時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

チューリップ・バブル再考

2009年04月15日 | グローバル化の断面

1630年代、オランダで人気を集め、記録的高値を記録したチューリップの一種 Semper Augustus




  チューリップにまつわる話題を前回の続きで、もうひとつ。この花を見ると、しばしば17世紀初めオランダの「チューリップ・バブル」のことを思い出す。90年代以降の世界的なバブルの破綻を目にしてきたからかもしれない。

「チューリップ・バブル」:通説
 1630年代のチューリップのバブルとその崩壊は、世界史上もしばしば注目される出来事として話題となってきた。とりわけ、1636-37年は「チューリップ熱の時代」the age of tulip feverといわれてきた。これまで世界史教科書などで伝えられてきたのは、概略次のようなことだった。


 原産地はオランダと思いかねないチューリップだが、1560年代にトルコから伝来した。17世紀に入ると、オランダを中心にフランスやドイツの愛好者などの間で栽培されるようになった。しかし、普通の家の窓辺や食卓を飾る花ではなかった。最初は、貴族、商人、文化人などが好んで邸宅で栽培した。とりわけ、珍しい貝殻や球根などの収集家の間で、取引対象だった。この花の持つ新奇、斬新さは、当時の貴族、ブルジョア的趣味にも合致していた。

 1636年の夏頃から、オランダでチューリップの球根価格が急騰する。特に新種や珍種の価格は暴騰し、人々は球根が途方もない富を生むと信じて投機に狂奔した。いわゆるバブル的現象である。当時からチューリップは4-5月に開花し、6-9月には古い球根が掘り出され、10-11月に新しい球根が市場に出されて、翌年への準備がされるというプロセスをとってきた。今でこそ栽培技術の進歩で、交配、栽培などの仕組みはすべて分かっているが、当時は珍種や新奇な種は、球根についたウイルスなどによって、花の模様や形状を変えるという突然変異のような結果が生まれたらしい。思いがけない新種が生まれると、人々はそれに夢中になった。特に、赤と白、紫と白などの色で、焔が燃え上がったような花が、高値を呼んだようだ。

 バブルたけなわであった1637年1月の時点で、「フローラ(花と春の女神)のことしか頭にない人々が多数いる」との皮肉なコメントが残っている。実際、この頃、新種や珍奇種によっては、わずかひとつの球根で豪華な邸宅が購入できるほど、とてつもない暴騰を見せていたと伝えられている。ところが、2月に入ると、理由は必ずしも明らかではないが、球根価格は暴落し、膨大な損失を被った生産者、貴族、富豪などが破産するなど、大きな社会的ショックが生じた。「チューリップ・バブル」の崩壊だった。

「風の取引」
 この出来事は、当時のオランダの経済・社会を大きく揺るがした事件として、今日までさまざまな形で語り伝えられてきた。特に、実体と離れた投機的取引の狂騒によって、マクロ経済的にも壊滅的衝撃をもたらした出来事として世界史上知られてきた。

 しかし、果たしてそうであったのか。残念ながら、厳密な検証に耐えるような客観的で信頼に耐える資料、情報がないのだ。この現象を題材として小説や論評の類は多いのだが、ほとんど同じ論拠だった。わずかな数の断片的な資料を基に導き出された、かなり危うい推論だった。

 当時の取引はしばしば「風の取引」windhandel といわれたように、現実にはほとんど実際の球根の授受がなされなかった。この時期、新奇種などの球根の価格が大きく上下動したことは事実だが、実際には手形取引を中心に、紙上での取引だった。取引に対応して球根と金が移動したわけではなかった。

文化的価値体系の崩壊
 しかし、オランダは「チューリップ熱」で、本当に破滅的な影響を受けたのか。1980年代に入ると、17世紀の「チューリップ熱」の実態について、通説の見直しが始まった。その結果、これまでほとんど疑問無く受け入れられてきたような、オランダ経済が壊滅的な影響を受けたという解釈は正確でもなく、客観的でもないという見方が提示されるようになった。

 ガーバー, ゴルガーなどの研究者によると、チューリップ熱はオランダ全体ではなく、アムステルダム、ハールレムなど大都市の限られた層、それも必ずしも富裕とはいえない人々に影響を与えたにとどまっていたとされるようになった。

 そして、このバブルがもたらした最も重大な影響は、従来強調されてきた経済面ではなく、オランダの社会的・文化的な名誉と相互信頼というそれまでの価値体系を破壊、混乱させたことにあったとの解釈が提示されるようになった。言い換えると、文化的衝撃は大きかったが、経済面での衝撃を受けた者はそれほど多くなかったという理解だ。興味深いことに、ゴルガーなどは、経済面にほとんど関心を示していない。

