17世紀のカードゲーム風景
を描いた絵画の例
宰相リシュリューが仮にポーカーのようなカードゲーム*をしたとしても、果たして勝負に勝てたか否かは分からない。それ以前に、この17世紀ヨーロッパきっての多忙な政治家がカードゲームをする余裕があったか、疑わしい。リシュリューは政治家であったが、枢機卿という聖職者でもあった。もっとも、当時の聖職の世界もかなり乱れていたので、実際のところは不明である。リシュリューの私的な生活は、波乱万丈であった公的生活と比較して分からない点が多い。後代の画家が描いているように、仕事の合間に猫と遊ぶくらいだったのかもしれない。ルイ13世とともに戦場を駆け回っていた合間に、鹿や雉を狩ることくらいはあっただろうか。
しかし、彼がヨーロッパを駆け回っていた時代、17世紀には、カードゲームは社会のあらゆる分野で、かなり人気のゲームであったようだ。このころから、カードゲームをする人々の姿を描いた絵画作品が増えている。
その中で このブログの読者の方々がよくご存知なのは カラヴァッジョやラ・トゥールの 作品だろう。これらの作品は、しばしば『(カードの)いかさま師』card shark あるいはcard sharp という画題で知られる作品である(card sharkやcard snapは、しばしばcardshark やcardsnapのように一語あるいはcard-sharpのように綴られることもある)。しかし、当の画家は自分の作品にこうした画題を記しているわけではない。作品を見る人、後世の人が便宜上それらしき画題をつけたことは多々ある。具象画についていえば、多くの場合、作品を見れば、画家がなにを描こうとしたかはほぼ理解することができる。
ちなみにcard sharpという英語は主としてイギリスで、card sharkは、アメリカ、カナダ、オーストラリアで使われることが多いといわれてきたが、今日ではその区分はほとんどなくなった。両者ともに言葉の意味としては、1) プロフェッショナルなカードプレーヤー、2)カードゲームに熟達した者、3)カードゲームで人をごまかす(だます)ことに長けている人、といういづれかの意味で使われるようだ。しかし、いずれの意味で使われているか、その差異もあまり明確ではなく、それが使われた状況で判断するしかない。
このブログでも、これまでに、カラヴァッジョやラ・トゥールの『いかさま師』(card shark)なる作品について記したことがあるが、今回、リシュリューの練達した政治・外交手腕をポーカーの名手にたとえた外交評論を題材にした延長線上で、16-17世紀以降、カードゲームの特定の場面が、人気のある画題として浮上した背景について少し記すことにしたい。
インターネットが発達した今日では、実際のカードを使ってのトランプも麻雀(麻雀)も目に見えて人気がなくなったようだ。かつては大学近辺などによく見かけた雀荘も、ほとんど廃業して消えてしまった。カードゲームをしている光景にもほとんど出会うことがない。電車などでは、大人も子供もスマホとやらに、目を据えて見入っている。自分が周囲から隔絶したように画面に没入している光景は、かなり異様と管理人は今でも思っているが、そうした感想を抱く人も少数なのかもしれない。
さて、問題のカードゲームの原型は、さまざまな説があるが、9世紀中国の唐の時代に遡るという説がかなり有力なようだ。しかし、ヨーロッパでもドミノなどのカードがあるので、定かではない。今日に伝わるトランプ・タイプのカードは14世紀末くらいが発祥らしい。こうしたゲームの常として、間もなく単なる遊びの道具としてばかりでなく、賭け事(賭博、博打 gamble at cards)の手段に使われるようになる。
ギャンブリングは、ルネサンス期のヨーロッパではきわめて広く浸透し、やらない人のほうが少なかったといわれるほど人気があったらしい。そして、15世紀から急速に広がったようだ。イタリアのシエナなどでは、禁止令が出るほどになった。
これから数回、このカードゲームとヨーロッパ絵画の関係に立ち入ってみることにしたい。
* トランプ(trump: 切り札のこと)。通常、53枚から成る遊戯用カード。西洋カルタ、骨牌。
続く