ジャン・シメオン・シャルダン
『買い物帰りの女中』
1739年、油彩、カンヴァス
47x38cm
パリ、ルーヴル美術館
La pourvoyeuse
Huile sur toile
Paris, Musee du Louvre
シャルダンの作品は、そのほとんどが眺めていて一種の精神安定剤のような効果を与えてくれる。作品を見ていると次第に心が落ち着き、なごやかな感じが漂ってくる。作品自体が見ている人になにかを押しつけようとする、あるいは画中の人物などが迫ってくるような感じがない。当時の日常の一齣を描いた風俗画にしても、その世界に自分も入り込んでいるような思いもしてくる。
シャルダンのことは書き出すときりがないので、書くつもりはなかったのだが、ある調べごとをしているテーマとの関連で、一枚の作品のことが頭をよぎった。
シャルダンの『市場から帰って』(『買い物帰りの女中』)*という有名な作品だ。市場へ買い物に行って帰ってきたばかりの召使い(お手伝い)が、買ってきた品物をキッチンの棚の上に置いた瞬間の光景が描かれている。これから奥に見える同僚に、話をするのだろう。
この主題は3点のヴァリアントが現存している。実は4点あったのだが、4点目はロスチャイルドのコレクション(Henri de Rothchild)に含まれていて、第二次世界大戦中に火災で焼失してしまったらしい。今回の『シャルダン展』に出品されているのはルーヴル美術館が所蔵している一枚である。1867年の年記があり、現存する3点の中では最後に制作された作品だ。
鳥の腿肉がそのまま飛び出ている買い物袋を持ちながら、食器棚の上に二つのパンを置いた時の一瞬を描いたものだ。描かれている主人公は、多少重い買い物などでも、一向に気にかけないような体格の堂々とした女性だ。おそらくこの家の女主人は、とても重い物など持てないような華奢な人なのだろう。
この主題、複数のヴァリアントがあるように、画家は主としてさまざまな配色の効果を試したかったようだ。前回のブログに記したパリ、ワシントンなどでの巡回『シャルダン大回顧』展では現存する3点が並列展示されていたが、今回はルーヴル美術館所蔵の1点だけが展示されている。実は3点とも人物や什器、器物などの配置はほとんど同じなのだが、画家は微妙な配色、陰影の効果などを確かめたようだ。どれもそれぞれに持ち味があって興味深いが、今回出展されたルーヴル・ヴァージョンは色合いが全体にはっきりしていた、迫力がある。現存する3点の微妙な違いは、画家がなにを考えて描いたのかを想像させて大変興味深い。その中で、ルーヴル・エディションは、最後に描かれただけあって、完成度が高い気がする。全体の色合いも他の2点と比較してやや濃い。
当面、筆者が注目するのは、彼女が食器棚の上に置いたふたつの大きなパンの塊だ。フランスのパン屋の発達史を多少調べてみた時に分かったのだが、この作品が制作された18世紀、1867年、そしてあの生家がパン屋であったジョルジュ・ド・ラ・トゥールが生きた17世紀の間に、フランスではパンの製法にはほとんどさしたる変化がなかったことが推定されている。パンは当時も今も主食なのだが、当時はパンの種類も少なく、製法も比較的単純であったこともあって、伝統的な工程には大きな変化がなかったようだ。
17-18世紀のフランスのパンには、地方によって製法や形状にそれぞれ特異な違いが見いだされるが、注目されるのはその形状と大きさだ。今日の社会で消費されるパンの種類は、消費者の嗜好もあって、きわめて多様なものだ。しかし、シャルダンの時代にあっては、パリでもこうした大型の塊のようなパンが、市民の主食であったことがわかる。主食である以上、その重さが重要な意味を持っていた。
17世紀においても、パン屋の信用は多分に店で売っているパンの重量が正しく守られていたかという点にあった。ロレーヌの農民などは、とにかく大きなパンを買ってきて、せいぜいスープに浸して食べていたらしい。したがって、パンの形状などは二の次で、まるで不揃い、パンかまどに入れる前に簡単に形を整えたくらいで、凸凹な塊のようだ。問題は重量にあり、パン屋が秤量をごまかさないかという点は、消費者にとって大きな問題であった。
多くの場合、毎朝焼き上がったばかりのパンを買いに行ったので、その大きさで何人家族かというようなことまで推定できるようだ。
同じ時代にロレーヌでパンを買って帰る女性と子供たちを描いた絵がある。これを見ると、当時のパンがいかに大きなものであるかが分かる。子供が大事そうに抱えているのは、彼女の分け前なのだろうか。
source
Gerald Louis. Le Pain en Lorraine
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シャルダンの絵を見ると、重い買い物袋を持った上に、これほど大きなパン二つを抱え込んで市場(いちば)から帰ってきた女性は、一家の買い物担当だけあって、さすがにたくましい。今日でもバケットなどを紙に包むこともなく、無造作に買い物袋に突っ込んで歩いている人をパリなどでも見かけるから、紙に包んだり、袋に入れるなどという慣習は、このころのパリでももちろんなかったのだろう。日本とは大きな違いだ。
一枚のなんでもないような風俗画だが、よく見ているといろいろなことを考えさせられる。
*日本で開催中の『シャルダン展』では、『買い物帰りの女中』という画題がつけられている。もともと、シャルダンは画題をつけていないのだが、当時のフランスではプールヴォワイユーズ La pourvoyeuse〔配達人,供給者の意味) と呼ばれる召使いは、特に市場や店で、買い物を担当する役割を負っていた。1999-2000年の『シャルダン大回顧展』では『市場から帰って』 Return from marketという画題であった。今ではこちらの方が良いと思うのだが。
しかし当時の家庭は子沢山で核家族化も今ほど進んでいない、女中などを含めての大所帯でしょうから、スープを取るにも当然鶏一匹は必要だったのでしょう。保存法が進んでいない限り小分けは衛生上危ないですからね。
冷蔵庫もなかった時代、大家族をあずかる購買担当の女中さんは、体力もないとつとまらなかったのでしょう。