があった。エネルギー革命の進展とともに、この地の鉱山も次々と閉山され、その途上でも多くの事故が発生した。
 

 画家としてのラウリーの目は、産業革命がもたらした工業化の一部分だけでなく、それとともに変容する社会のあらゆる面に向けられていった。

 

 

イギリスの炭鉱事故の記録はThe Coalmining History Resouce Centre で詳細に知ることが出来る。 

 

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