季語のお勉強・夕涼み
漢字にルビを付ける問題について・・・。
7月の兼題 「端居・はしい・はしゐ」
端居は、涼を求めて縁側などに夏の夕方や夜に出てくつろぐことを
いいます。
端というのは、縁側のような家屋の端のところです。
初めて聞いた言葉でした。少し掘下げて見ました。
端居」とは読んで字のごとく「端に居る」という意味です。でも、これだけでは意味がわか
りませんよね。では、同義語の「夕端居(ゆうばしい)」はどうでしょう? こちらのほう
が少しわかりやすいかもしれません。
端居の端は、縁側などの端のこと、居は居る。
つまり、縁側の端の方の風通しのよい所でひとり涼む様子をいいます。夏も夕方になると
日中より少し度が下がり、風なども吹いて、涼むにはよい時間そこで夕食前や、ひと風呂
浴びたあとに縁側などに座り、庭や景色を眺めながら過ごす(涼む)ことが「端居」なのです。
しかし、たった二文字でこれだけの意味を想像するのは至難の業(笑)。
涼むのだったら「夕涼み」と同じなのでは?……という疑問も湧いて当然ですね。そんな疑問を抱いた方
に次の項では、「夕涼み」と「端居」の違いについてひもといていきましょう。
絶滅危惧種的季語「端居」は存在なのか?
「端居」して、夏の終わりを惜しむ 実際に、現代の暮らしに目を向けてみると、縁側のある家などは少
なくなっています。最近では「濡れ縁」という言葉を聞いて「それ、何?」と首をかしげる小学生も増え
ているようですね(小学生だけではないようですが 笑)。
そんな変化のなか、「夕涼み」という季語
が広く使われているのに対し、「端居」は死語と化しつつあります。素晴らしい趣きある言葉だけに、そ
れはとても残念なこと……。 加えて「夏惜しむ」という季語をご存じでしょうか? 夏はエネルギッシュ
であり、万物が大きく育まれる季節。そうした生命力みなぎる夏が去りゆくことを惜しむ感情を表す
季語が「夏惜しむ」なのです。
(深堀するためにaera・webから引用しました。)
かめの会句会(7/16)
・ 憩いの場消えゆく宿命(サダメ)端居かな (縄)
・ 古民家の端居の傷跡(キズ)やガキのころ (縄)
昨日句会で合評会が行われました。4句のうち2句を取り上げた。
何方も”端居”の夕涼み的な感情はなく、端居について「昔の想い、消えゆく寂しさを詠んでいる」
つまり季語を補強的に擁護している・・・そんな感じの詠み取れる句です。
『端居の本来の意味』を十分に理解していない詠み句・・・です。
難しい、難しい!!
『 反省&検討 』研究の余地あり!!
価値観の相違か?漢字にルビを付けることの意義・・・。
「啜る」👉ススル、「傷跡」👉キズ、「一日」👉ヒトヒ、「宿命」👉サダメとルビを付けた。
ルビに俳句は、愚行でしかなく、これにはまったら俳句はアウトです。
間違った知識は一掃しなければならない。大いに反省した。
・・・が、しかし、「俳句」という文芸を、『ルビ』と『漢字』の力をもって、
現代(令和)の皆さんにも届けられていたら幸いです。
皆さんもぜひ新設された「ルビ」機能を活用した作品を作ってみて下さい。
私のコメント欄で、記事や句を紹介して頂いても結構ですよー (夏井先生)
と、ルビ問題は、2分された気がします。研究の余地あり。
『義士の日の看板や白く降る夜空』梅沢富美男
『魚市場のかっちゃスカーフはあけび色』梅沢富美男
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