四輪駆動車について

2005年1月23日には、自分の車のロボットぶりについて書いた。また、2003年9月23日には映画の「i Robot」に関連して、最近のクルマについて批判的である旨書いている。ここでは、クルマについて、考えていることについて書いてみようと思う。
わたしは、20年来オーストラリアで四輪駆動車、大半はランドクルーザーを利用してきた。仕事の関係で訪問した折、ほぼ毎年のことであるが、四輪駆動車の必要があるような地域で利用してきた。その際、トヨタ車の優秀さを自分自身でも、また、現地の人々からも、十分に知ることができた。元々、オーストラリアはイギリスの植民地であったから、ランドローバーの世界であった。太平洋戦争後、アメリカの影響を強く受けたが中央砂漠や熱帯の交通事情が厳しい地域において、ジープよりもランドローバーが普及していたようである。それが、おそらく1970年前後から、次第にランドクルーザーがランドローバーを席巻していったと思われる。
その理由は、現地のメカニック(イギリス出身のオーストラリア人)から聞いたことであるが、最初、ランドローバーが優れていると思ったが、故障しない点とたとえ故障したとしても、その修理の容易さにおいてランドクルーザーが圧倒的に優れていると思ったという。その後、現地では、四輪駆動車のことを固有名詞としての「Toyota」ではなく、普通名詞としての「toyota」としてとらえるようになったという。
わたしが、オーストラリアではじめてふれることになったtoyotaは70年代中期タイプのそれであった。何度も部品が交換され、ドアなど外装も交換され、再塗装されたものであった。このマシンをわたすとき、このメカニックは、「メカニカルな部分は何も問題がない、タイアのような消耗品はしらんが」といった。実はこのマシンは、複数のtoyotaから再生されたもののようである。わたしは、このクルマをつかったほぼ一月の間、それこそ道なき道を走り回った。全く問題なかった。何度かパンクしてタイヤを交換したが、実にタフなクルマであった。
さて、現地のメカニック曰く、最近のtoyotaは扱いにくいというのである。彼らがあげたのは、前後輪のコイル式のバネのことである。元々のランドクルーザーは前後輪ともにリーフバネで、バネがおれたとしても木の枝を差し込めば修理の可能な場所までしばらくの走行が可能であったという。また、電気系統にしても、実にシンプルな構成であったが、現在はコンピュータ制御となり、現地では単に交換するだけになってしまったという。我々がやれることがないではないではないかというのである。もちろん、故障が少ないことについては、今も、かれらが評価するとしてもである。
数年前、あるセミナーでオーストラリア・トヨタの社員と話したことがある。その時わたしが話したのは、クルマには二種類があってもいいのではないかという点であった。その一つは、トヨタをはじめ日本車ならずとも世界中の自動車会社が目指す、コンピュータ制御された実に快適なクルマである。クルマは、二地点の間をなんのトラブルもなくなんのストレスもなく走り抜けるもので、必要があれば、ボタンひとつで目的地へとユーザを送り届けるようなクルマであろう。愛知万博では、そうした未来像のひとつが展示されると聞く。
それに対して、もう一つは、究極的には人間の力で動かすクルマである。もちろん、故障がないことはベストではあるが、非常にハードボイルドな環境の中で、乗員にも過酷な状況(エアコンがない、シートも快適とは言えないなど)を強いるものの、事、移動に関してはスムーズに移動が可能であり、万が一故障したとしても、ごく簡単な工具で修理ができ、また、パーツ交換が容易で、いちいちディーラーやサービス工場の手を煩わせることなく、他社の部品や汎用的な部品を利用できるようなクルマである。
わたしは、20年前のランドクルーザーが念頭にある。その様なクルマがないものか。トヨタはパリ・ダカにあっても、無改造車部門において優秀な成績を収めている。その路線をもっと、前進させることはできないであろうか。
日本では、たくさんの四輪駆動車が町中も走り回っている。わたしには、これらのクルマ達がかわいそうでならない。かれらの本領は、実に過酷な環境の中で乗員を安全に目的地に届けることであって、なんのアクシデントもない町の中で走ることではないはずだ。
本来、障害物がラジエターに損傷を与えない様に作られたブルガードもしくはカンガルーガードが、交通事故で歩行者を跳ね上げたとき、きわめて危険な凶器になりうると聞く。町の中でのクルマは、いかにうまくクラッシュして歩行者や乗員にとって危険でないボディを持つかが課題であって、砂漠の中で障害物によってラジエターを傷つけられることによって乗員の生命に危険を生じさせないためのブルガードは町の中ではなんの価値もないものなのである。さらに言えば、もちろん、日本の中のほとんどの地域では、四輪駆動車は必要がない。単なるファッションなのである。
以前、イタリアのメーカーが開発し日本向けの特製のペイント「泥はね」(スプレーすると、あたかも泥をはねたかのような模様がボディに描ける)が発売されたという「ジョーク」を聞いたことがある。これは、なまじ、本当かと思わせるところが、なかなかのジョークであった。
わたしは、オーストラリアでランドクルーザーを使って何度も川渡りをした。また、ユーカリの林の中を道を作りながら走った。ものすごいディープサンドの海岸や川辺を走った。とんでもないぬかるみも走った。ラリーではなく、必要があって走った。そうした中で、toyotaは安全に私たちを運んでくれた。多少の不安があっても、このクルマであれば大丈夫と思えた。
これから技術革新が進みコンピュータの固まりのようになったクルマは同様の信頼感を与えてくれるのだろうか。多少、不安な気持ちである。また、過酷な状況でクルマを運転することは実に楽しかった。自分自身のクラッチワークやハンドリングでクルマが動いているという実感を感じる事ができた。猛烈に重いハンドルやペダルと格闘したとしても。ロボットと化したクルマは、私たちに運転する喜びを与えてくれるのだろうか。