 球根価格の暴騰・暴落は、オランダのチューリップ市場のすべてにわたって起きたのではなく、限られた新種、珍奇種に限られていたともされる。従来、バブル崩壊の指標とされてきた球根価格の資料の普遍性、信憑性にも疑問が呈された。

 結局、1637年に入っての価格急落は、需給要因に加えて、珍種、新奇種の取引をめぐる不確実性、そして売り手・買い手の自己制御の弱さ、不誠実な取引倫理などがもたらしたものと考えられるようになってきた。かくして17世紀オランダ、「チューリップ・バブル」に関する研究は、新しい解釈、問題提起を受けて、興味深い論点が次々と生まれている。ブログの話題としたいトピックスも多々残っている。

オランダ:今も世界一の花王国
 17世紀にこうした出来事を経験したオランダは、今日も世界的な花卉園芸植物の貿易で主要なプレーヤーだ。チューリップを中心に、花の国際的な生産では70%近く、貿易では90%を占める。オランダの花(切り花、苗木など)のオークションを主催する協同組合 FloraHollandは、2008年の時点で、オランダ国内で流通する花(切り花、植木など)の実に98%を扱っている。

 オランダは、世界の花・苗木輸出の60%を占めている。協同組合の花・苗木の輸出先は、ほとんどヨーロッパだ。その最大の相手国はドイツ(28.9%)、続いてイギリス(14.6%)、フランス、イタリア、ベルギー、ロシアである。他方、輸入については,「フローラ・ホーランド」経由でオランダ国内で販売される比率は、全世界の輸入額の15%以下だ。輸入先は、ケニヤ(37.8%)、イスラエル(13.2%) エティオピア(12.2%)、エクアドル、ドイツ、ベルギーなどの諸国だ。

 このように、17世紀の「チューリップ熱」の洗礼を受けながらも、オランダは現代の花卉園芸品取引の世界で、依然として図抜けた地位を保っていることが分かる。

 「チューリップ・バブル」の意味を考えていると、目の前に起きているグローバル大不況に立ち戻ってくる。今回の不況が、世界に大きな経済的衝撃をもたらしていることはいうまでもない。その客観的評価は渦中にある現在では、まだできない。しかし、幸いにも遠からず脱却することができれば、その評価がさまざまになされるだろう。

 今の時点で感じられることは、グローバリズムに関する価値体系が大きく揺らいでいることだ。バブル崩壊の影響は、さまざまではあるが、人々の心の中に入り込み、長らく支配的だった社会の価値体系を変えつつあることは確かだ。将来への不安感の増大、刹那的風潮、虚無感などの拡大、反面で、奢侈からの脱却、節約心、環境への配慮、相互の助け合い(連帯感)、自立心の台頭など、明暗さまざまな変化が進行する。バブル崩壊は、マイナス面だけを拡大するわけではない。バブルにも学ぶことは多い。






References
Peter M. Garber. Famous First Bubbles: The Fundamentals of Early Manias. Cambridge: MIT Press, 2000.

Anne Goldgar. TULIPMANIA: Money, Honor, and Knowledge in the Dutch Golden Age. Chicago & London: University of Chicago Press, 2007.
本書については、大変興味深い点があり、いずれ改めて記したい。

”Dutch flowers auctions” The Economist April 11th 2009

アンナ・パヴォード(白幡節子訳)『チューリップ:ヨーロッパを狂わせた花の歴史』大修館書店、2001年

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2 コメント

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昔からあるバブル (arz2bee)
2009-04-15 18:20:21
 チューリップとは妙なと言えば愛好家には失礼ですが、さほどの規模ではなかったようですが投機の対象となった事実があったのですね。もっと大規模な投機と思っていました。
 何というか冷静になれば、おかしいと思えることに投資してしまうのが不思議です。抜け駆けで儲けた人もいるのでしょうね。現在は金融工学とやらで仕組みが複雑で、レバレッジがかかっていますから、大変なことになるようですが。
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バブル崩壊からなにを学ぶか (old-dreamer)
2009-04-16 13:21:14
arz2bee さん
チューリップ・バブルは、古典的なバブルの典型例とされてきましたが、その推定根拠の価格データなどは、今から見ると、少数の取引例の不完全な資料であり、実態とかけ離れたイメージが形成されてしまったようです。バブルの渦中にある時は、大勢に流され、冷静な評価ができなくなるのは人間の性ではありますが。そうした時こそ少数意見にも冷静に注目する必要がありますね。新しい研究が指摘している興味ある問題は、バブルがもたらす一時的ユーフォーリア(幸福感)と破綻後の幻滅・ショックがもたらす社会的・文化的価値(人生観、世界観など)の大きな変化です。今回の世界経済危機から人間はなにを学ぶか、あるいは学ばないか、興味深いものがあります。
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