ジョルジュ・ド・ラトゥール
「妻に嘲笑されるヨブ」
油彩・カンヴァス
145x97cm
油彩・カンヴァス
エピナル(フランス)県立古代・現代美術館
しばらくラ・トゥールについて書くことがなかった。記したいことは多いのだが、他のテーマの記事に時間を取られてしまった。記憶を新たにする意味で、これまでの記事と少し重複するかもしれないが、続けてみたい。今回の話も、ヨブ記にまつわる問題である。日本人でこのラ・トゥールの作品を目にした人は多分、数少ないだろう。画家自身についても知名度はそれほど高くはない。筆者が最初に接したのは、半世紀くらい前の話だ。ラ・トゥールの名を知る人も少なかったころだった。1972年パリで開催されたラ・トゥールの総合企画展でこの画家の作品に初めて接した時は、大げさではなく、ほとんどすべての出展作品の前で立ちすくむほど感動した。
その後、滞仏時にザールブリュッケンに住んでいた友人夫妻とロレーヌの各地を巡った時、エピナルで再び対面した。その時の感動は、今でも鮮明に残っている。特に、構図、色彩すべてが美しい。広い意味での宗教上の主題を扱いながらも、現代の画家が描いたような斬新さを感じる。その後、何度か対面したが、そのつど目を奪われてきた。この画家の現存する作品は数少ないが、それぞれが様々な謎を含んでいる。制作に当たっての画家の深い思索の跡が感じられる。この時代、特に17世紀の宗教画にはテーマをめぐる社会の受け取り方、多くの伝承、教会の美術への規制(例えばトレント公会議)へのなど、配慮すべきことが多い。
さて、上掲の作品に少し深入りする。ヨブ記の重要な論点の一つは、なぜ真に良き(神にいささかも疑うことない畏敬の念を抱いている)人に最悪なことが起きるのかという命題にある。髪を疑うことのないヨブがまるでホロコーストのような悲劇的惨状に陥ることを、神はサタンに認めたのか*。話は連綿として展開する。
*事の起こり
ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。七人の息子と三人の娘を持ち、羊7千匹、らくだ3千頭、牛500くびき、雌ろば5百頭の財産 があり、使用人も非常に多かった。彼は東の国一番の富豪であった(ヨブ記1.1-15)。
主はサタンに言われた。「それでは、彼をお前のいいようにするがよい。ただし、命だけは奪うな。(ヨブ記:1-16-2-7)。
結果として、サタンはヨブと妻を残して、ヨブの子供と財産を全て地上から抹消してしまった。神はそうした行為をサタンに許すのか。ヨブ記は、多くの疑問を内包している。しかし、ここではラ・トゥールの作品主題に限定する。
以前に記したが、ラ・トゥールのこの作品の主題がなんであるか、しばらく定まらなかった。しかし、ルーブルでの修復の際にヨブと思われる老人の足元に、欠けた土器のようなものが描かれていることが分かり、ヨブ記にあるように、神をサタンがそそのかした結果、ヨブはすべての子供や家屋、財産を失い、自らもひどい皮膚病におかされて、それに耐えている情景を描いたものではないかという主題が明らかになってきた。主題におけるヨブの位置はほぼ明らかになった。それでは、その傍らにろうそくを手にヨブの顔を覗き込むように立つ女性は誰で、何をしにきたのか。実はこの点が難題であった。
作品に主題が記されているわけではない。しかし、美術史家や画商たちは深く考えることなく、この作品に「妻に嘲笑されるヨブ」Job Mocked by his Wifeという作品名をつけてしまった。例えば、ラ・トゥール研究の大家テュイリュエ、(Thuillier 1972, p.226)でさえも、その点を疑わなかったようだ。それほど、当時流布していたヨブ記のストーリーが疑問を抱かせることなく、継承されていたのだろう。
素朴な疑問
しかし、筆者はこの作品に接して以来、この伝統的解釈?に疑念を抱いてきた。そのことはこれまでのブログで概略を記してある。この作品に最初に接し、疑問を抱いてきたのは、とりわけヨブの妻の表情、そしてその衣装であった。ヨブについては、ヨブ記に記されたような悲惨な状況であり、ほとんど疑問はない。謎は次の点から生まれる。
1)ヨブは洞窟とみられる場所で暑さを避け、じっと苦難に耐えている。そうした場所に現れたヨブの妻は、彼の言動を嘲笑うために来たのだろうか。しかし、妻の表情を拡大してみても、そこに嘲笑と思われる表情は感じられない。
彼女はヨブの苦衷を慰めにやってきたのではないか、ヨブ記が伝えるような両者の間に険悪な空気は感じられない。何よりもヨブが子供や家財、家畜など全てを失ったことは、ヨブの妻にとっても劣らず衝撃的なことであったはずだ。
2)ヨブの妻の特別な衣装にも注目したい。デューラーの同じテーマでも描かれているように、ヨブの妻は聖職か祭事に関わっていたのではないかと思われる。ヨブの妻も夫のヨブと同様に愛する子供たちすべてを失い、家屋を含めて財産の全てを失ったはずである。
ヨブの一点の曇りなき神への畏敬は、妻もかなりの程度、共にするものではないのか。ヨブ記では、ヨブの妻についてはあまり記されてはいない。ヨブの妻は一点の疑いもなく、神を畏怖し、サタンのなすがままに全てを失い、さらに苦しんでいるヨブの純粋さに、妻としての深い愛と若干の危惧を抱いて、見舞いに来たのではないか。しかし、謎はまだ解けていない。
続く
☆カズオ・イシグロ氏 ノーベル文学賞受賞をお祝いいたします。ちなみにこのブログで取り上げた数少ない文学者の中でオルハン・パムク氏に次ぐ受賞者です。