時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

危機の時代にはラ・トゥールが生きる(5)

2022年03月12日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

ジョルジュ・ド・ラトゥールが洗礼を受けたヴィックのサン・マリアン教会
Photo:YK

ラ・トゥールがどこでいかなる画業修業をしたかは、ほとんど分からない。1593年、ヴィックで誕生、洗礼を受けていることは教会記録に残る。その後、長い空白の後、1616年に23歳の時、ヴィックで洗礼代父を務めた記録が確認された。

この時代、ラ・トゥールに限らず、多くの画家の画業修業の実態はほとんど不明である。ラ・トゥールと同時代の画家ニコラ・プッサン(1594-1665)などの場合も修業の過程は今もってよく分からないままだ。ほとんどの画家たちは歴史に名前すら残っていない。同時代の関連史料の探索、蓄積を充実することで、推理を深めることしかない。

ラ・トゥールについても、これまで多くの美術史家などが探索に尽力してきたが、確たる史料は多くは残っていない。状況証拠の積み重ねのような推理に頼る以外にない。このブログでは、これまであまり指摘されたことのないラ・トゥールの出自、才能の発見、徒弟などの画業修業、画家への支援、貴族への社会階級の上昇の過程などを推理してきた。

これまでの記述とやや重複するが、いくつかの注目点がある。第一は、ジョルジュの画家としての才能が見出された環境である。

ジョルジュの家系
ジョルジュは、父親ジャン・ド・ラ・トゥールと母親シビルの間に次男として生まれた。長男ジャコブは1歳年上である。ジャンの家業はパン屋であったが、ジャンの父親は石工であったことが知られている。石工はきわめて過酷な労働を伴う職業であり、ジャンは父親の仕事を見ながら、少しでも楽に見えたパン屋となる道を選んだのだろう。しかし、
パン屋も実は決して楽な仕事ではなかった

ジョルジュは父親のパン屋の手助けを長男ジャコブと共に続けていたが、幼い頃からパン作りに熱意がなく、持って生まれた絵画への関心に急速に傾斜していたようだ。しかし、それが画家への道を選ばせるほどの才能であることに気づき、画家になるための徒弟修業などに踏み切るには、いくつかの条件が必要だったと思われる。この点は、本ブログでも記したジョン・コンスタブル(1771-1837)の場合を想起させるものがある。次男として生まれたコンスタブルには、長男が家業の製粉業を継ぐことに難があっただけに、父親などから多大な圧力がかかり、ラヴェナムの寄宿学校に入った後でも、悶々とした日々を過ごしたようだ。

パン屋になりたくなかったジョルジュ
 ジョルジュの場合も、家業のパン屋を継ぐことには気が進まなかったようだ。しかし、パン職人になることと画家となることには大きな差異がある。パンは当時から最重要な生活必需品だが、絵画作品は評価が難しく需要が限られていてリスクが大きい。何よりも画家として自立できるだけの才能を本当に持っているか、見定めることは極めて難しい。父親としても容易に肯定し得なかったに違いない。パン屋のことは分かっても、画家の世界などほとんど何も分からなかっただろう。





パン屋の仕事を想起させるイメージ(筆者のランダム選定)
Source:Martine Dalger 2005

ヴィックの町は小さく、教会や修道院などの壁画や祭壇画などの仕事も限られていた。さらに、町にはすでに工房を持ち、活動していた画家がいた。小さな町にはこれ以上画家がいても、仕事が得られるとは期待できなかった。

才能を見出す人
この点で大きな役割を果たしたのは、ヴィックの代官
ランベルヴィエールであったことはほぼ間違いない。自らも細密画などを手がけた教養人であり、何よりも若い埋もれた才能を見出すことに無類の関心を抱いていたようだ。息子がジョルジュと学校で同級であったことも、幸いであったと思われる。代官はジョルジュが画家への修業をするに相応しい親方の紹介、画家として独り立ちした後も知人などに作品の入手を勧めたりしていたようだ。隠れた才能を持った若い人を見出すことの重要さを考えさせる。

ジョルジュが画家を志した時、ヴィックには一人の画家ドゴス親方の工房があった。芸術好きな代官とは交流があったと思われる。実際にジョルジュがドゴスの工房で徒弟修業をしたとの記録は発見されていない。ドゴス親方の手になると思われる作品も残っていない。

 代官は画家を志す幼いジョルジュの思いを受け止め、父親ジャコブを説得し、親方画家を紹介するなどの労もとったことはほぼ確実である。そして、長じてはジョルジュと貴族の娘ネールの結婚の仲介もしている。この年、1614年、ジョルジュ24歳であった。代官はこの時まで天賦の画才を持っていたパン屋の若者の成長を見守っていたのだった。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールという後世に輝く大画家を生み出すについて、最大の貢献をした人物であった。


続く
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