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Lake Griffin
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外食・いつもの浅野屋

いつもの浅野屋(トンカツ定食、イベリコ豚のソテー定食、チーズとクルミのサラダ)
クリスマス以来久しぶりであった。

2005-01-09 21:03:23 | 夕食・外食 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


読了・消滅する言語

デイビッド・クリスタル、2004、消滅する言語:人類の知的遺産をいかに守るか、中公新書
今地球上から急速に言語の数が減少しているという。クリスタルは英国の言語学者で浩瀚な執筆活動を行っているという。本書は、世界の弱小言語が消滅の危機に立たされていることに対して警鐘を与えたものである。
本書の訳者の一人斎藤兆史が「あとがき」のなかで、「本書は少しばかり毒を含んでいる。・・・中略・・・(本書に書かれていることをそのまま鵜呑みにすると)危機言語を救済するどころか、逆にそれをさらに危機的な状況に追い込むことにもなりかねない」と述べている。すなわち、本書は英語が主体あるいは著者本人が意識しているかしていないかは明らかではないが、はっきりと英語帝国主義的な思考法でで描かれている。すなわち、英語が世界を席巻している現状を所与のものとして、危機言語を救済する道は英語との二言語併用教育であるというのである。
クリスタルが言うところの二言語併用教育というのは、メインストリームの英語へのむしろ適応教育のひとつのように響く。はたして、二言語併用教育は可能なのであろうか。言うは安く、行うはかたしである。また、それが唯一の方法なのであろうか。
わたしは、オーストラリアの少数言語のコミュニティにおいて二言語併用教育が行われている現場を見たことがある。ここで、危機言語の側の人々の持つ教育観を紹介しておきたい。まず、二言語併用教育が行われる場合、どうしても教育内容が希薄になりがちである。単純すぎる比較であるが、同一授業時間内に、二つの言語を用いて同一内容を教育しようとすると、半分の内容しか教育できないことになる。授業時間を倍にすれば良いというものではない。また、英語使用者が社会のメインストリーム側に立つと理解する親たちは、子どもの将来における学力のことを思えば、英語での教育の方がいいではないかという。
もちろん、これは、大変危険である。危機言語は、このことによって消滅への時間を短縮してしまいかねないのである。学校教育において学ばれた事柄が親との間のコミュニケーションギャップを増幅し、ひいては、当該社会の崩壊へと背を押しかねないのである。
問題の解決はもちろん単純ではなく、様々な試みが行われるべきであろうことは言うまでもない。危機言語の保全のための緊急言語調査の実施や社会政策として危機言語対策を講ずるべきであろう。しかし、クリスタルのような英語中心主義の立場は、そもそも、もっとも危険なのではないだろうか。言語学者でも教育学者でもない者が生半可な理解の上で発言すべきではないのかもしれないが、ひとつのヒントは、カナダの英仏両公用語に関する言語教育政策にあるのではないかと思われる。つまりは、少なくともケベックの仏語の使用者は英語使用者とほぼ拮抗しており、政治的にもしばしば独立運動を行うなど、かなり強力である。こうした英語と仏語の拮抗した状況の中で生まれてきたカナダの公用語に関する考え方が、ひとつのヒントのように思われる。そして、この公用語政策は、仏語以外のたとえば、イヌイット言語やワンネーション諸言語についても援用されていると聞く。
日本も例外ではない。日本語は次々とカタカナことばが借用されてきている。英語学習熱も高い(かといって、実態はたいして効果はあがっていないようであるが)。それに対して国語審議会の答申する内容は枝葉末節の語彙のコントロールだけである。本当に必要なことは、各地の方言や少数民族の言語に対する理解を向上させるような政策や教育方法の研究がきわめて重要なのであろう。
以下に、とりあえず見つけたカナダ政府のサイトのURLを記録しておく。http://www.hrma-agrh.gc.ca/ollo/common/policies-politiques_e.asp

消滅する言語―人類の知的遺産をいかに守るか

中央公論新社

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2005-01-09 11:40:41 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )