時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

Uターンできない自動車:盛者必衰(4)

2009年03月27日 | グローバル化の断面

Henry Ford Estate Museum


 記憶に残るイメージのスナップショットのつもりで書き出したのだが、段々と重くなってしまった。今回で、ひとまず車庫入りにしたい。

 東京モーターショウの出店企業数は、前年のほぼ半数となるらしい。メルセデス・ベンツ、フォルクス・ワーゲンなども出展を見合わせたようだ。2月の日本の自動車生産は、前年比で50%強の衝撃的な減少だ。

 他方、インドではタタ・モーターズが20万円強の新車発売を発表、購入希望が殺到しているという。インドの2月の新車販売は、前年比20%増らしい。大きな地殻変動がグローバルな次元で起きていることを思わせる。

 今回の自動車危機は、複雑な要因が絡み合っている。金融危機は津波のように瞬く間に実体経済へと波及し、破綻の端緒となったアメリカの住宅産業から、自動車産業を襲った。グローバル化が進んだ産業であるだけに、たちまち世界中の自動車企業が呑み込まれてしまった。  

アメリカ自動車企業の破綻
 金融危機と同様、自動車産業についてもアメリカ発であった。危機はかなり長い年月の間、表面化することなく、デトロイトの深奥部まで達していた。金融危機がそのすさまじさを世界に突きつけてから、未だ日の浅い昨年秋の段階で、ビッグスリーの状況はきわめて重篤であることを世界に知らしめた。  

 ビッグスリーは、米国議会の公聴会で、サブプライム問題とそれに伴う世界的な消費低迷を理由に、公的資金による支援を訴えた。サブプライムは、住宅産業ばかりでなく、自動車産業においても長年にわたり深く巣くっていた病因を増長し、急性増悪させた。とりわけ、ビッグスリーは自動車ローン問題という独自の重病を抱え込んでいた。本来ならば,自動車など買えない層に、住宅と同様に購入させる仕組みを作り上げていたのだ。事情を知る関係者の間では、いつか破綻する日がくると思われていたが、皆悪い話題には触れたがらなかった。

フォーディズム時代の終焉 
 こうした中でトヨタをはじめとする日本企業は、先進的な経営、労使協調などの点で世界をリードしてきた。その特徴をきわめて単純化していえば、大量生産様式としてのフォーディズムの極致をきわめたといえるのではないか。アメリカ市場における消費者の信頼を獲得し、評価も確立していた。それなのに、なぜ日本企業も大きな打撃を受けたのか。  

 時代は大きく変化していた。生産の標準化を前提に、極度の分業とコンベヤーの最大限活用によって、大量生産を行うフォード・システムは、長年の間に極限に近いまで「カイゼン」が進められてきた。その範囲は、単に生産システムの範囲に留まらず、受注から生産、販売、金融までを包括する一大システムとして、完成されてきた。このシステムの極致とまで称されたものが、トヨタが主導、開発した「トヨティズム」ともいわれる体系である。資本主義的生産方式のひとつの極限モデルといえるかもしれない。  

 このシステム、さまざまな衝撃緩衝機能を内包し、通常予想される景気変動には十分耐えられるはずであった。だが、このたびのアメリカ発大不況の最終需要減少幅は、想定を大きく上回り、通常の生産減、在庫減少などの調整では対応できなくなっていた。その結果、短期間に派生需要としての雇用の急激かつ大きな減少をもたらした。

 なかでも、変動への調整装置の役割を負わされている下請け、部品企業を中心とする労働者、外国人労働者などが直ちに削減の対象となった。 彼らの多くは、派遣労働者などの形態で、当初から調整弁として位置づけられてきた。レイオフが制度化しているアメリカでは、短時間に大量の失職者が生まれた。記録的な業績を誇っていた企業が、直ちに大幅な雇用削減に踏み切ったことについては、もう少し内部で持ちこたえるべきではなかったかなど、さまざまな批判もある。アメリカ、イギリスなどでの経営者の高い報酬への攻撃は広まるばかりだ。デトロイト3社の幹部は、世論の厳しさの前に、さすがに報酬を辞退しているようだが。

 巨大化したシステムは、地域的、部分的な衝撃には対応できていたが、同時、グローバルな衝撃を受け、あっけなくもろさを露呈した。日本企業も現地生産、輸出、そして本国市場のすべてにおけるほぼ同時的な消費需要の急減には、内在する緩衝機能も対応できなかった。ひとつには、危機の前まで、供給ラインのパイプは在庫調整、生産調整もほとんどなく、一杯に詰まっていたと思われる。   

 システム自体が、自己調整を不可能にするほど巨大化していた。従業員数だけみても、GMの場合、米国内で約104,000人、世界中では約263,000人と言われている。ディーラー数も7,000と言われ、下請けや部品供給会社も含めると、その裾野は広い。デトロイトだけでも3万点の部品、2000の部品企業が必要といわれる。破綻した場合の影響がいかなるものとなることは容易に想像がつく。

近未来への胎動
 今回のグローバル大不況から脱却しようとする産業・企業の必死の努力で、自動車産業は激烈な淘汰が進むだろう。ハイブリッド車、電気自動車などのクリーン・エネルギー化ひとつをとっても、新型エンジンと電池の開発、軽量化など、部品やエネルギー企業を巻き込む一大変化が進行している。すでに生き残る企業と淘汰される企業の明暗は、はっきりとしてきたようだ。時代の先を読み切れる企業だけが生き残る。

 自動車需要は先進諸国では、飽和状態だ。唯一残るのは、インド、中国などの人口大国、開発途上国の中産階級が支える市場だ。小型、軽量化、低廉な価格設定が勝敗を分ける鍵となるだろう。

 さらに、巨大化し過ぎて、動きの鈍くなった企業をスリム化し、外部の変化に迅速に対応できる企業への自己変革が行われるだろう。20世紀を象徴してきたフォーディズムは、終幕の時を迎えている。しかし、自動車産業がなくなるわけではない。新しいシステムが生まれるだろう。10年後、20年後の自動車産業の姿は、現在とはきわめて異なったものになるのではないか。廃墟の中からどんなフェニックスが生まれるだろうか。 

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