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葛飾柴又の文化的な景観 チャプター❺ 完

2017年09月17日 | 紀  郷土博物館 葛探団

大正・昭和期の柴又用水跡を歩く
(葛飾探検隊・記録用 )

 

金町浄水場からの放水を利用

  昭和元年(1926)8月、金町浄水場が江戸川から源水を取水して、稼動開始した。
柴又地域の北側にある金町浄水場では、江戸川から取水して、浄水処理したのち時間が経過し過ぎて上水として供給できない水を再び江戸川に戻していた。これを知った、柴又の農民は、この水を柴又用水に放流するように懇願し、その結果が真光寺真勝院裏付近から放流し、現在の柴又東リ付近の水路に合流し、柴又用水となった。

 


「大正・昭和における柴又用水における
利用と維持管理の変遷」  山科 盛人  福井 恒明    (出典)


コンクリートが見えます。
付近の古老に尋ねるとこの道路をどぶ川が走って柴又道路方向に流れていた。(談)


この丸いコンクリートが放流口であったかは定かでない。
探検団の人達、一度中も見学したいものです・・・ね。

 

 

    今回は金町浄水場からの放流水の現場?を探検した。
   柴又用水は、①小岩用水からの分水、 ②江戸川・新八用水路からの揚水、 ③金町浄水場からの放水
   の3ヶ所の現場を見分した。
    農民は苦労して水を確保して、作物に当てがった。 如何に農業と水が大切であるか!!考えさせら   
   れた。確保した水を地域内に留めておくための「堰」を設けたのは、柴又の歴史的領域を示すものと考
   えられる。

 謝 辞
     8月の下見に行った際、付近の古老から昔話を聞かせて貰いました、この場をお借りして御礼申し
   上げます。 文献・山科盛人、福井恒明氏の研究資料をお借りしました。そして記事の骨格をなしたこ
   とに感謝 いたします。

 

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