インドの人口が近い将来中国を抜き、世界第一の人口大国となることが予測されている。それを見越したわけではないだろうが、このところ現代インド美術のブームが起きているといわれる。今の段階では、主たる顧客は裕福なインド人、とりわけインド国外に住んでいるインド人だが、客層は急速に拡大しているらしい。
現代インド絵画を扱う世界中の画廊、オークション・サイトが活気を呈しているといわれる。とりわけ、大きな賞を獲得したメータやスーザ(Tyeb Mehta and F.N. Souza)などの作品は、2000年以降、価格も実に20倍近くになった。
このブログで、中国アート市場の拡大について記したことがあったが、比較的注目されていなかったインド美術へもグローバル化の流れがまわってきたらしい。
インターネットの力を借りて、現代インド絵画の取引額は2004年には2億ドル近くに達した。世界のアート市場の規模は300億ドルといわれるから、まだその比率は小さい。しかし、伸び率と将来性は莫大である。そのため、インド絵画は早くも大きな投資対象になっている。昨年9月オークションの対象となったメータの作品は、158万ドルで落札されたが、4年前は10万ドルにすぎなかった。現代インド美術はいくつか見てみたが、インド美術の鑑賞基準を持っていない私にはお手上げの領域である。
1990年代末では、現代インドアートにはほとんど関心が払われなかった。しかし、今ではインドのディーラーばかりでなく、サザビー、クリスティなどの名うてのオークショナーが参加している。最近のクリムト、キルヒナーなどの競売取引もこうしたオークショナーが仕組んで作り上げた産物である。
1980年代のバブル期に、金にまかせて美術品を買い込み、自分が死んだらコレクションも一緒に燃やしてくれといった御仁もいたらしい。パリの画廊で図らずも、そうした狂気にかられた人々の行動の一端を目にしたこともある。素晴らしい作品を自分のものにしていつも見ていたい。人が持っていないものを所有して誇示したい。そうした所有欲はある程度は理解できる。しかし、度が過ぎると、結果は私蔵される作品が増え、素晴らしい作品を人々の目から遠ざけてしまう。絵画の盗難事件が絶えないのは、背後にこうした異常な所有欲が働いていることもひとつの原因である。どうすれば、防ぐことができるだろうか。
一人の画家の作品が世の中で一定の認知を獲得するまでには、さまざまなパトロンの存在も欠かせない。他方で、アートマーケットの仕組みは、次第に複雑怪奇なものになってきた。画家は「創る存在」でもあるが「創られる存在」でもある。
Reference
"A pretty picture", The economist September 16th 2006