時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ゲームセンターのマルクス:デジタル資本主義のひと駒

2020年12月09日 | 書棚の片隅から


Jamie Woodcock, MARX at the Arcade: Consoles, Conttrollers, and Class Struggle: Consoles, Controllers, and Class Struggle, Hay MarketBooks, Chicago, Illinois, 2019
ジャミー・ウッドコック『ゲームセンターのマルクス: コンソール、コントローラー、階級闘争』(邦訳なし)


現代資本主義のプラットフォーム(舞台)が急速にデジタル社会へと変化しつつある。産業革命以降、資本主義の中枢部分を構成する産業は段階を追って変化してきたが、いまその中軸はデジタル化という次元へと移っている。

ビジネスや教育の場でのオンライン化は、予想を上回る規模と速度で展開している。新型コロナウイルスの感染拡大はその動きを加速化している。在宅勤務、テレワークやオンライン教育など、当初の予想を超えて浸透した動きもある。他方、コロナ禍拡大の前から見られた変化だが、労働環境の劣悪化が憂慮されている動きもある。

年末、アメリカ人の友人とのやりとりの中で、現代の労働に関するいくつかの本が話題となった。その中から興味深い1冊(上掲)を紹介してみよう。

『ゲームセンターのマルクス』
意表をつくテーマだが、ビデオゲーム産業をマルクス経済学の視点から分析を試みた作品である。マルクスもエンゲルスも現代のビデオゲームとはまったく関係ない。彼らが生きていた時代には存在もしなかった産業である。しかし、著者のウッドコックはマルキストの経済学者として、本書でれらを結びつけようと試みた。

著者はオックスフォード大学のインターネット研究所に所属するリサーチャーだが、これまでにもイギリスのコールセンターで働く労働組合組織化などの研究で知られてきた。マルクス主義の立場からビデオゲーム産業とそこに働く人々を分析することを目指した著作である。


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ビデオゲーム*(Video game)とは、英語圏における「据え置き・携帯機(コンソール)ゲーム、テレビゲーム」「アーケードゲーム」「PCゲーム」などの総称である。「テレビゲーム」に限定される言葉ではない。
DFC Intelligenceの調査によると、2020年半ばの時点で*ビデオゲーム*の消費者数が約31億人に上っていたことが明らかになった。 全世界の人口*は約80億人なので、人口の約40%がなにかしらのビデオゲーム*をプレイしていることになる。 このうち最も急増しているのは、スマートフォンだけでゲームをする層である。本書で主として取り上げられているのはアメリカだが、アメリカ、イギリス、日本などでも実態は近似している。日本については、下掲の分析などを参照されたい

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最初にビデオゲームが世に出たのは1940年代だった。現実に退屈した技術者たちは、コンピュータの上でゲームをすることに夢中になってきた。結果としてビデオゲームは急速に世界中へ広がった。Forbes誌からの引用として、今日ではPOKEMON GOの遊戯人口のおよそ69%は、仕事中に遊んでいるという。新しいゲームは、しばしば2億人のスマホ画面に登場している。アメリカではエンターテインメントに費やす金額の51%はビデオゲームだとも言われている。音楽産業への支出の3倍近い。気づかないうちにビデオゲームはグローバル文化で大きな領域を占有している。

本書は2部に分かれる。I 部:Making Videogames 歴史、産業の実態、II部:Playing Videogames: ゲームである。産業の実態がもっとも面白いと感じたので、その部分を少し紹介しよう。目次は下掲。


現実に飽きて
ゲーム産業は現実の世界のアイロニーだ。ビデオゲームがまだ初期の段階だった頃、ゲームの開発者たちは「働くことや、規律、生産性向上などが嫌いな」連中だった。時間表に合わせての生活も嫌いで、レジャーと快楽主義に耽っていた。反体制的な若者も増えた。

彼らがプレイするゲームもきわめてイデオロギー化し、政治的な方向性を含むものとなる。有名なゲーム「モノポリー」Monopoly も最初の億万長者の地位に「技能」と「幸運」で到達することを目指す形から、「私的財産」が手段に含まれ、さらに「階級闘争」、「社会主義」(労働者が勝つ!)、「Barbarism 」(The Capitalist Win!)など、現実の世界に近づけ、政治的思想を盛り込んだものも現れるようになった。

資本主義を律するルールも時代とともに変わった。ビデオゲーム産業で働く人は、仕事の内容を公表しない協定 NDA: Nondisclosure agreement にサインすることなしには、雇用主は採用面接に応じない。労働者側から提示される情報は少ない。はっきりしていることは、無権利の苦汗労働への後戻りなのだ。何千という企業がゲームを開発している。そして彼らは全てひとつのプレイブックに従って行動し、労働者は雇われ、仕事をしている。

彼らは当初、まずまず decent と思われる給料でデベロッパーとして雇われるが、その後は手当のようなものもなく、週90時間はフルに働かせられる。その結果、実質給料は半減以下となる。ロイヤリティも仕事の保証もない。こうした厳しい拘束期間(crundh クランチ)が終わり、指定された製品が完成すると、労働者はクビになる。彼らはまた新しい製品の開発計画があると、以前の仕事とは無関係に雇われることになる。

