PD
冬の朝まだ薄暗い頃、新聞を取りに郵便箱へ向かうと、低学年とみえる小学生が、一様にマスクをして、背負ったランドセルの蓋をバタ、バタとさせながら、急ぎ足で駅の方へ小走りで駆けて行くのを見る。父親あるいは母親らしい大人がついていることが多い。親たちは自分の通勤時間を子供に合わせているのだろう。何かを子供に話しかけながら道を急いでいる。聞こえてくる会話からは、こうした折に細々としたことを教えているようでもある。
しかし、子供だけが真剣な顔で小走りに歩いていることもある。決まった時刻の電車に乗るのだろうか。親はどうしたのだろうか。大都市の片隅とはいえ、最近では多少不安な気がしないでもない。こうした行動は、どうも日本にかなり根付いたものらしい。外国では子供一人で公道を歩かせることで、親が罰せられることもあるようだ。
もっとも、子供の数が極端に減少した日本では、あまりこうした光景を見ること自体が少なくなった。20−30年前だったら、誰も気にとめなかっただろう。
本題から外れるが、筆者の目には子供の数の減少と併せ、この数年、朝夕の通勤・通学時に外国人の姿が明らかに増えたように映る。東京都では外国人居住者68万人、都民の4.8%になるとTVが報じていた。筆者等がかつて予言した?『明日の隣人 外国人労働者』が現実になっていることを感じる。
閑話休題。昨年末のThe Economist誌(December 21st 2024-January 3rd 2025が「日本式の育児法」(THE JAPANESE ART OF CHILD-REARING)と題して、日本の学校教育の印象的な点として幾つかの例を挙げている。大きな見出しには「なぜ日本では小さな子供一人で地下鉄に乗るのでしょうか?」とある。そのひとつを引用してみよう:
日本の子どもたちは学業成績が良いだけでなく、幼少期から驚くほどの自立心も示している。6歳児が付き添いなしで歩いたり、地下鉄に乗ったりして学校に通う(この国が異様に安全であることも助けになっている)。7歳のスギウラ君は毎日10分の道のりを歩いて通っている。「息子が幹線道路を渡らないといけないので緊張するけど、みんなが手伝ってくれる」と父親のヒロキさんは言う(The Economist, p50)。
この記事自体は、The Economistの東京支局長を務めていた女性がメキシコ・シティに赴任した後、改めて日本の教育に関心を抱き、日本に戻って調査を行った結果の一部とのことだ。長年にわたり、彼女は日本の教育制度の長所、つまり子どもたちに自制心や他人への思いやりを植え付ける点と、その反面に見る過剰な同調主義などの欠点の両方を見てきた。The Economist誌の記事は、日本式の学校教育をいつまで続けるべきかという彼女の家族内での議論から生まれたものだという。
その中には、公立の小学校で 放課後、教室の整理・整頓、掃除などを生徒自身が行うことに始まり、アメリカで活躍する大谷翔平選手が、グラウンドでゴミを拾ったりする行動まで含まれているようだ。要するに、日本人はなぜ、こうした例に示されるように秩序正しいのか。そして人によっては、その根源は日本の小学校にあるという。小見出しには「世界で最も規律正しい小学校の長所と落とし穴」とも記されている。
日本の公立の小中学校では、授業が終わると係りの生徒が黒板をきれいに消しておく。授業の始まりと終わりには、全員揃って挨拶をするなどの行動を生徒が主導して行っている習慣がかなり根付いている。
さらに日本では小学生の低学年でも、一人で電車通学をしている子供を見かけるのは今の段階では別にめづらしいことではない。ランドセルを背負い(最近ではリュックサック姿も)、小さな動物などの人形などをペットのように吊り下げたりして通学している光景はよく見る。周囲の乗客も特に問題視しているようではない。筆者が知る限り、日本では小中学生がひとりで電車に乗ってはいけないというような議論は、社会的になされていないようだ。
西洋では、多くの親が一瞬でも子どもから目を離したら何かひどいことが起こると確信しており、公的権力でこのような行動を認めていない国もあるようだ。日本でも最近は学校の生徒が交通事故や犯罪に巻き込まれる出来事も発生し、憂慮すべき事態も報道されている。
現在はメキシコで特派員をしている女性は、日本の教育に特に興味を持っているようだ。東京でThe Economist誌に務めていた時、彼女の子どもたちは東京の幼稚園に通っていた。現在はメキシコの日本人学校に通っている。長年にわたり、彼女は日本の教育制度の長所、つまり子どもたちに自制心や他人への思いやりを植え付ける点と、反面で過剰な同調主義などの欠点の両方を見てきた。この記事は、日本式の学校教育をいつまで続けるべきかという彼女の家族内での議論から生まれたものという。公平に制度を評価するために、彼女は日本に戻って調査を行った。
外国人の目からすると、日本の社会が生み出し、その結果形成されてきた教育制度は、かなり不思議なものに見えるらしい。淵源を辿ると、江戸時代(1603-1868年)、武士階級が設立した寺子屋の段階に始まったとも推測されている。その後4世紀余りを経過し、日本は西洋諸国の多くのように自由民主主義の国となったが、教育制度を見てもその実態は大きく異なったものとなった。改めて指摘されると、確かにアメリカ、ヨーロッパあるいはその他の国々ともかなり違っているようだ。
この小学校教育の実態に示されるような「人づくり」の仕組みは、西欧人ばかりでなく、アジアや中東の人々にとっても、羨望を伴う不思議なものにも感じられるようだ。エジプトの独裁的な大統領アブドルファッターフ・エルシーシー氏は、日本はイスラム的な道徳を持っているとまで形容している(p.52)。
日本に住む内外人の中でも、少数だが日本の小中学校に子供を通わせることをせず、インターナショナル・スクールに通わせている人もいる。その理由は様々なようだが、日本の学校では「国際性」が育たないという趣旨の説明を聞くことが多い。
日本の公的教育の利点を認めながらも、それを窮屈な制度と考え、子供をもっと自由に育てたいのだという。「教育の国際化」を標榜する学校もあるが、日本の公教育システムはそれに合わないのだろうか。
NOTE
The Economist誌は年末年始の合併号(CHRISTMAS DOUBLE ISSUE)のテーマに、通常号とはかなり異なった主題を選択、記事としてきた。筆者は半世紀以上にわたり、関心を抱いて購読してきたが、今回の特別号では表紙にも世界最大と言われる東京豊洲市場の魚市場の光景を戯画化して掲載している(下掲)。外国人ならずとも、かなり興味深い場所だ。日本社会の現状がポジティブに取り上げられるのは最近では珍しい。
The Economist December 21st 2024-January 3rd 2025