時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

キンドルもなかった時代の老舗名書店:残っていたトートバッグ

2014年12月09日 | 午後のティールーム



ニューヨーク市5番街にあった名門書店スクリブナーの
トートバッグ(1960年代末)


 このブログを開設するにあたって、「午後のティールーム」というきざな名前のコーナー(笑)をつくりました。ブログ記事の多くが、初めての読者の皆さんにとって、少し硬い、とりつきにくい内容になることをあらかじめ予想したからでした。最近はその傾向が一段と強まっています(笑)。

 ブログを始めたころは若い世代の人たちが主な対象だったこともあって、ソフトなトピックスを話題とするコーナーも置きたいと思っていました。実際は日常の諸雑事に追われて、なかなか考えた通りにはなりませんでした。しかし、折に触れ出会う友人・知人たちから知らないことばかりで面白い(?)などの感想を聞くと、少し複雑な気分ですが、なんとか閉店せずに続いてきました。

ゆとりのなくなった時代
 また1年が終わろうとしています。多事多難な時代、のんびりとカフェでお茶を楽しむ余裕がなくなってきました。町中のカフェもスターバックスやドトールなど、チェーン店が目立つようになりました。こうした店では
人々がせわしなく出入りし、なんとなく落ち着きません。雑事を忘れ、静かな一時を楽しめる店は少なくなりました。若いころはなにかと忙しかったけれど、心にゆとりがあったと感じています。

 いつの間にか12月になっている身辺を見回すと、今年もさまざまな本、書類、未開の段ボールの箱などがあたりを埋め尽くしています。少しは風景も変えねばと思い、長年放置してあった箱を開いてみました。そのひとつから、ここに掲げたトートバックが出てきました。私以外にはなんの感慨も引き起こさない代物です。見たとたんに脳細胞が急速に活性化し、これは認知症の新薬?より効果がありそうと実感したほどです。その一端を記すことにしましょう。

風格のあった書店
 皆さんのなかで、「チャールズ・スクリブナー」 Charrles Scribner's Sons という書店(出版社)のことをご存じの方がおられれば、かなりの読書家、書店の専門家か記憶力抜群の方でしょう。19世紀中ごろに生まれ、かつては、アメリカを中心に世界に知られた老舗書店でした。この書店のことは、少しばかり、「午後のティールーム」の開設のお知らせに書いたことがありました。それからすでに10年近い年月が過ぎていました。

 このトートバック、処分してしまった記憶もなかったのですが、まったく忘れていました。バッグには、 THE SCRIBNER BOOK STORES と書店名が記され、 New York、Williamsburg と書店(本店、支店)の所在地を示しています。Amazon などまだなかった時代、かなりの本をこの店から買いました。当時、書籍を買った時に、店でこれに入れてくれたのでしょう。懐かしいこの書店のファサードが印刷されています。Williamsburg の店にも思い出があるのですが、今回はニューヨークの店に限ることにします。


在りし日のスクリブナー書店入口

 この書店 Charles Scribner's Sons は、1846年に創設され、ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、ヴォネガット、トーマス・ウルフ、ジョージ・サンタヤナなど数々の大作家の作品を出版してきました。当時は世界的な有名書店・出版社でした。この書店が手掛けた作品の多くは、ピュリツアー賞、ナショナル・ブック・アワードなど数々の賞を受賞した作家だったり、後に大作家となった人たちのものでした。ヘミングウエイやトルーマン・カポーティなどは頻繁にこの店に来ていたようです。ニューヨーク・マンハッタンの5番街(Fifth Avenue)597にあった、この建物自体は、1912-13年に、同社のフロントとなる書店のために建てられました。


