時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

分裂に向かうEU:復活する国民国家(3)

2016年10月07日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

アフリカ、リビヤ沖で沈没中の老朽木造船から救助される移民(8月21日)
Time, Sept.12-29, 2016, cover 

分裂の諸相
 EU(欧州連合)分裂の兆候はいまやさまざまな形で現れている。そのいくつかの局面を見てみたい。BREXITで英国が離脱しても、EUの加盟国数は27カ国ときわめて多い、それぞれ独自の国民性を保ち、EUが目標として目指す単一国家にはほど遠い。また、そこへ到達する可能性もきわめて薄くなった。実際、政治体制、経済発展段階、文化的差異など、さまざまな点で、EU内部にはかなり以前から亀裂が目立ち始めていた。加盟国の数を増やすことを急ぎすぎて、発展段階が違い過ぎる国々が混在する、結束力の緩い集まりになってしまった。

 しかし、近い将来の分裂を思わせる決定的要因となったのは、やはり2015年から急増を見せた難民・移民の動向だ。対応に苦慮したEUは、いわば域内最東端の砦ともいえるギリシャの対外(EU域外)国境保持に大きな期待をかけた。財政破綻で国家として存続も危ぶまれるギリシャだが、EU(ブラッセル)、域外隣国のトルコとの連携などがようやく整い、沿岸警備隊の強化などで、シリアなどからの難民がエーゲ海を渡り、ギリシャを経由する難民・移民の流れはかなり抑止されるようになった。ブルガリアがEUの支援を受け、トルコ国境警備を強化したことも、バルカン・ルートで知られる陸路経由の難民抑止に効果を上げている。

地中海ルートへの集中
 それに代わって、顕著な増加を見せ始めたのは、以前からの地中海ルート、いいかえると、アフリカのリビア近辺からイタリアのランペドゥーサ島などを目指す難民・移民である(このルートをたどった難民の海難事故などについては、このブログでも何度か記した)。ギリシャ経由でヨーロッパへ向かう陸路を閉ざされたシリア、アフガニスタンなどの難民・移民は別の経路を探し求めていた。

 この地中海ルートは従来、主としてアフリカ諸国からの難民・移民がたどった海路だ。そこへエーゲ海を渡りギリシャへ渡航できない難民・移民が移動してきた。2015年には百万を越える人々が地中海を越えた。トルコからギリシャへの海路は短い地点では8キロメートル程度だ。しかし、アフリカからの海路は、距離もはるかに長く危険度も格段に高い。

 このルートにも悪質な密航業者 traffickerが多数暗躍し、難民・移民をビジネスの対象として暴利をむさぼってきた。彼らは渡航を希望する者から高額な金(数百ドルから数千ドル)を徴収し、老朽木造船やゴムボートなどで洋上へ送り出す。たとえば、トリポリからイタリアのランペドゥーサ島までは290キロメートルもある。海上の距離も長く、遭難など多くの危険に満ちている。概して、こうしたボートの多くは海洋での渡航には耐えない。洋上で沈没、多数の死者を出すなど、多くの犠牲者を生んできた。しかし、危険を顧みず渡航を試みる者は増加する一方である。密航を企てる者は気候が安定している秋を選ぶことが多い。

驚くべき数の渡航者
 去る9月3日には1日で6000人近くが40隻余りの木造船、ゴムボートでアフリカ、リビアの海岸などからイタリアを目指し渡航を企てている。700人近くが一隻に乗っていた例もあったといわれる。彼らはイタリア、あるいはリビアの沿岸警備隊や付近を航行中の船舶、人道支援組織の救援などによって海洋上で救出された。死者・行方不明者は9人と発表された。渡航者がこれまでの最大数であったにもかかわらず、犠牲者の数が極小に留められたのは、気象条件が安定していたことに加え、イタリアなどの沿岸警備隊、民間人道支援組織などの船舶よる救援努力が実ったためであった。人道支援組織は、独自に航空機まで活用して、洋上に漂流する難民ボートなどを探索、発見し、近くの船舶と協力して救助に当たっている。


 最近の"Time" 誌には、このアフリカからヨーロッパ大陸を目指す移民・難民の船に同乗したジャーナリストの手記が掲載されている。それによると、人道的観点から見て、その劣悪、苛酷さ、危険性は壮絶なものであり、青く静かな海の上でもひとつ間違えると悪徳業者の餌食となり、死の世界へ直行する("Between the devil and the deep blue sea" Time)。2016年年初から9月末までに30万人余りが渡航を達成し、死者・行方不明者は3500人に達したことが明らかになっている。他方、同じ期間にギリシャ・ルートでは386人が命を落としている(IOM))。