クランチとは、新作ゲームのリリース前に、ときに強制的に行われる過酷な長時間労働。ゲーム産業では広く見られる。

劣悪な労働だが
この産業はレイシズムとセクシズムで満ちている。女性は見下され、15%は低い賃金で雇われる。労働者は製作工程をきわめて狭く区分され、仕事をしているので、自分が作っているゲームには誇りも持てず、出来上がったゲームにクレディットもつかない。最後にいかなる製品になるのかもわからないのだ。労働者の仕事は、フォード・システムの自動車組み立てラインの一部を割り当てられているようだ。最終的にどんな作品の一部となるかも分からない。仕事へのモティベーションなどなく、フラストレーションだけはきわめて高い。

しばしば週100時間を越える長時間労働や残業代の未払い、会社都合の大量レイオフなど、劣悪な労働環境が横行するゲーム産業だが救いはあるだろうか。

実際、これは100年以上前の産業革命当時の仕事の仕方であり、異なるのはそこに新技術が加わっているだけだ。シリコンヴァレーの億万長者が生まれる背景は、現代ではしばしばこうした労働を背景にしてのことなのだ。なんだ! これでは昔と変わりがないではないか。表題にマルクスが出てきたのはこのことか。

歴史は繰り返す
この本にわずかな明かりが見えるとしたら、労働者が自らが対面している問題に気づき、交渉力強化のために組織化を企てていることだ。主要な組合は目もかけないが、ニッチの組合が組織化の方法を教えたりしている。

こうした歴史が繰り返すということはきわめて残念なことだ。解決への方法も代わり映えしないではないか。著者ウッドコックはなにを言いたいのか。

ビデオゲーム、コンピューターゲーム、電子ゲームなどの名前で呼ばれるゲームは、いつの間にか20世紀を構成する資本主義のパラダイム媒体となりつつあった。

ウッドコックの著書は、ビデオゲーム産業において人々が各持ち場でいかにプレイし、生産し、利潤を生み出しているか、そして現代資本主義においてビデオ産業が果たしている役割の拡大を、ラディカルな視点から分析している。一見、表題から判断しかねないキワモノではない。しっかりとした論理と考証で裏付けられている。

ビデオ産業は、現代アメリカでは3240万人がかかわり、推定収益は1084億ドル以上を稼ぎ出すといわれ、映画や音楽をはるかに凌いでいる。しかし、これまで他の形式の芸術や娯楽産業と同様に調査・分析されたことはなかった。さらに、ビデオ産業では、劣悪な労働状態が広く蔓延していた。そのため、労働者のさまざまな抵抗や組織化が行われてきた。著者ジャミー・ウッドコックはマルクス主義の枠組みでアーティスト、ソフトウエア開発者、工場や出荷・配送などの労働者による広大なネットワークが形成されてきた実態を分析した。

ラディカル・アナリストとして知られる著者は現代の若者世代に人気のゲーム産業の隠れた現実に踏み込み、とてつもなく膨大な製品群の中で働く目に見える、あるいは隠れて見えない労働者の流れに注目する。そして、未だ十分には認識されていないこの産業が経済や仕事の世界で果たしつつある役割に注目する。

ギグ・エコノミーの実態は
ここに取り上げたビデオ産業などで急速に拡大している新たな働き方は、「ギグ・エコノミー」といわれるようになったインターネットを活用したフリーランスとしての働き方だ。「ギグ」とは、音楽業界で活躍するアーティストなどにみられる、その場かぎりの単発のライブを指す言葉として使われてきた。それから転じて、インターネットを経由して単発の仕事を受注する働き方、そしてそれに基盤をおいた経済のあり方を「ギグ・エコノミー」と称するようになった。また、こうしたスタイルで働く人達を「ギグ・ワーカー」と呼ぶようになった。

 インターネットの発達は、かつて雇用の主流であった企業に所属して長期的にそこで働くというワークスタイルにも大きな変化をもたらし、今後の労働市場のあり方を決めることになっている。ギグ・エコノミーでは個人のスキルに着目し、企業とフリーランスが単発で仕事を受発注することで成り立っている。ギグ・ワーカーといわれる新たな労働者、そして働き方がどれだけの比率を占めるかは未だ不確定だが、今後の仕事の世界の構図に大きな変化をもたらすことは確実である。

テレワークなどのオンラインの仕事への移行は、予想外に浸透・拡大したが、医療や教育の分野ですでに露呈しているように、行き過ぎてて破綻している部分もある。パンデミックの終息とともに、望ましい状態への復元努力が必要になることは必至と思われる。

コロナ後の仕事の世界、労働市場がいかなる形で再構成されるか。表題にとらわれずに読めば、本書はコロナ後の産業や仕事のあり方についていくつかの重要な論点を提起している。




CONTENTS
Introduction
Part I: Making Videogames
A History of Videogames and Play
The Videogames Industry
The Work of Videogamers
Organizing in the Videogames Industry


Part II: Playing Videogames
Analyzing Culture
First Person Schooters
Role-Playing, simulations, and Strategy
Political Videogames
Online Play
Conclusion: Why Videogames Matter

Reference
柳川範之・桑山上「家庭用ビデオ産業の経済分析ー新しい企業結合の視点=











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