埼玉・見沼代用水
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歪みます
多くの写真を撮ってきましたが、構想がまとまりません。
とりあえず概略だけ。
伊奈一族による見沼溜井の造成
江戸時代の初期、利根川と荒川は、
越谷付近で合流し、いつも氾濫を繰り返し住民悩みの種でした。
当時としては大工事、
氾濫をなくすために両川を引き離し、その後を大水田地帯にした土木工事です。
利根川の水を銚子の方に流すようにしました。
荒川は、熊谷の久下で、元荒川を閉め、
入間川を経て隅田川に流れを変えて江戸湾に注ぎました。
その後、見沼溜井から水を引き、新田開発で一大水田地帯になりました。
柴川と見沼代用水が合流しますが、3mの推移の違いがありました。
ここに設けられたのが、木造式閘門式運河です。
昔の通船堀
概略・歩行コース
JR武蔵野線➡東浦和 ➡フジノ会・32名集合 ➡ 見沼通船掘り
➡ 川口自然公園➡ 大崎公園➡ 浦和くらしの博物館 ➡ 念仏橋バス停 ➡ JR浦和駅
下は ↓ クリック拡大されます
見沼代通船掘り 念仏橋バス停 皆さんと別れバスで 浦和→小岩
通船掘り周辺
詳細は後日掲載します。
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