季語のある風景
土曜日・19日・句会
初めて出会った「竹の秋」「竹の春」の季語、季節??
1,季語について
俳句は、五・七・五の十七音という決まりの他に、句の中に季語をひとつ
入れるという決まりがあります。
これを”有季定型”といいます。 季語とは、その句がどの季節を表現したのかを表す言葉の事です。
春夏秋冬の四季や、歳時記などに関係する言葉が用いられます。
2、竹の秋、竹の春
かめの会の俳句会で、3月例会で兼題「竹の秋」について宿題を頂いた。
そして、「竹の秋」のプリントも一緒に配布された。
春先になると、竹は前年から蓄えた養分を、地下のタケノコに送るため、
葉が黄ばんだ状態になる。これが他の植物の秋を思わせることから竹の秋と言う。
凋落(ちょうらく)と思われるが美し春竹の葉を落とす。
竹の春についても解説プリントを頂いた。
「竹の春」についても解説プリントを頂いた。
竹の春=仲秋 竹は、たけのこの出る時期、栄養を奪われて衰える。
秋になると勢いを取り戻し、葉も青々としてくる。 この状態を「竹の春」という。
ふと、これらの解説を読み春と秋が逆ではないかと疑ったが・・・
歳時記には、やはりその様に書いてありました。
3,竹林についての観察(余談)
タケノコは、掘らずにおくとわずか1ヶ月で立派な竹に成長します。
これを放っておくと、見る見るうちに竹が増えて竹藪と変わります。
すると竹林内に日当たりが悪くなり、次世代のタケノコは栄養を摂れず細くなり、
タケノコが竹になるも、台風などに耐えれず、すぐ倒れたり枯れたりしてボサ藪(竹林)となる。
さらにその子どものタケノコも生育が悪くなり……悪循環です。
まさに、それが管理の行き届かない竹藪に起り竹林の存在意義がなくなります。
竹藪
密林となって暗くなり、筍は生えなくなります。
3,「竹の秋」出稿、提出作品5句を詠む
▼ 渡月橋 嵯峨野の小道 竹の秋
竹と言えば京都を先ずは、上げるでしょう。
嵯峨野から嵐山に通づる小径のたどればここぞ、嵯峨野・竹林を味会うことが出来る。
両側に当てがい竹の枝の小径が気分を盛り上げる。
竹と言えば京都を先ずは、上げるでしょう。
嵯峨野から嵐山に通づる小径のたどればここぞ、嵯峨野・竹林を味会うことが出来る。
両側に当てがい竹の枝の小径が気分を盛り上げる。
嵯峨野の竹林
▼ 古民家の 裏木戸潜る 竹の秋
わが故郷は秩父の山の中。「かかあ天下に空っ風」群馬県の北風が吹き下ろす。
どこの家にもスギや、雑木林、竹林が裏手を巡らします。防風林
わが故郷は秩父の山の中。「かかあ天下に空っ風」群馬県の北風が吹き下ろす。
どこの家にもスギや、雑木林、竹林が裏手を巡らします。防風林
▼ 風に揺れ イナバウア~や 竹の秋
イナバウアーと言えばスケートの女王です。荒川静香さん
風が吹いたり、降雪時に雪の重みで垂れ下がります。竹には節がありて折れることはない。
しかし冬の雪の多いときはミシミシと、あるときはポンと重みに耐えかねて簡単に折れる。
大雪の朝学校へ行くとき、あっちでもこっちでも耐えかねてパ~ンと弾けて竹が割れた。
曲った竹林
イナバウアーと言えばスケートの女王です。荒川静香さん
風が吹いたり、降雪時に雪の重みで垂れ下がります。竹には節がありて折れることはない。
しかし冬の雪の多いときはミシミシと、あるときはポンと重みに耐えかねて簡単に折れる。
大雪の朝学校へ行くとき、あっちでもこっちでも耐えかねてパ~ンと弾けて竹が割れた。
曲った竹林
▼ 竹の秋 木洩れ日小路 竹寺へ
埼玉・飯能・奥武蔵に深い緑に囲まれた精進料理のおいしい竹寺・結願寺がある。
竹寺 の名前の通り、竹林の小径に木洩れ日を受けながら進むと竹寺です。
埼玉・飯能・奥武蔵に深い緑に囲まれた精進料理のおいしい竹寺・結願寺がある。
竹寺 の名前の通り、竹林の小径に木洩れ日を受けながら進むと竹寺です。
▼ 凋落や 季節は春の 竹の秋
竹の春、仲秋 竹は、筍の出る時期、栄養を奪われて衰える。
秋の竹林を「竹の春」と言う。川柳の気持ちで詠みました。
竹の春、仲秋 竹は、筍の出る時期、栄養を奪われて衰える。
秋の竹林を「竹の春」と言う。川柳の気持ちで詠みました。
追 加
・もっこりと 古民家裏の 竹の秋
・竹の子に 栄養とられて 竹の秋
それぞれに「竹の秋」➡春、「竹の春」➡秋のことです。
検索してみますと、なお興味が湧くこと必定。
検索してみますと、なお興味が湧くこと必定。
コメ欄は締めています。