新聞広告で、ティムール・ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー』(Timur Vermes, ER IST WIEDER DA, 2011)* が映画化され、日本でも上映されるというニュースが目に入ってきた。実は、この作品、映画化されることはうっかり見過ごしていたが、すでに読んでいた。最初、この衝撃的的な書籍のタイトルを見たとき、一瞬、ドイツ、フランス、オーストリアなど、ヨーロッパ諸国に近年台頭しつつあるネオナチなど極右勢力の動きを題材としたものかと思ったほどであった。しかし、そうではなかった。
この作品、邦訳の出版、そして映画として上映されれば、日本のジャーナリズムでも、さまざまに評判となると思われる。しかし、いまやヒトラー(Adolf Hitler 1889-1945)のことは歴史の授業などを通して知っていても、ひとつの歴史上の出来事としてしか理解できない世代が、過半数に達している。事実とフィクション(虚構)の区別がつかず、こうした工夫を凝らした作品に接すると、重要な含意を読み取れない。ヒトラーとナチズムが生んだ人類への恐るべき挑戦の真の意味を誤って理解しかねない。
ストーリーは、『ヒトラー最後の12日』から、スタートする。実際はベルリンの総統府塹壕の近辺で、愛人エヴァとともに自殺したと思われていたヒトラーが、2011年8月30日、突如として当時のままの姿で、現代のベルリンの市民生活の真っ只中に、蘇ったという書き出しである。読者の意表を突いた奇想天外ともいえる発想だ。しかし、いったい、ヒトラーのどこが笑いを生む材料になるのだろうか。その疑問は最初のパラグラフを読むうちに急速に消滅し、ストーリーに惹きつけられてしまった。その後は一気呵成に読んでしまった。パロディという触れ込みであったが、読み進めるうちに新機軸のホラー小説ではないかと思うこともあった。受け取り方は世代によっても、かなり異なるようだ。今日のドイツ連邦共和国でいかなる評価をされているのか、250万部を越えるベストセラーとなったことは知ったが、客観的な評価は難しい。ネオナチなどの勢力に、目に見える影響を与えたのだろうか。
作品はフィクションではありながらも、巧みなプロットで、ヒトラーという20世紀の世界を大きく揺るがした恐るべき人物にかかわる多数の事実、疑問が巧みに散りばめられている。タイムトラヴェラーという視点が巧みに生かされている。そして、著者の綿密な下調べの周到さが伝わってくる。あのローラン・ビネ Laurent Binet の『HHhH』も、同様だった。近年のナチズム、ヒトラー研究の成果がいかんなく取り込まれている。ちなみに本書に付された原注は、きわめて興味深く、本文だけでは気づかない多くのことを教えてくれる。
ヒトラーという一時は人類を滅亡の淵にまで追い込んだ人物が現代に存在した事実が、時代の経過に伴い、急速に風化し、人々の記憶の底に沈んでいくことは怖ろしいが、避けがたい。ドイツと並び「枢軸国」の名の下に、第2次世界大戦の勃発に加担した日本の軍部についての国民の記憶喪失はさらに激しい。
これまでの人生で、ドイツという国や歴史、あるいはその国民性については、おもいがけずもかなり長いつき合いをしてきた。学生時代、素晴らしい教師に出会い、一時は、ドイツ文学を専攻しようかと思ったこともあった。しかし、文学で一生を貫けるほどの自信はなく、他の専門領域に進んだ。しかし、周囲には多数のドイツやオーストリアなどの友人たちがいた。最初、大学院生として過ごしたアメリカという国で、不思議と最も気の合ったのは、ドイツ人やイタリアからの留学生たちであった。アメリカ人は大変おおらかで、わだかまりなく受け入れてくれた。しかし、いつとはなく、ドイツ人やイタリア人とのサークルもできていた。彼らの側にも、日本人に対する親近感のようなものがあったようにも思われる。
ドイツ人の中には、自らその思いを語ることは少なかったが、心の奥底に深い傷を負っていたようにみえた友人もいた。ドイツ人であることの心の痛みに耐えかねて、国籍をオーストリアに移した友人もいた。しかし、それがどれほどの意味を持つことなのか、突き詰めて聞くことはなんとなくためらわれた。
閑話休題。
ベルリン・オリンピックとヒトラー
さて、このパロディとなった書籍の表紙(上掲)を見たとき、ふと脳裏に浮かんだのは、どういうわけか、あのコピー問題で幻のように浮かんで消え、再募集になった東京オリンピックの最初のシンボルマークだった。
他方、1964年、東京で開催されたオリンピックについては、筆者にはどういうわけか、開会式当日の澄み渡った青空くらいしか印象に残っていない。日本は記録によると、開催国として、金16個を含む29個のメダルを獲得し、金メダルだけの数では参加国中第3位の座を獲得した(合計では東西ドイツが50個を獲得して上回っている)。
エムブレム、都知事問題と、すでに今の段階から薄汚れた感のある2020年「東京オリンピック」だが、果たして、かつてのような青空を期待できるだろうか。
*英訳 'Look Who's Back:邦訳森内薫、河出書房新社、2011年、その後河出文庫、上、下、2016)。