母は、働き抜いた~~。
モロコシ饅頭作り
右は母(83歳の頃)と左は隣家の人、自宅の縁側にて。
聞き書「埼玉の食事、(秩父山地の食事)」本の取材時の写真、19991年時
五行歌
農耕 養蚕
母よルーツを教えて
縄文人・作
「江戸川コラムの集い」から抜粋。
コメント欄は開けています。
母は、働き抜いた~~。
モロコシ饅頭作り
右は母(83歳の頃)と左は隣家の人、自宅の縁側にて。
聞き書「埼玉の食事、(秩父山地の食事)」本の取材時の写真、19991年時
五行歌
農耕 養蚕
母よルーツを教えて
縄文人・作
「江戸川コラムの集い」から抜粋。
コメント欄は開けています。
父も働くのが趣味のように働いて働いての一生でした。誰に強制されるわけでもなかったから、あんなに働けたのだと思います。
祖母も養蚕をしていたようですが、年4回もとは凄いですね。祖母に養蚕のことを聞いておけば良かった、です。裸電球1個の下で夜なべ(夜の仕事)をしたと、その話は聞いています。とにかく、体を動かし手を動かしだったようです。母も11歳で父と死別でした。とにかく昔の農家の人は、働き詰めだったと、思っています。
何時も読みてや
感謝かな(縄)
八十路を過ぎて、親の恩、有難さが分かってきたような気がします。
五行歌を書いていましたら、、そうだ昔し書き留めておきし、コラムがと・・・・
引っ張り出して再読しました。
読んでもらってありがとうございます。
お父さまは残念でございましたね。
農家の娘を経験しましたのでお母さまのご苦労は良くわかります。
幼い時の真夏の畑の草取り、野菜の出荷の準備に夜なべ仕事、縄を編んでこもも編みました。
今の健康は農家の娘のおかげと感謝しております。