わたしは、20年来オーストラリアで四輪駆動車、大半はランドクルーザーを利用してきた。仕事の関係で訪問した折、ほぼ毎年のことであるが、四輪駆動車の必要があるような地域で利用してきた。その際、トヨタ車の優秀さを自分自身でも、また、現地の人々からも、十分に知ることができた。元々、オーストラリアはイギリスの植民地であったから、ランドローバーの世界であった。太平洋戦争後、アメリカの影響を強く受けたが中央砂漠や熱帯の交通事情が厳しい地域において、ジープよりもランドローバーが普及していたようである。それが、おそらく1970年前後から、次第にランドクルーザーがランドローバーを席巻していったと思われる。
その理由は、現地のメカニック(イギリス出身のオーストラリア人)から聞いたことであるが、最初、ランドローバーが優れていると思ったが、故障しない点とたとえ故障したとしても、その修理の容易さにおいてランドクルーザーが圧倒的に優れていると思ったという。その後、現地では、四輪駆動車のことを固有名詞としての「Toyota」ではなく、普通名詞としての「toyota」としてとらえるようになったという。
わたしが、オーストラリアではじめてふれることになったtoyotaは70年代中期タイプのそれであった。何度も部品が交換され、ドアなど外装も交換され、再塗装されたものであった。このマシンをわたすとき、このメカニックは、「メカニカルな部分は何も問題がない、タイアのような消耗品はしらんが」といった。実はこのマシンは、複数のtoyotaから再生されたもののようである。わたしは、このクルマをつかったほぼ一月の間、それこそ道なき道を走り回った。全く問題なかった。何度かパンクしてタイヤを交換したが、実にタフなクルマであった。
さて、現地のメカニック曰く、最近のtoyotaは扱いにくいというのである。彼らがあげたのは、前後輪のコイル式のバネのことである。元々のランドクルーザーは前後輪ともにリーフバネで、バネがおれたとしても木の枝を差し込めば修理の可能な場所までしばらくの走行が可能であったという。また、電気系統にしても、実にシンプルな構成であったが、現在はコンピュータ制御となり、現地では単に交換するだけになってしまったという。我々がやれることがないではないではないかというのである。もちろん、故障が少ないことについては、今も、かれらが評価するとしてもである。
数年前、あるセミナーでオーストラリア・トヨタの社員と話したことがある。その時わたしが話したのは、クルマには二種類があってもいいのではないかという点であった。その一つは、トヨタをはじめ日本車ならずとも世界中の自動車会社が目指す、コンピュータ制御された実に快適なクルマである。クルマは、二地点の間をなんのトラブルもなくなんのストレスもなく走り抜けるもので、必要があれば、ボタンひとつで目的地へとユーザを送り届けるようなクルマであろう。愛知万博では、そうした未来像のひとつが展示されると聞く。
それに対して、もう一つは、究極的には人間の力で動かすクルマである。もちろん、故障がないことはベストではあるが、非常にハードボイルドな環境の中で、乗員にも過酷な状況(エアコンがない、シートも快適とは言えないなど)を強いるものの、事、移動に関してはスムーズに移動が可能であり、万が一故障したとしても、ごく簡単な工具で修理ができ、また、パーツ交換が容易で、いちいちディーラーやサービス工場の手を煩わせることなく、他社の部品や汎用的な部品を利用できるようなクルマである。
わたしは、20年前のランドクルーザーが念頭にある。その様なクルマがないものか。トヨタはパリ・ダカにあっても、無改造車部門において優秀な成績を収めている。その路線をもっと、前進させることはできないであろうか。
日本では、たくさんの四輪駆動車が町中も走り回っている。わたしには、これらのクルマ達がかわいそうでならない。かれらの本領は、実に過酷な環境の中で乗員を安全に目的地に届けることであって、なんのアクシデントもない町の中で走ることではないはずだ。
本来、障害物がラジエターに損傷を与えない様に作られたブルガードもしくはカンガルーガードが、交通事故で歩行者を跳ね上げたとき、きわめて危険な凶器になりうると聞く。町の中でのクルマは、いかにうまくクラッシュして歩行者や乗員にとって危険でないボディを持つかが課題であって、砂漠の中で障害物によってラジエターを傷つけられることによって乗員の生命に危険を生じさせないためのブルガードは町の中ではなんの価値もないものなのである。さらに言えば、もちろん、日本の中のほとんどの地域では、四輪駆動車は必要がない。単なるファッションなのである。
以前、イタリアのメーカーが開発し日本向けの特製のペイント「泥はね」(スプレーすると、あたかも泥をはねたかのような模様がボディに描ける)が発売されたという「ジョーク」を聞いたことがある。これは、なまじ、本当かと思わせるところが、なかなかのジョークであった。
わたしは、オーストラリアでランドクルーザーを使って何度も川渡りをした。また、ユーカリの林の中を道を作りながら走った。ものすごいディープサンドの海岸や川辺を走った。とんでもないぬかるみも走った。ラリーではなく、必要があって走った。そうした中で、toyotaは安全に私たちを運んでくれた。多少の不安があっても、このクルマであれば大丈夫と思えた。
これから技術革新が進みコンピュータの固まりのようになったクルマは同様の信頼感を与えてくれるのだろうか。多少、不安な気持ちである。また、過酷な状況でクルマを運転することは実に楽しかった。自分自身のクラッチワークやハンドリングでクルマが動いているという実感を感じる事ができた。猛烈に重いハンドルやペダルと格闘したとしても。ロボットと化したクルマは、私たちに運転する喜びを与えてくれるのだろうか。