人道主義的支援が密航を加速?
 しかし、皮肉なことにこうした人道主義的救援の仕組みが充実するにつれて、それを見越しての難民・移民が増えるという奇妙なサイクルが生まれつつある。難民・移民は気象条件や海上の状況を確かめた上で、密航業者が提供する航行能力のない欠陥ボートなどで洋上へ乗り出し、沿岸警備隊などに救助を求めるという形が一般化してきた。

Time誌掲載のジャーナリスト(Aryn Baker)が同乗したアフリカ、リビヤからイタリア、シシリー島への航路。目的地はシシリー島、カターニア。実際にはこのボートは、リビヤのトリポリに近いサブラタを出航したところで、沈没、乗員は沿岸警備隊によって救助されている。右側数字は、今年中央地中海ルートを選んだ難民の中で、106,461人がイタリアに到達。10,986人がリビアの沿岸警備隊によって抑止、救助された。2,726人は航海途上で死亡。原データ出所:IOM、本年8月28日現在。Time, September 12-19, 2016. 

  アフリカ側のリビアだけでも、密航を望む難民・移民がすでに60万人近く集結しているという。2011年以降、リビアの独裁者カダフィ政権はイタリアと共同でこうした密航を最小限に減少させようとしていた。しかし、カダフィは失脚し、移民は帰るところを失った。この真空状況で人身売買が復活し、多数の犠牲者を出しながら、今日のように密航者が急増した。人身売買業者は最初から航海に適さない船を準備しているという(IOM)。アフリカ側の警察、沿岸警備も腐敗している。シリア、アフガニスタン難民が加わった現在の状況は、UNHCRによると、第二次大戦以来、最大数の移民を生んでいるといわれる。しかし、世界の指導者たちは有効な手段を持たない。トルコ・ギリシャルートを遮断したことは、ただ経路の変更をさせたにすぎない。

 幸いにも海上で救助された移民・難民はイタリアで難民に該当するか審査を受ける。多くは携行品もほとんどなく、言葉もできず、技能水準も低い。しかし、ヨーロッパでなんとか働きたいという意欲だけは強い。審査を通らなかった者は、強制的にイタリアを離れることを求められる。しかし、実際には行く先もなく、イタリア国内で不法就労者となり、、多くは農業労働者として働くか、ヨーロッパの他国へ移動する。手になにもなければ、いかなる仕事でもひたすら働くすべを求めて生きねばならない。国境のわずかな隙間でも入り込もうとする。

きびしくなる国境管理 
 かつては域内外からの労働者をかなり柔軟に受け入れていた域内諸国の国境管理も厳しさを増した。最も極端なケースは、ハンガリーである。移民労働者の受け入れ可否を国民投票にかけた。国民投票は最近のヨーロッパでややファッション化している。去る10月2日実施された国民投票は圧倒的多数が受け入れ拒否だったが、投票者数が規定に満たないなどで、公式には成立しなかった。しかし、国民の間に根強い外国人労働者の受け入れ拒否意識があることが判明した。

 難民・移民受け入れへの反対は、ハンガリーにとどまらず、チェコ、スロヴァキア、ルーマニア、オーストリア、フランス、ドイツなど多くの国で高まっている。反移民をスローガンに掲げる政党の台頭がひとつの要因でもある。国境検問が厳格化され、受け入れ抑止に急速に移行しつつある。

 他方、欧州連合(EU)は、10月6日、EUレベルで域外との国境警備にあたる「欧州国境・沿岸警備隊」を正式発足させた。警備隊はEU加盟国の国境警備の調整を担っている欧州大概国境管理協力機関(フロンテクス)の権限や装備を強化して発足させた。年内に少なくとも常時1500人規模の警備隊を確保し、問題の多い地域へ派遣される。

 こうした対応から見えてくるのは、急速に高まったEU域外、域内の障壁であり、それでも入国を目指す難民・移民に対する管理体制の強化の構図だ。今やドイツ連邦共和国といえども、加盟国と同様な路線を進まねばならない。昨年、メルケル首相が高らかに掲げた開かれた国境のイメージは急速に退行してしまった。

  眼前に立ちはだかる高い国境の障壁。その前に立ち尽くす難民・移民が出てきた故国はほとんどが壊滅的状況にある。世界銀行が難民救済のために増資を実施し、新国連事務総長が難民問題を重視すると述べても、世界各地の難民・移民に安心した生活を約束できる祖国が復活する日はいつのことだろうか。


References
"SAVED: One week abroad a refugee rescue ship" Time Sept.12-Sept.19, 2016*

追記
10月9日BS3『関口知宏 ヨーロッパ鉄道の旅』では、ハンガリー一周の旅を放映していた。筆者はブダペスト近傍しか知らない国だが、このたびの難民問題で急遽設置された有刺鉄線の国境風景が映っていた。それとともに、「ベルリンの壁」崩壊の先触れとなったショプロンの「ヨーロッパ・ピクニック」当時を知る医師とのインタビューなど、大変興味深かった。お勧めの番組である。

 

 

 

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