古民家・茅葺屋根の探求
茅葺屋根といえば、
世界遺産:白川郷、京都美山:かやぶきの里、福島大内宿ぐらいしか知らない。
今回忍野村の茅葺屋根を訪ね、屋根の醸し出す良さを知り、ルーツを知ろうと忍野村観光推進課に電話して伺った。
見事な庭を配しての忍野村兜造りの佇まい・・・癒されます
1、忍野村茅葺屋根のルーツ
東京の西多摩郡・桧原村のほうにもあるようです。
妻側を切ってあるのがあるのが一般的ですが平側(横)を切ってあるのは平兜造りというのだそうです。
養蚕農家の煙抜きのような気がします。昔は蚕は年に1回、明治になって品種改良で夏も秋も可能になり蚕室温め、その空気抜きと思います。
山梨は養蚕国、たぶん養蚕農家の母屋、蚕室兼用の住宅であったのでは。冨士裾野では地質から穀類はあまり取れなかったのでは?
ヒキノさんが仰っていた通り、忍野村役場のWさんも同じ答えが返ってきました。
ヒキノさんから寄せられたコメントをそのまま掲載しました。
2、屋根の形
南会津系に属するそうです。いわゆるカブと造り。
武蔵、西東京、相模、上の原の地域がこの系統だそうです。明治の初期、茅葺職人が忍野村地方に入りこのような屋根を広めたのが、現在このようにして保存され残っています。
屋根葺き職人は、田植えや稲刈りの後、出稼ぎで全国を回ったようです。天明4年(1784)の飢饉から出稼ぎ屋根職人が出始めたとされている。
茅葺屋根の下に咲く梅雨の菖蒲
3、茅葺屋根の良し悪さ
茅葺屋根の良さは①夏は涼しく、冬は暖かい②雨音がしない静かである③自然の材料を使い育成可能な自然資源である・・・など地球環境にやさしい屋根である。反面、屋根葺き職人が減少し①手間が掛かり費用が多額にいる②耐久性に乏しく、葺き替えにも相当な金額が必要である③火災に弱いなどのデメリットも多いので年々減少している。
4、村からの補助
費用の3分の2を村から補助されます。限度額は30万円まで。
資料画像です
(参考)千葉県干潟町、建坪58坪。工期98年3月
で600万円との事です。
忍野村役場、Wさん有り難う御座いました。
出来れば読みやすいように元に戻していただけませんか。
そうしていただければ助かります。
写真は大きくて楽しめています。
我が家は東日本大震災で瓦屋根が一部壊れた。
茅葺屋根だったら壊れる事は無い。
今さら言っても始まりませんが。
南会津では大内宿と言う所が茅葺屋根で保存されている。
何度か行ってますが観光地として賑わってます。
千葉県干潟町は我が故郷の近くにある町で、その町も行って記憶に残ってます。
昔は茅葺屋根も彼方此方で見てました。
葺くための手間も技術もいる上に、材料も入手しにくくなっているのでしょう。
天明の飢饉が関係していたとは知りませんでした。
でも吹き替えは大変見たい。
でも残したい建物です
屋根だけじゃなくお庭もお金がかかりそうです。。
穀類があまりとれない所で 養蚕農家が多かった・・・なるほどですね。。
縄文人さんは体当たりで調べられ素晴らしいです。
若さを保つ秘訣ですね。。
早速大きく拡大しました。
新聞なども大活字が読みやすいです。
よく観光写真で見かけますが行ってないのが残念です。
とくさんのふるさとは千葉県干潟町でしたか。
たまたま資料があって掲載しました。
やはり茅葺屋根は、だんだん衰退していくのでしょう。保存や吹き替え費用が大変のようです。
材料が
大麦の茎を使いました。屋根の吹き替えをするときは、部落総出で手伝い、材料も持ちよって工面をする・・・・・という協力体制でした。
今はほとんどなくなりました。
保存や葺き替えがたいへんのようです。
このような屋根の葺き替えをTVで見たことがありますがボランティヤも沢山必要
費用も馬鹿になりません。
長野県の方なのでよくご存知です。
縄文レポート突撃隊が今日も行くいく忍野村。
村役場、町役場の方々はよくおしえてくれます。旅行などで不安なところがあったら、電話で教えを乞うのがよさそうです。