「葛飾区社会体育会館」が土手下にポツンと?
≪何の役にも立ちそうもない・・? こんな所に存在するのか・・!!≫
葛飾探検団の人達と、柴又用水のことで、金町浄水場に向かっていた。
団員の一人、葛飾区の職員の方が居られ、土手の高台から「葛飾区社会体育会館」
の歴史について説明された。
① 建物は塔式に出来ていて、前面に望楼がついています。
② 塔屋には、大きなスピーカが四方八方に聞こえる様についています。
③ 前横に大きな字で「葛飾区社会体育会館」と書いてあります。
④ 3階前面に、3本の旗、掲揚台があります。
実はこの建物「葛飾区総合体育大会」が柴又グランドで行われた名残なんです。
現在は、立派な奥戸総合グランドが出来、そちらに移りました。
江戸川土手のかさ上げ工事で、柴又河川敷が見えにくくなりましたが、当時は立派に
体育大会で役目を果たしました。
河川敷で色々なスポーツ行事が行われ、「葛飾区社会体育会館」の建物が司令塔でした。
前面に、国旗掲揚台があるのが唯一の証拠です。
↑ 地図と建物をセットにしました。
金町浄水場交差点上から見た葛飾区社会教育会館
3本の掲揚台
この河川敷グランドで行われた、葛飾区総合運動大会です。
矢切の渡し運動場です。
葛飾区の住民でも、知る人は少なく、
どうでもいい話ですが、何故?どうして?こんな場所に?の謎が解けました!
私にしてみたら、
長年疑問で抱えていたことが判明すると、気持ちがスーッとします。
大運動会➡柴又河川敷。柴又河川敷➡土手下の社会教育会館建物。
意外な疑問の謎が解けた。
この建物も間もなく解体されるとの事です。
コメ欄はお休みです。