 開業していた当時から、店に置かれていた書籍も厳選され、その後急速に拡大した大型安売り書店とは店内の雰囲気がかなり異なりました。
(ちなみに、設立時の1893年からチャールス・スクリブナー社の本社が置かれていたFifth Aveue 153-157には、建築家アーネスト・フラッグによってボザール様式で設計された、古いスクリブナー社のビルがあり、これは1980年にNational Register の史的記念対象建造物として保存されています)。ここで話題とする5番街597の建物も同じ建築家に依頼され、同社のフロント店舗として設計されました。こちらも、建築家フラッグの理想とした様式が設計に最大限発揮されているとみられています。

 フラッグの設計で、高級書店のモデルとして構想されたこの店舗の5番街に面した入口は、きわめて特徴ある鋳鉄の柱とガラスが使われ、2階までの大きなガラスのファサードが豊富に日光を店内にとり入れ、明るい店内をつくりだしていました。筆者が関心を持った分野は主として2階にありました。ここには立派な木製で可動式の梯子が置かれ、それを書棚に沿って移動させ、高い棚にある書籍を取り出していました。大変頑丈に作られていて、今日の書店に多い踏み台の比ではありません。

  有名な店舗であったために、多数の逸話も伝えられています。ヘミングウエイは自分のことを侮辱した論評を書いたある編集者を呼び出し、一発お見舞いしたとか、フィリピンのイメルダ・マルコス大統領夫人が店に展示してある皮装の書籍を表題、著者にかかわらず、同じタイトルでも皮革の色さえ違えば、すべてお買い上げになったなど、興味深い話があります(エメルダ夫人亡命時に残されたおびただしい数の靴の話はよく知られていますが、この時の本はどこにいったのでしょう)。

閉店した老舗のその後
 栄枯盛衰は避けがたく、時が過ぎて、1978年にこの歴史ある出版社はアテネウム社と合併し、スクリブナー・ブック社となりました。さらに1984年にはマクミランの傘下に入りました。そして、1994年サイモン・アンド・シュスターがマクミランを併合しました。創業者の曾孫にあたるチャールス・スクリブナーIV世も引退し、この著名な書店も幕を閉じました。ニューヨークその他にあった書店店舗の多くはバーンズ&ノーブルの店舗になったようです。そして、スクリブナーの方は、 サイモン&シュスター(書籍部門)とゲイル(資料部門)の両社が親会社になっています。

 スクリブナー書店が入っていた5番街の建物は、1990年代にベネトン・グループが買い取り、書店は賃貸料の安い地域へ移り、その後ブレンターノ書店、ベネトンの衣料店、化粧品の店などに変わりました。建物自体は所有主が転々として、今はさる不動産会社の所有になっているようです。

 スクリブナー書店の店舗であった時代は、上に掲げたトートバッグのように美しいファサードを持っていました。有名な建築家アーネスト・フラッグがデザインしたボザール Beaux Arts 様式です。日射しを避けるために赤や緑のラインが入った日よけが印象的でした。冬季などは、入口にドアマンがいて、重厚なガラス扉を開閉してくれました。

 1970年代に入ると、割引した書籍を大量販売するバーンズ・アンド・ノーブルのような大型書店が出現し、こうした風格のある落ち着いた書店は急速に姿を消しました。

 

 

 Charles Scribner&s Sonsの歴史を
記した銘板 

 建築家フラッグが自分の人生をかけた作品と述べたこの歴史ある建物は、かつての書店店舗時代を知る人にとっては、歴史記念物であることを示す銘板などで、当時の面影をしのぶことができるとはいえ、店の内容が変わってしまうと、創業者たちが描いた静かで格調高い書店の雰囲気はもはや感じられません。電子書籍が急速に増加している時代、未来の書店の姿はいったいどう変わるのでしょう。

 



 12月10日の『クローズアップ現代』 で本を読まない学生の問題が取り上げられていました。どうして今頃になってという感はぬぐえないのですが、取材スタッフもIT時代の流れに取り込まれたのか、切り込み方も平凡、現場に遠く、新鮮な問題意識が欠けている印象でした。

 

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