16世紀末のヨーロッパ寓意画
この1592年のヨーロッパは、国境が絶えず変化し見定められない世界とみて、聖母マリアの姿で描かれている。'Wandering Borders' by Norman Davies, TIME Special Issue, Winter 1998-1999, PP29-31.
一度ご破算にしよう。6月24日、国民投票で過半数を獲得したイギリスの「離脱」派の投票行動の裏には、明言しないまでも、どこかにそうした思いがこもっていたのではないか。1970年代、イギリスは、デンマーク、アイルランドと並び、欧州共同体(EC)へ加盟(1973年)した。その後、サッチャー首相の時代(1979-90年)に見られるように、一時はヨーロッパの政治外交を主導する国であった。1990年になって英国は、ERM(欧州為替相場メカニズム、1979年設置)にかなり遅れて加入したが、92年ポンド危機をきっかけに脱退してしまった。その後、1993年にはマーストリヒト条約の発効により、ECを基盤に欧州連合(EU)が12カ国で発足した。そして、加盟国も大きく拡大、発展はしたが、同時にさまざまな、しばしば煩瑣な規制や負担が、あたかもしがらみのように、ブラッセル(EU)からEU域内諸国に浸透していった。2002年には、ユーロ紙幣、硬貨の流通が開始されたが、イギリス、スエーデン、デンマークの3カ国は、導入しなかった(導入は12カ国)。
EUのその後の拡大(2013年クロアチア加盟で28カ国体制)に伴い、金融、財政、労働、社会生活など、多くの面でイギリスを含む加盟国の主権や自主性が、じわじわと規制されてきたような雰囲気が生まれていた。最終的には政治的統合を目指すEUとしては、いつかは通らねばならない過程ではある。
イギリスでは経済の好調さもあって、域内諸国からの移民労働者の流入も増加した。国内の低熟練労働者の間には、自分たちの仕事が移民に奪われているという思いもあるだろう。しかし、その裏には一部地域への移民・難民の集中・集積による人種感情の軋轢、増加した移民などに対する「見えない壁」の形成、それらを主導したEU(ブラッセル)や中央政府への反発などもあった。こうした感情の鬱積、不満はイギリスに限らず、大陸諸国にも見られることだが、従来からの経緯もあって、島国のイギリスにとっては、EUからの「離脱」は、大陸支配からの「自立」の試みを思わせるところもあった。とりわけ「古き良き時代」を知るイギリス人には、自国の伝統、主権が侵食されているというやりきれない思いもあったかもしれない。これらの点に関わる議論はかなり以前からあったのだが、政治的に整理しきれていなかった。
国民投票の結果、「離脱」派が勝利したが、株式市場、金融市場は狼狽し、直ちに反応、ポンドは1985年以来の大幅な下落となった。世界同時株安も瞬時に発生した。英国の「離脱」が現実のものになると、EU諸国はかなり動揺し、最大の危機を迎えている。
キャメロン首相に代表される政治家は「残留」優位と、やや甘く踏んでいた感がある。人間の心情として、進んで乱を求め、冷水に入ることは避けるからだ。EUに残留すれば、さまざまな不満は残るが、離脱に伴う混乱の収拾、制度その他を新しく設計、改編するなどのマイナス面と比べれば、はるかによいというのは、比較的中道(たとえば、The Economist, June 11th 2016)の人たちの考えだった。
それが、「想定外」の結果となった背景には、さらに加えて最近の政治のわかりにくさ、エリート主導、理念先行型の地域統合への不満などもあったと思われる。地域から見ると、押し付け型の印象がある英政府や議會、「専門家」たちへの不信も累積していた。かつて滞在したことのあるイングランド東部地域の住民感情などを思い浮かべると、住民の意図や思いが届かない、ブラッセルなど自分たちの住む所から遠く離れたところへ政治の中心が移ってしまっているという感じ方も分かる気もする。
このところ、EU諸国のかなり多くで、反エリート主義、ポピュリズム、極右政党の台頭などが注目されてきた。今回の大打撃で、ブラッセル(EU官僚)も少なからず冷水を浴びた。EU官僚、移民の増加などが共通の敵として、加盟国の国民からみなされていると、EUユンケル委員長は述懐する。しかし、気がつくのが、あまりに遅すぎた。こうしたことはすでにかなり前から指摘されていたからだ。ひとつ指摘しておきたいのは、このたびの政治的混乱に乗じた極右政党、過激派などの台頭を許してはならないことだろう。もっとも、これはヨーロッパに限ったことではない。
他方、ボリス・ジョンソン前ロンドン市長のように、ナショナリズムに訴え、明るい未来を説いて、中下層の士気を鼓舞するという動きは「離脱」派を後押しした。確かに、「離脱」することで、過大な規制、制度の制約から脱し、創造的な活動基盤が期待しうるという考えは、ある面では望ましいことでもある。しかし、そのための基盤創生、再整備のために多大な時間と資金を要することも事実だ。選挙戦の終盤に入るとそうした不透明さや不安を予想した「残留」派がやや優勢という空気が漂いつつあった。
政治的混迷の中で、「離脱」派勝利が決定した時のキャメロン首相の表情は悲痛に満ちていた。こんな形でダウニング街10番地を去ることになるとは予想していなかったのだろう。しかし、わが東京都知事の無様な退任と比較すれば、毅然として凛とした退場だ。
これでひとつの時代が終わったが、続く収束の過程は長い。「離脱」のためにはさらに2年間のさまざまな作業が予定されている。その間には、フランス大統領選挙、ドイツ連邦共和国総選挙も行われる。EUは激浪の中での舵取りを迫られる。
事態は、さらに複雑で混迷した流れへと巻き込まれることは避けがたい。「離脱」、「残留」が僅差で決まったことで、結果に不満を持つ層が多数生まれ、今後あらゆる分野で議論がまとまらず、手間取り、錯綜するだろう。EU離脱後の英国が、実際にいかなることになるか、説得力のある構想・議論が少なかったことも懸念される。「離脱派」の弱点は、離脱した後に自立して発展してゆけるかという点で、政策的裏付けに迫力を欠き、国民への説得性が弱いことにある。「構想なき離脱」だった。
「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」 United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland は、かくして激震を体験した。今後に予想される余震もかなりのものとなりそうだ。理論と現実の差異は大きい。衝撃を体験してみて初めて分かることもある。難民問題の焦点だったトルコのEU加盟など、いまやほとんど忘れられている。ひとつの時代の終わりが、いかなる始まりにつながるか、世界はまさにドラマの舞台である。
*第一パラグラフ、説明不足のため加筆(2016/06/26)。