柴又駅前
『映画から見た昭和の風景』・・佐藤利明氏 2016,3(探検団記念講演)から
「寅さんの故郷は、なぜ柴又になったのか」で、サワリを記した。
東京人・2020・1月号
早乙女勝元の記事が掲載
「東京人、最初のことばから」
図書館で、ふと目に止まった寅さん、
草葉の陰の寅さんは、誕生秘話で健在だった・・・・。
監督を柴又に案内したあの日・・・
若き日の山田監督と、早乙女勝元氏
私と山田洋二監督との友好関係は、お互いに20代(山田さんが1歳年上)だったから、50年以上の付き合いになる。
私は失業者でした。20代半ばで失業すると、それ以上働く気力を失い、姉の嫁ぎ先である家に住まいを移していた。
住居は葛飾区新宿でした。姉の物置小屋みたいなバラックに独り住まい、明日の食料さえことかく生活でした。
映画化された「美しい橋」 美しい橋の自叙伝の入った小説集
当時その頃、好きな小説(青春小説)を書く事でした。
ひょんなことからこれが映画化される。
≪明日をつくる少女≫ハーモニカ工場で働く青春群像を描いたものでした。
これらがきっかけとなり、山田さんとは、気さくに話せる間柄になっていた。
「下町の太陽」を撮ることになり、これに協力してくれないか・・・・と言う話があり
この作品にかかわることになる。
自伝小説から
早乙女勝元氏の自伝小説「秘密」より抜粋
家を建てる時のエピソードが、ものすごくリアルに
描写されています、次回に掲載します。
戦後のドサクサ物語を・・・お待ちください。
当時私にできることは、好きな小説を書く事でした。
ほとんどが、青春小説で、これがどをいう風の吹き回しか、
映画化されて東宝、松竹、東映とつながり山田洋次監督と気安い関係になる。
世田谷の団地迄遊びに行ったりして、監督の奥さんとも知り合いになり、
山田監督が「下町の太陽」(1963年)を撮ることとなり、プロット(創作物における物語や構想の事です)作成に
協力してくれないか・・と言う声がかかる。
山田監督は、関西出身で、旧満州からの引揚者で、
下町ものの物語は、どちらかと言えば早乙女氏の方がよく知っていて
協力関係を約束することとなった。
その2、3へと続く・・・
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参考資料
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当時のポスターと賠償千恵子
下町の太陽 (松竹) 昭和38年 86分
こちらは松竹の下町映画。主人公は倍賞千恵子(町子)。演技はうまいし
もちろん歌もうまい。デビュー直後でも堂々としている(SKD出身)。
監督は山田洋次。
白黒で映画自体も生真面目でかたい印象。
でも「男はつらいよ」の予感を思わせる。
はじめに下町の有名な風景が折り込まれていた。