震災後の名残
書き出し | お三輪が東京の方にいる伜の新七からの便りを受取って、浦和の町からちょっと上京しようと 思い立つ頃は、震災後満一年にあたる九月一日がまためぐって来た頃であった。 |
・・・・ 東京まで出て行って見ると、
震災の 名残 は、まだ芝の公園あたりにも深かった。
そこここの樹蔭には、不幸な避難者の仮小屋も取払われずにある。
公園の蓮池を前に、桜やアカシヤが影を落している静かな一隅が、
お三輪の目ざして行ったところだ。
葦簾で囲った・・・
<島崎藤村 「食堂」>
名残の奥戸園のバラ
バラ園に行くと草取り、施肥、剪定作業を行い
来春へ「立派な花咲いてよ!」と言わんばかり、手入れに余念が無かった。
名残のバラをカメラに収め、作業員の方々にご苦労さんですと挨拶交わし、バラ園を後にした。
オリンピックハイアー
夏のバラ庭の千草や同床異夢 (縄)
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