時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

一枚の絵に世界を見る:シャルダンの《洗濯女》The Laundress ~1~

2020年10月11日 | 絵のある部屋


《洗濯女》(職業)
Jean Simeon Chardan (1699-1779)
The Laundress (French: La Blanchisseuse), 1733
37.5 x 42.5cm 
Stockholm, National museum
画家シャルダンは、この画題で3点のほぼ同一の作品を描いた。最初の作品はHermitage Museum が所蔵している。2番目が上掲の作品である。第3番めの作品はロスチャイルド家のコレクションに入っていたが、第二次世界大戦中に滅失したと伝えられる。





この絵はいったいなにを描いたものでしょうか。時は18世紀前半のフランス。描かれているのは3人、2人の女性と1人の子供。女性のひとりは後ろ向きで顔も分からない。それでもよく見ると、片隅には猫も描かれています。しかし、場所といい、室内の暗さといい、当時の上流階級が好んだような宮殿や豪華な装飾のある室内などとはおよそ反対に近い場所だ。この時代によく見かけたエレガントな男女の肖像などとも、縁遠い人たちがそこにはいる。

洗濯を仕事として
この作品、「洗濯女」The Laundressといわれる人の仕事場の情景とされている。洗濯をいわば職業として生きている女性である。描かれた時は、パリは平和と繁栄を享受していた。ルイ14世の乱費を伴った戦争が終り、海外との貿易が成果を上げていた。新たに開発された布やガラスのような新商品が話題となっていた。職人たちの世界は次第に企業家によって主導される方向へと移行していた。こうした中でフランスの貴族たちは人生の楽しみを享受していた。フランス革命はこれから50年くらい先のことであった。美術史上ではアントワーヌ・ワット、ブーシェ、フラゴナールなどで知られるロココの時代であった。

華麗な時代環境の中で、ここに取り上げられた洗濯場、洗濯女といった無粋な画題は、当時の華やかな美術のレパトリーからすれば大きく主流から外れたものだった。しかし、この作品をてがけたシャルダンは例外であった。シャルダンの父は建具などの指物師の親方であり、王室のビリアード・テーブルの補修などを手がけていた。現在のパリ、サンジェルマン・デ・プレに工房を開いていた。

シャルダンがここに取り上げた対象は、家内労働といわれる範疇に入り、およそ画題には縁遠いと思われていた。描かれている女性もシルクやダマスクスのスカートをまとったハイヒールの女性ではない。洗濯を仕事としてたくましく生きている女性の仕事場である。女性の子供なのか、足元に座り込み、シャボン玉を吹く子供も、つぎの当たったくたびれた上衣を着ている。そこは、時にはブルジョア家族が住む家のひっそりとした片隅であった。

画家が住んだ家の片隅に
シャルダンはこの作品を描いた時、パリの両親と一緒に暮らしていた。家には25人くらいが一緒に住んでいたといわれる。工房は表通りに面していたが、家自体は質素な作りで細長く上方と後方へつながっていた。洗濯場は日の当たらない奥にあり、数人の若い娘たち jorners journeyman も働いていた。後ろ向きに描かれている女性は、おそらくそうした娘なのだろう。

シャルダンは妻と2人の子供と両親の家に住み、母親に年210リーブルを渡していた。彼はそこに8年間住んだ。画家の妻の両親は娘が画家という不安定な仕事をする男と結婚することに反対していた。妻は病気がちで1731年に男児、1733年には女児が誕生した。しかし、その妻は1735年に死亡した。画家は再婚したが最初の妻の死から9年後であった。再婚相手は裕福な未亡人で自宅を持っていた。最初の結婚は短く8年間であり、その後9年の独身という空白を経ての再婚であった。18世紀的なメンタリティともいわれる。

シャルダンの両親は、夫が指物師という職人であったとはいえ、生活は貧しかった。さらに当時起きた銀行のスキャンダルなどで貯金も失い、催事の花火の仕掛けなどを作って小銭を稼いでいたらしい。

シャルダンは画家として徒弟から職人になるという道を経ずして、多くの無名の画家たちから手ほどきを受けていた。当初はジャンルとして最高ランクに位置づけられていた「歴史画」を描くことを志したが、画題の選択、時代考証、構図の設定など、準備に時間資金を要したこともあって、静物画など手近かなジャンルに目標を定めたようだ。

作品に光が当たる時
1734年、シャルダンはパリのドーフィヌ広場で開催されたオープン・エアの展覧会に出展し、1735年にはここに取り上げた《洗濯女》The Laundress 他1点をロイヤル・アカデミーの絵画・彫刻展に出展した。この作品には多くのレヴューが生まれ、作品の買い手も現れた。

シャルダンのような質素な家庭でも、少なくとも1人はメイドを雇っていた。家事は大変だったが、1人のメイドは比較的安い費用で雇うことができた。彼女たちの多くは農家の口減らしのために都会へ働きに出てきていた。衣食住の環境は劣悪で住み込んだ家では台所や階段の下で寝ていた。彼女たちはいちおう衣服は支給され、特別な時には若干のボーナスも出た。しかし、彼女たち、しばしば侍女servant girlと呼ばれたが、その生活、そしてたどった運命は過酷な事が多かった。厳しい状況で働き、生きていた女性たちであったが、シャルダンはソフトに描いた。
このブログでもすでに《市場から帰って(あるいはパンの重さなどで記したことがある。
続く
コメント
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