Albrecht Dȕrer(1471-1528), Job and His Wife, c.1504, oil on panel,
Städel, Frankfurt, and Wallraf-Richartz Museum, Cologne, detail.
アルブレヒト・デューラー『ヨブとその妻』 部分、鍵に注意
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神は細部に宿る
このラ・トゥールの画題と意味について、なぜこうした一見些細なことにこだわるのかとおもわれるかもしれない。確かにブログ開設の頃は、大学生や一般社会人向け教養講座の水準であったが、10年余りも経過すると、内容も時にかなり深入りし、継続して読んでいないと分かりにくい水準にまでなっている。管理人の覚え書きの代わりを果たすこともあり、ブログにしては少し重いことは自覚している。しかし、同時にこの問題にかぎらず、細部を知ることなくして、世の中の真理は分からないと思っているので、ヨブのように(笑)、じっとがまんして読んでくださる方には有り難く感謝したい。
ラ・トゥールという希有な画家の作品の一枚も、細部を知らないと、なにを描いた作品なのか分からずに、ただきれいな一枚の絵で終わってしまう。これまでも繰り返し強調してきたが、ラ・トゥールという画家については、特に見る人と画家(作品)との精神的対話が求められる。その対話なくして,ラ・トゥールは分からない。
実は人生も同じなのだ。世の中の出来事を注意深く観察する目を養いながら、細部に関する知識を累積してゆくことで、次第にその深みが見えてくる。最近では、再び大学の危機が議論の俎上に乗る中で、「教養」の必要が話題となっているが、筆者は昨今の教養をめぐる議論には大きな疑問を抱いている。あまりに大きな疑問なので、いつか改めてブログ上に登場させるかもしれない。
閑話休題
前回のアルブレヒト・デューラーの作品『ヨブとその妻』を思い起こしてみよう。16世紀初頭、1503年頃の制作と推定されている。画面にはヨブに多大な苦難を与えているサタンのような姿、あるいはヨブが座って考えこんでいる汚い堆肥のような、一見してあまり美しくないものは、依然として描かれているが、同時代の他の画家あるいは17世紀のステラの作品で見たように、あまり見たくないという作品ではない。作品が祭壇画として描かれたこともあるが、美しい作品である。ヨブとその妻の話に関心を抱く人にとっては、きわめて興味深い作品になっている。ちなみに、この祭壇画は3枚から成るが、左側にあるべき一枚は逸失しており、諸説あって今日の段階では確定されていない。この2枚も、別々になっていたが、ヨブの妻の衣装のつながりから、接続していたことが確認された。
鍵の持つ意味
前回、ヨブの妻の腰帯に鍵の束がつけられていることに着目した。実は「鍵」は絵画を見る際にきわめて重要なアトリビュート(その人の属性などを示す持ち物)なのだ。古くはイエス・キリストが聖ペテロに神の国への鍵を渡したことで、よく知られている。今日でもオリンピックなどの祭事などの時に、市長などが大きな鍵を持っている光景を見ることがある。鍵は権威の所在、持ち主などを象徴的に示すものでもある。
16世紀のデューラーやさらに時代を下って17世紀、ラ・トゥールの作品を見ていると、ヨブと妻の関係が、それまでの夫に従わない悪い妻であるというイメージが、時代ともに少しずつ変化していることに気づく。財産も子供もすべて失ってしまい、さらに自分が皮膚病に苛まれ、それでもじっと耐えている夫ヨブの背中に水をかけてやる妻の顔色には、夫を嘲り、蔑むような感じは、まったく見られない。むしろ、サタンが企み、神が認めた、ヨブの身体を究極の苦難にさらすという試練に、じっと耐えている夫への愛と同情が感じられる。それは、『ヨブ記』では、図らずも口にしてしまう妻の一言とは別の次元と思われる。
若い世代の人たちには、第一回に掲げた『ヨブ記j』の文語訳は、理解しがたいかもしれない。筆者は文語訳に慣れていて抵抗感はないが、ここに口語訳聖書の該当部分を記しておこう:ふりがなは原則省略。
ことの起こり
1(略)
2 またある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来て、主の前に進み出た。主はサタンにいわれた。
「お前はどこから来た。」
「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。
主はサタンに言われた。
「お前はわたしの僕(しもべ)ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。お前は理由も亡く、わたしを嗾して(そそのか)して彼を破滅させようとしたが、彼はどこまでも無垢だ。」
サタンは答えた。
