カラヴァッジョ 『いかさま師』 部分
Michelangelo Merisi da Caravaggio
The Cardsharps, c. 1594-95
oil on canvas, 94.2 x 130.9cm
Kimbell Art Museum, Fort worth
ギャンブル依存症ともいうべき精神疾患に類する人たちが日本で増えているという。その数、なんと500万人近いとのこと(『日本経済新聞』夕刊、2015年3月19日)。ギャンブルの淵源がいつまで遡るのか知るよしもないが、ここでたまたまテーマに取り上げているカードゲームでは15世紀くらい、ドミノやダイスなどではもっとはるか以前になるようだ
カードゲームでのギャンブルの光景を取り上げた絵画作品はかなり多い。それだけ人間の本性に深くかかわっているのだろう。無知、腐敗、欲望、時に犯罪にもつながり、人間について考える格好の主題だ。
輝くキンベルの存在
カードゲームのギャンブル、いかさまを取り上げた絵画作品の白眉は、やはりキンベル美術館が所蔵するカラヴァッジョの作品だろう。この美術館、1972年の開設であり、どちらかといえば新しい部類だが、その所蔵品は素晴らしい。数はさほど多くないが、 非常に目配りの良い水準の高い美術館である。建築史上においても、記念碑的存在である。新棟も追加され、今後がさらに楽しみな美術館だ。
キンベルはカラヴァッジョおよびラ・トゥールの「いかさま師」、「女占い師」シリーズを所蔵し、このテーマを追求するのであれば、どうしても訪れねばならない場所になっている。
カラヴァッジョの手になるカードゲームの「いかさま師」シリーズについては、ブログで何度か取り上げているが、テーマの与えるイメージと異なり、際だって美しい作品である。カラヴァジズムとして後世に知られるようになったこの画家の作品は、モデルを駆使してのリアリズムに充ち、 それまでの画家たちがあまり選ぶことのなかった社会の低下層の人たちの群像を描いている。
「いかさま師」The Cardsharps は、カラヴァッジョの初期の画業段階での傑作といえる。来歴を見ても、デル・モンテ枢機卿が最初に買い入れて以来、突如として所在が不明となり、長らくヨーロッパの個人の所蔵品に埋もれていた。キンベルが取得したのは1987年という近時点である。デルモンテ枢機卿の宮殿はそれほど立ち入りが難しいかったとは思えない。デル・モンテ枢機卿の後、作品がいかなる遍歴を経たかについては、画家の生涯ほどには知られていない。探索するに興味深いトピックである。真作に接する機会が得られなかった画家たちは、多数のコピーを作り出した。ちなみに、キンベルはラ・トゥールの「クラブのエースのいかさま師」(真作)も所蔵している。
現存するコピー作品とカラバッジョの真作を比較してみると、その差はあまりにも歴然としている。カラバッジョは、ほとんどデッサンすることなしに、直接キャンヴァスに向かったといわれているが、全体の人物の配置、ダイナミックさ、色彩の美しさなど、画家の非凡な才能を感じることができる。 カラヴァッジョの作品を目にされた方の中には、どうせ絵空事を画家が勝手に描いたのだろうと感じた方もあったかもしれない。しかし、16世紀を代表する画家は、制作に際してきわめて鋭く深い構想を秘めていた。 それは、この作品に限ったことではないのだが。
カラヴァッジョ『いかさま師』 19世紀の模作の例、部分
Annonymous, The Cheat at Cards, 19th century, after Michelangelo Mersi
da Caravaggio's Cardsnaps. Oil on canvas, 92.5 x 124.5 cm,
University Art Museum, Princeton, New Jersey, details.
徹底したリアリズム
ここで行われているカードゲームは、当時ヨーロッパですこしずつルールは異なりながらも、プレーされていた「プリメロ」 primero あるいは「プライム」と称されていた現代のポーカーの原型に近いゲームであるという。作品を見た人たちは、その場面がゲームではいかなる時に相当するか、ほとんど分かったようだ。ゲーム自体が広く社会の各層に浸透していた。
描かれている人物は3人、そのひとりはいわゆる「カモ」dupe にされている若者だ。品のいい暗色のジャケットを着用し、襟元の小さな白いカラーが育ちの良さを示しているかのようだ。子細に見ると、カラーや袖口にも繊細な模様が描き込まれている。この若者、前回記した「放蕩息子」を思い起こす方もおられるかもしれない。ゲームにもまだ慣れておらず、自分の手の内しか見られない。
他方、ゲームの相手方の若者は、当時の流行であろうか、かなり華やかな身なりだ。緑色のシャツの上に、革の胴衣を着ている。帽子には鳥の羽が付いていて、華麗さを強調している。カードを隠すに適当なベルトを着用している。横顔はほとんど自分の勝利を確信して、相手のためらいを待ち遠しいように眺めている。明らかにいかさまをしているのだが、悪の世界に入って日が浅いようで、当時の普通の若者の容貌だ。
ここで、いかさまを企み、それを動かしているのは、容貌の悪い後ろにいる男だ。自分の持ち手の中にしか視野が広がらない「かも」 のカードを盗み読みし、その結果を相棒の若者に伝えている。手袋の指が破れていることにも意味があるようだ。その破れ方も擦り切れたというわけではなさそうだ。当時のいかさまプレーヤーの中には、カードの感触を指先で覚えたり、秘密の印しをつけるなどの目的で、わざわざ手袋の指先に穴を空けていた者もいるという。なにしろ、画家のカラヴァッジョ自身がデル・モンテ枢機卿の支援を得るまでは、ほとんどローマの市井で、着の身着のままの生活を送っていた。こうしたいかさまの世界など、とうに経験済みなのだ。
さらに、この容貌の良くない男は、詐欺師集団のひとりとして、世間にうとい若い男を誘い込み、カードゲームを覚えさせ、いかさま仕事の上前をはねているのかもしれない。文化の栄える都ローマは、悪徳、犯罪、享楽、犯罪などがいたるところにはびこっていた。
ローマへ出てきたカラヴァッジョは、作品も売れず、貧窮な生活を過ごしていた。デル・モンテ枢機卿の庇護を得ることでそうした生活から抜け出ることができたかに見えたが、画業で得た金は荒んだ日々の生活で、すぐに使い果たしていた。波瀾万丈、悪徳に充ちた人生を過ごした画家だが、その作品はその罪を償うかのように光輝いている。
続く