時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ヨブの妻は悪妻か:ラ・トゥールの革新(3)

2015年07月14日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

 

アルブレヒト・デューラーヨブとその妻』
ヤーバッハ祭壇画の一部
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 ヨブとその妻についての話を知っていたり、関心を持っている人は、ブログ読者の中でも数少ないのだろう。そのことはアクセス数その他で直ちに知ることはできる。身近かなカトリックの信者の方に聞いても、当方の疑問についての手応えある答や説明が戻ってくることは少なくなった。旧約聖書に出てくる聖人の名前でしょうか、聞いたことがあります程度の反応で終わってしまうことが多い。

 ヨブの妻が長らく悪妻の象徴的存在のひとりにされてきたことについても、ほとんど知る人が少ない。今回話題としているラ・トゥールの作品についても、きれいな絵ですね、初めて知りましたなどのコメントは多数いただくが、実際にこの作品の主題がいかなる内容であるかを答えられる人も少ない。世の中が変わったといえば、それまでなのだが、少なからず残念な気がする。

ラ・トゥール効果
 ほぼ同時代の画家フェルメールのように、ただ目の前にある世俗的情景を美しく描いた作品と異なって、ラ・トゥールの多くの作品には画家の深い思索の結果が凝縮されている。風俗画など世間で話題のテーマをそのまま描いたものはない。世の中でよく知られたテーマであっても、この画家は安易に時代の風潮に乗ることをせず、常に他の画家と一線を画すいわば革新を企図していた。一枚の絵からは、その制作に精魂込めた画家の精神、さらには背景にある画家が生きた社会の姿が浮かび上がってくる。不思議なことに、ひとつひとつは小さなことだが、こうしたことが積み重なって行くと、広く時代を見る力、先を見通す力など、多難な時代を生き抜く上での手がかりのようなものが得られる気がする。


 一般社会人のセミナーなどで、何度か少し立ち入った話をすると、終わりの頃には、かなり核心に迫った質問や感想が出てくる。こうした人たちは目に輝きが増し、自分で考えさらに調べてみようという意気込みが感じられる。これはとても嬉しいことだ。

 西洋美術史家でもない私が、あえてこうしたトピックスをとりあげていることについては、いくつかの理由がある。およそ半世紀前にフランスの小さな町の美術館で、この作品に接した時の衝撃は、今も残っている。同行してくれたドイツ人夫妻との議論も長く続いた。掲示されていた画題から、画家がなにを描いたものであることは分かったが、長年にわたる伝承と作品の間隔に、なんとなくしっくりしないものを感じてきた。さらに美術史家の説明にも納得できるなかった。これは前回に記した作家のパスカル・キニャールも感じたことに近い。しかし、パスカル・キニャールは残念にもそれ以上、探求することをせず、旧来の伝承を受け入れてしまった。

 このラ・トゥールの『ヨブとその妻』は、神への信仰の真実さを確かめる最後の試練として加えられた皮膚病に苦しむヨブよりも、妻の側に重点が置かれている。この作品での妻の存在感は、ひと目見ただけで圧倒的だ。しかも、そこからはヨブに対する蔑みや愚弄する言葉は聞こえてこない。雑念を離れて見れば、そこには神へひたすら傾倒し、その信仰の真実性を試すために加えられた厳しい病に悩む夫と、それを心配し、慰めに来た妻というきわめて自然な関係が見えてこないだろうか。

ヤーバッハ家の祭壇:デューラーの試み
 それまでの通念は、ヨブの妻は夫を侮り、軽蔑する、高齢で容姿も決して美しくない女として、描かれてきた。しかし、ラ・トゥールの情景には、そうした妻のイメージはない。むしろ、自分の肉体への試練という厳しい事態に、強い信仰心をもって耐え抜いている夫の本当の心を確認したいと思い、見舞いにきた妻の姿とみるべきだろう。その姿、形は際だって美しく見える。

 実は伝統的なヨブとその妻に関する通念、とりわけ神に対して疑うことのないヨブとそれについて懐疑的な世俗的な妻との関係は時代と共に、すこしづつ変化してきたと筆者は考えてきた。ラ・トゥールとの関係でそれを想起させたのは、以前にも記したアルブレヒト・デューラーの作品との関連であった。ラトゥールよりもほぼ1世紀前の画家である。ラトゥールの作品と比較してなにが分かるだろうか。

Albrecht Dȕrer(1471-1528), Job and His Wife, c.1504, oil on panel,
Städel, Frankfurt, and Wallraf-Richartz Museum, Cologne 

アルブレヒト・デューラー、『ヨブとその妻』 3枚パネルの一部

 

 この作品はヤーバッハ・祭壇画として知られる祭壇画の一部であり、恐らくサクソニー選帝侯フレデリックIII世によって画家に依頼され、ウイッテンベルグの城内の教会に、掲げられたものと推定されている。1503年における悪疫の終息を感謝しての作品と思われている。元来3部で構成されていたようだが、祭壇側面部の作品だけが今日残されている。

 今日では上掲の右側と左側の作品は、別々の美術館が所蔵している。ここではヨブの妻の衣装の続き具合などを考慮して、イメージ上で仮に接合してある。この作品を含む全体の構成については、多くの議論があり、定まっていない。18世紀末には、これらの作品はケルンのヤーバッハ家の礼拝堂を飾っていたといわれるが、その後、散逸し、今日に至っている。

 上のパネルの右側には2人の楽人が立っている。ドラムを持った右側の人物は、デューラーの自画像ではないかと推測されている。彼らの役割、意味については、定説はまだない。

 上のパネルの左側が、ヨブとその妻の関係を示す作品と思われる。言い伝えのように、ヨブは堆肥の上に皮膚病に侵された半裸体のまま、消耗しきってなにかを考えるかのように座っている。彼の心中は、家族、財産のすべてを失っても切れることなく維持してきた神への絶大な信仰と、ここまで来てしまった自らの行いについての懐疑と悔悛の心が入り乱れているのだろう。遠くには火炎を上げて燃えるヨブの豪華な家も見える。火炎の中には小さな悪魔のようなものも描かれている。この点は『ヨブ記』についての時代の受け取り方を反映している。しかし、16世紀の人でありながら、天才デューラーは、ヨブとその妻についての長年にわたる伝承の路線上にありながら、従来の固定した観念とは、かなり異なった新しい試みを行っている。

 たとえば、ヨブの妻は美しいルネサンス風の衣装をまとい、ヨブの背中に水をかけている。この時代に多い、ヨブの妻は歳をとり、容貌も醜く夫の行動を嘲るような、見るからに悪い妻というイメージは少なくも画面の上からは感じられない。手桶で炎天下に熱くなってしまった夫の脊中に水をかけてやっているが、頭からかけているわけでもなく、ごく普通の仕種である。妻であったなら、夫の苦難を和らげてやりたいという普通の行動ではないか。しかし、疲れ切ったのか,ヨブは妻の方を見ることなく、考え込んでいる。ここで注目すべきは、妻が腰の帯に吊しているひと束の鍵である。これがなにを意味するか。ラ・トゥールにつながる謎を解く鍵となるかもしれない。



続く

  




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