「皮には皮を、と申します。まして命のためには全財産を差し出すものです。手を伸ばして彼の骨と肉に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」
主はサタンに言われた。
「それでは彼をお前のいうようにするがよい。ただし、命だけを奪うな。」
サタンは主の前から出て行った。サタンはヨブに手を下し、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせた。ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中(からだじゅう)をかきむしった。
彼の妻は、
「どこまで無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう。」と言ったが、ヨブは答えた。
「お前までが愚かなことを言うのか。わたしたちは神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」
このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。
(以下、略)
聖書(新共同訳)「ヨブ記」2.8 (旧)776-777
ここでは,「ヨブ記」のさらに詳細については触れないが、この文脈の流れに沿って、宗教的・社会的イメージが形成され、それはカトリック、プロテスタントを含めて大きな影響を及ぼした。その時代に生きた画家たちもそうした時代の受け取り方の中で、最大限の創造力を発揮して、この主題に挑んだ。
画家の創意に迫る
さて、本題に戻って、前回までのラ・トゥール、そしてそれより一世紀前の巨匠デューラーの作品が、他の多くの画家たちの作品あるいは多くの理解と異なって、画家独自の主題理解、創意とその工夫が画面に込められていることを記した。
とりわけ、筆者は伝統的に伝えられてきたヨブの肉体的苦難の描写以上に、ヨブとその妻の対比的位置、妻の衣装、アトリビュートなどに関心を惹かれた。いうまでもなく、この2人の天才的画家の作品は、この主題のきわめて残酷な情景を極力回避し、きわめて感動的で美しいものに仕上がっていた。筆者がラ・トゥールに惹かれるようになったいくつかの作品の中で、図抜けて美しく魅力的なものであった。
しかし、ラ・トゥールの作品には多くの謎が込められている。それらの謎を解くためにこの主題を描いたいくつかの作品、研究成果などを探索している過程で、出会った一枚は、デューラーの作品であった。 デューラーとラ・トゥールは、時代をほぼ1世紀隔てるが、そこには共通したものが流れている。特にヨブの妻のルネサンス風の衣装とラ・トゥールの描いたヨブの妻の聖職者を思わせる美しい、しかし、ヨブとの特別の社会的関係を思わせる衣装に目を惹かれた。
そして、気づいた点のひとつはデューラーの作品で、ヨブの妻の腰帯につけられた鍵(束)であった。デューラーもラ・トゥールも制作に当たり深い思索をこらし、作品の主題に不必要なものは極力描かない。逆に言えば、描かれたものには意味があるのだ。
さて、こうしてヨブの妻の衣装、そして腰帯につけられた鍵の意味を探索する試みを続ける旅の途上で出会った作品が次の一枚だった。
なぞに迫る一枚
Jan Mandyn(1500-1560), Les épreuves de Job, Musée de la Chartreuse-Douai, Phototheque-Musée du Douai. 画面クリックして拡大
ヤン・マンディン『ヨブの試練』
オランダ北方ルネサンスの美術家ヤン・マンディンJan Mandyn(ca.1500-1560)は、ヨブをあざける光景を描いている。画面の左側にはヨブとその妻が描かれている。ヨブの妻の腰帯にはあの鍵がつり下げられている。そして、ヨブの妻の衣装は、筆者がラ・トゥールの作品で感じたように、普通の町の人々が着る日常着ではない。明らかになにか特別の恐らく宗教的な意味を持つ衣装である。
この作品を残したヤン・マンディンはオランダの画家ヒエロニムス・ボッシュHieronymus Bosch の画風に従ってきたといわれる。Boschの作品は、ご存知の方はすぐに思い浮かぶように、作品の明快な解釈を難しくずる特異な画風だった。Boschの工房でもヨブの生活を1507年から 3枚折の祭壇画を制作した。この作品では楽士たちと町の人たちを描いているが、ヨブの妻は描かれていない。どちらの作品でもヨブを嘲弄する場面を描いたものとされる(画題は後世の人がつけたものかもしれない)。しかし、描かれた人物の性格は依然として謎を秘めたものだ。
上掲の作品を制作したヤン・マンディンは、オランダの画家である。この作品が収蔵されている場所の名から、最近話題となったある映画名を思い起こす方もあるかもしれない。Chartreuse-Douaiはフランス最北部に近い所にある。このことも、デューラーやラ・トゥールの議論に関連するかもしれない。まだ、謎の解明は終わらない。今日はこれまでにしましょう。
続く