時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

絵の裏が面白いラ・トゥール(7):画家の謎に迫る

2019年09月20日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

 

ラ・トゥール(1593 - 1652)という画家は長らく「謎の画家」と言われてきた。その生涯は、作品発見の過程から今日まで多くの謎に包まれてきた。この時代の画家に必ずしも限ったことではないが、当時の画家の生涯や作品には不分明な点が多く、今日すべてが明らかになっているわけではない。画家の中には名前すらほとんど知られることなく、歴史の中に埋没してしまった人々の方がはるかに多いといえる。

その後、美術史家たちの弛まぬ努力の結果、たぐい稀な才能に恵まれ、異色な生涯を送ったラ・トゥールという画家の生涯と作品制作の実態が次第に解明され、今日にいたった。ラ・トゥールは今や17世紀フランス画壇にそびえる中心的画家のひとりである。

それにもかかわらず、この画家の生涯、そして作品の制作をめぐっては多くの謎が生まれ、「謎の画家」としても知られてきた。その謎のいくつかは、この稀有な画家がたどった人生と画業にまつわるものである。ロレーヌという戦乱や災害に苦しんだ地方で画業生活を過ごした画家であったため、史料や作品の多くが散逸し、その多くは戦火などで失われたものと推定されている。発見された史料の類は数少なく、断片的である。そのため、史料の解釈をめぐっては、多くの異論が提示されてきた。画家の生前の精力的な制作活動から推定して、現在画家の真作と推定される50余点を数倍は上回る作品を残したと思われる。


「昼」でも「夜」でもない世界
今回は、ラ・トゥールにまつわる伝承や謎に関わる問題のひとつを取り上げてみたい。ラ・トゥールは長らく「夜の画家」あるいは「闇の画家」と言われてきた。しかし、1972年にパリ・オランジェリでこの画家の全作品を集めた特別展が開催され、《ダイヤのエースをもつ女いかさま師》、《女占い師》が初めて公開され、大きな反響を呼んだ。

画面には蝋燭も松明も見当たらず、それまでラ・トゥールの作品の特徴として伝承されてきた「夜の作品」ではなかった。ラ・トゥールの研究者たちは、この長らく忘れられ、多くの謎に包まれた画家が、「昼の作品」をも制作していたことに驚かされた。ここでいう「夜あるいは闇の画家」という意味は、作品の背景が夜のごとく暗く、画中には蝋燭、油燭、たいまつなどの光源が描かれ、人物などを映し出している作品を意味している。光源らしきものは見当たらず、「神の光」とも言われる、どこからともなく射し込んでいる光が描かれている作品もある。画面には、画家が最も重視する人物などが、委細克明に描かれている。他方、「昼の作品」といわれる絵画には、蝋燭など光源のようなものは一切描かれていない。「昼の作品」が見出された後には、他の画家の作品ではないか、あるいは習作ではないかとの評もあったが、間もなく画家の真作であることが確認された。今日では画家の代表作の一つとなっている。


余計なものは描かない 
ラ・トゥールの作品の特徴の一つは、テーマに直接関連しないと思われる部分は徹底して省略されていることにある。例えば、この画家の作品で、背景の壁や家具あるいは景色などが、それと分かるように描かれているものはほとんどない。夜とも闇ともつかない不思議な暗色系の色で塗りつぶされている。

同じ17世紀のオランダの画家フェルメールが室内にあるものすべてを克明に描いているのとは全く正反対であり、ラ・トゥールは自分が考える必須の対象だけに集中し、その他のものはほとんど描いていない。対象への集中に専念したのだろう。フェルメールの作品は現代人の多くの目には、大変美しく見えるが、画家の抱く精神的世界での沈潜は浅く、厳しい評価をすれば、表面的な美の世界にとどまっている。これに対して、ラ・トゥールの作品の多くは、描かれた人物の生涯、精神世界に観る者を引き込む引力を感じさせる。多くの作品が何を描いたものであろうかと、観る者に思索を求める。一例を挙げれば、《ヨブとその妻》や《蚤をとる女》などがそれに当たるだろう。

 この画家の作品を長年にわたり見てきたブログ筆者は、ラ・トゥールは「昼の画家」でも「夜の画家」でもなく、「光と闇のはざまに生きた画家」と評価している。この画家の作品を、この視点から見直すと、多くの作品が室内とも屋外ともつかず、背景は不思議な暗色で塗り込まれている。思うに、この画家にとって、昼と夜の区分は問題ではないのだ。


大工ヨセフ》の作品に見るように、室内とも屋外とも、場所も定かではない。ヨセフと幼きイエスは同じ空間に描かれながらも、二人の視線は交差することなく、あたかも俗界と霊界を区分する見えない線が引かれているようだ。

そして、ラ・トゥールの晩年の名作《砂漠の洗礼者聖ヨハネ》を見ても、その点がうかがわれる。疲れ切った青年が目の前の羊に草を与えている。しかし、その場所がどこであるか、まったく分からない。どこからか光が微妙に差し込んでいるが、昼か夜かの区別すらできない。


ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《砂漠の洗礼者聖ヨハネ》

ロレーヌの冬の空は暗く、春が待たれる。自動車道から離れ、少し森の中に踏み込むと、獣道のような道ともいえない道があり、深い森に続いている。立ち入るほどに昼なお暗く、土地の人の話では猪や鹿狩りも行われているという。事実、筆者が訪れた時にも、遠くで銃声のような音が聞こえていた。17世紀までは、夜になると魔女が集まり、踊り狂う恐ろしい場所でもあった。魔物の住む恐ろしい闇が待ち構えていると恐れられていた。闇が人々の生活を支配していた時代だった。

戦争、飢饉、重税など、絶えず襲ってくる幾多の災厄、危機に、農民のみならず、画家の心象風景も不安や見えないものの恐れに揺れ動いていた。キャンバスに向かう画家の心には描くべき対象だけがすべてであり、昼か夜かなどの区分は問題にならなかったのだろう。

 

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