日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

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寅さん映画は、なぜ・・『柴又の街に』、誕生秘話・・・柴又発1

2020年07月10日 | 宗  神社・仏閣・著名な建物


      柴又駅前

 

 
『映画から見た昭和の風景』・・
佐藤利明氏 2016,3(探検団記念講演)から
 
寅さんの故郷は、なぜ柴又になったのか」で、サワリを記した。

 

 

東京人・2020・1月号
           早乙女勝元の記事が掲載



「東京人、最初のことばから」



 図書館で、ふと目に止まった寅さん、
                         草葉の陰の寅さんは、誕生秘話で健在だった・・・・。

 

 

 

    監督を柴又に案内したあの日・・・

 
 若き日の山田監督と、早乙女勝元氏

 

私と山田洋二監督との友好関係は、お互いに20代(山田さんが1歳年上)だったから、50年以上の付き合いになる。

私は失業者でした。20代半ばで失業すると、それ以上働く気力を失い、姉の嫁ぎ先である家に住まいを移していた。

住居は葛飾区新宿でした。姉の物置小屋みたいなバラックに独り住まい、明日の食料さえことかく生活でした。

 
    映画化された「美しい橋」          美しい橋の自叙伝の入った小説集

 


 当時その頃、好きな小説(青春小説)を書く事でした。
ひょんなことからこれが映画化される。


≪明日をつくる少女≫ハーモニカ工場で働く青春群像を描いたものでした。

これらがきっかけとなり、山田さんとは、気さくに話せる間柄になっていた。

「下町の太陽」を撮ることになり、これに協力してくれないか・・・・と言う話があり

この作品にかかわることになる

 

自伝小説から

 


 早乙女勝元氏の自伝小説「秘密」より抜粋
家を建てる時のエピソードが、ものすごくリアルに
描写されています、次回に掲載します。
戦後のドサクサ物語を・・・お待ちください。

 

 クリック拡大
 原作・早乙女勝元

当時私にできることは、好きな小説を書く事でした。
ほとんどが、青春小説で、これがどをいう風の吹き回しか、

映画化されて東宝、松竹、東映とつながり山田洋次監督と気安い関係になる。

世田谷の団地迄遊びに行ったりして、監督の奥さんとも知り合いになり、

山田監督が「下町の太陽」(1963年)を撮ることとなり、プロット(創作物における物語や構想の事です)作成に

協力してくれないか・・と言う声がかかる。

山田監督は、関西出身で、旧満州からの引揚者で、

下町ものの物語は、どちらかと言えば早乙女氏の方がよく知っていて
協力関係を約束することとなった。

その2、3へと続く・・・

 

。。。--。。。。。--。。。。。-。。。

参考資料

 

-。。
 当時のポスターと賠償千恵子

下町の太陽 (松竹) 昭和38年 86分

こちらは松竹の下町映画。主人公は倍賞千恵子(町子)。演技はうまいし
もちろん歌もうまい。デビュー直後でも堂々としている(SKD出身)。
監督は山田洋次。

白黒で映画自体も生真面目でかたい印象。

でも「男はつらいよ」の予感を思わせる。

はじめに下町の有名な風景が折り込まれていた。

 

 

 

 

 

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『夜の街』関連、感染者〇〇人

2020年07月10日 | 紀  一寸気になる行きたい場所


      コロナウイルス菌

 

男・女・酒場・歌謡曲  無遠慮な言葉「夜の街」

 

 

男の独り言

          縄文人 ・ 作詞

恋が心の花なれば 男

泣いてあなたの 背中に投げた

私の気持ちは変わらない

貴方がいれば 生きられる

男って奴は アア男の独り言

 

はるかな故郷 恋うる奴

めぐる思い出 いつかは還る

定めの心に操られ

貴女がいれば 生きられる

男って奴は アア男の独り言

 

かくもあんなに愛されて来たはずの場所が、

昨今はずいぶんと遠慮なく蔑視するかのように、視線にさらされている。

ネオン、涙、男、女、酒場この街には5つの言葉があれば

立派な歌が出来上がると言われた「夜の街」である。



東京都で9日220人以上が新型コロナウイルスに感染していることが分かった。
都内の感染者数  としては過去最多となる。

「夜の街対策」関連、どうする『夜の街対策』と

盛んにメデアが書き立て健全な市民の敵のような感覚で読む人に錯覚すら与える。

感染者数220名となれば、『夜の街関連』でなく、東京都として本腰を入れなければならない
境地に立たされているのではないでしょうか。
 
新宿歌舞伎町といえば、お任せください東京でも日本を代表する

『夜の街』で、多くの人達が酒、女、男、盛り場の快楽を求めて集い、ロマンを見出すところであろう。

そのむかし現役の頃、新宿は通勤電車の乗り換え途中駅、「夜の街」を彷徨ったことも思い出として。

若き男女が時間を忘れ酒に、女性、雰囲気に酔い一夜を過ごしたことでしょう。

あの新宿駅、西口の通り抜け酒場「しょうべん横丁」、 歌舞伎町とは
雲泥の差で、ちょいとレベルは大衆的ですが、
 
懐かしき「思い出横丁」は今どうしているだろう。
 
しょうべん横丁→思い出横丁へ
 
 
 
 
shut

 

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