このブログでも『白い城』、『イスタンブール』などの作品を取り上げてきた現代トルコ文学界の旗手オルハン・パムクの名前が、最近新聞などメディアにしばしば登場している。今年のノーベル文学賞候補の一人でもあったようだ。最初にこのブログに書いた頃は純粋に文学的興味から取り上げたのだが、その後作家が位置する政治的状況などを知るに及んで読み方が深まってきた。
渦中の人となったパムク
最近になってパムクを取り巻く状況は急転した。この12月16日に、イスタンブールで作家を相手取った公判が開かれた。第一次大戦中のクルド人およびアルメニア人大量虐殺に言及することがタブーになっているトルコで、この問題をスイス、ドイツなどのメディアで表立って批判したことが、イスタンブール市の検察官によって「国家侮辱罪」にあたるとして告訴されたのである。
欧州連合EU加盟の条件である「言論の自由」を認めるか否かの試金石として世界の注目を集めたこの裁判だが、対応に苦慮した裁判官は「法務相の判断を仰がねば裁判を進められない」として、開廷直後に中断し、来年2月まで延期するとした。
パムク氏は法廷の出入り口で右翼から卵を投げられたり、わざわざ傍聴にやってきた欧州議会関係者なども殴られたり、蹴られたりという一幕もあったらしい。
友人がいないトルコ?
改めて述べるまでもなく、トルコはEU加盟が実現するか否かの微妙な段階にある。トルコとしては、この問題でEU側からブレーキをかけられることだけは回避したいのだろう。前トルコ駐在アメリカ大使などが繰り返し指摘していたように、「トルコにはPRの遺伝子が欠けている」といわれるほど、自国のイメージづくりがうまくなかった。このような現代のトルコを形容するによく使われるそうだが、「トルコはトルコ以外に友人がいない」といわれてきた。近隣国との関係など確かに円滑ではない。もっともトルコにかぎらず、日本もまったくその通りなのだが。
パムクの指摘した点は、クルド人問題だけでなく1915年のオスマン帝国のアルメニア人移送・殺害問題である。アルメニア人は、キリスト教徒で、オスマン帝国領内に多数居住していた。オスマン陸軍は第一次大戦中、アルメニア人がロシア側につく動きがあったとして、当時アルメニア人の「反乱鎮圧」を行った。スイスのメディアに、パムクは「100万人のアルメニア人が殺された。だが、私以外にだれもそのことを語ろうとしない」と指摘した。
旧ソ連が崩壊し、アルメニアが独立した90年代以降、虐殺を国際的に認知させようとするアルメニア人側の働きかけが活発化した。その結果、オーストリア、フランス、ベルギーなど欧州の多くの国の議会が虐殺だったと認めた。
「言論の自由」は、EU側にトルコとの加盟交渉を中断させる材料となりかねない重要テーマでもある。EUの側にも、これまで加盟国を急速に増やしてきた「拡大疲れ」があるといわれる。
トルコ加盟の前に横たわる最大の障壁は、ヨーロッパの背後に潜む反イスラーム感情だが、トルコの世俗化したイスラームは、キリスト教とイスラーム世界の緩衝材となる可能性もあると指摘する人々もいる。他方で、トルコがそうした役割を果たそうとするならば、アルメニア人問題など、非イスラーム少数者の問題解決に着手すべきだという人々も多い。
作品に流れる思い
パムクの作品には東西文明の衝突、共存の方向を探る糸、イスラームの役割、EU加盟を求めるトルコの現実と苦悩など、多数の脈流が流れている。今回の母国との対立がいかなる帰趨をたどるか。この作家の作品と行方は、一層目が離せなくなった。
Reference
「語る作家、裁くトルコ:渦中のオルハン・パムク氏」『朝日新聞』2005年12月15日
*2004年11月国際交流基金が主催したオルハン・パムク氏の『私の名は紅』(日本語版)出版記念講演会は、当日どうしても抜けられない仕事のために出席できなかった。思い返すと大変残念である。司会をされたNK氏も思いがけず旧知の間柄であった。
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