Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

犠牲と功績(2)

2023年10月11日 06時30分00秒 | Weblog
 「検察庁はかつて、官僚組織としては珍しく人事が東京一極集中ではなかった。大阪を中心とした人事異動で検察人生をまっとうする人たちがたくさんいた。濃密な人間関係のなかで現役とヤメ検が強力なネットワークを築き、総体として「関西検察」と呼ばれた。

 「関西では、検察の大物OBと、経済界の関係が深いと言われている。その中心に位置するのが、「関西検察のドン」と称される元検事総長土肥孝治氏だ。土肥氏は、長年にわたって関西電力の社外監査役を務め、今年6月の株主総会で退任した、その土肥氏の後任として新たに社外監査役に就任したのが、元大阪高検検事長の佐々木茂夫弁護士。今年で75歳、後期高齢者が新任社外監査役というのは、極めて異例である。

 修習生時代、検察教官から、「検察庁は、関東と北海道・九州を行き来する『東廻りコース』と、関西と四国を行き来する『西廻りコース』があって、私は『西回りコース』でした」という話が出たことがある(しかも、両者では起訴状の書きぶりも若干違うそうである。)。
 どうやら、検察官は、人事において大きく2つにグループ分けがなされているようだ。
 その理由や実態はよく分からないが、これは、一般企業にもよくある「営業畑」と「管理畑」のような、セクショナリズムの一種ではないだろうか?
 さらに言えば、エリート・コースである特捜検事の内部においても、かつて田中森一氏が指摘したように、
1 東大法学部卒を中心とする「赤レンガ組」の法務官僚
2 先輩検事の娘と結婚している「閨閥組」
3 現場の捜査で実績を上げた「現場叩き上げ組」 
の3つのグループが存在するらしい(閨閥組)。
 そうすると、おおざっぱに言うと、エリート検察官には、「関東検察」/「関西検察」という2区分と、田中氏が指摘した3区分を掛け合わせて2×3=6つのグループが存在することになる。
  そして、各グループが、庁内のポストや退官後の天下り先を巡って、角逐(ないしエシャンジュ)を繰り広げているのではないかと思われる。
 村木事件が起きた背景には、こうしたセクショナリズムがあったと思う。
 つまり、「関西検察」の上層部は、「関西政界の大物を検挙すれば、庁内で優位に立ち、重要ポストを手に入れることが出来る」と考えて、事件を捏造したわけである。
 警視庁公安部もそうだったが(犠牲と功績)、村木さんの冤罪事件は、ポストや利益を巡る集団間のエシャンジュの中で生み出されたのである。
 ・・・とはいえ、弁護士も例外ではないのかもしれない。
 というのも、近年、某単位弁護士会が最高裁判事のポストを独占しており(新最高裁判事(弁護士出身)は、また一弁  これで6人連続)、この背景には、政権とのエシャンジュがあるのではないかと疑われるからである
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どっちがどっち?

2023年10月10日 06時30分00秒 | Weblog

 20年ぶりの来日公演ということだが、私は「ジョン・ウィリアムズ・トリビュート」を聴きに行った。
 すると、会場の東京国際フォーラム ホールA (とにかくデカいホール)はほぼ満席の大盛況で、当然のことながら、トイレには大行列が出来ている(トイレの数が少ないのがこの会場の難点である。)。
 この会場は余りにデカいため、オーケストラやピアノの音はマイクで拡大されることになる。
 この会場ではドミンゴもマイクを持って歌っていたが、(小さめの)ホールCや東京文化会館でオペラ歌手が「マイクを持って歌う」場面は見た記憶がないので、「マイク使用」はこのホールだけで許されることなのかもしれない。
 さて、初っ端は、誰もが聴いたことのある「スーパーマン・マーチ」である。
 多くの人が体を動かしてリズムをとっているようだ。
  その後も「ジョーズのテーマ」などのおなじみの曲が続く。
 これでは、満席になって当然である。
 本日のゲストはピアニストの角野隼人さんで、アンコールのサービスもあった。
 ラストは、やはりこの曲、「スターウォーズ『メイン・タイトル』」である。
 終演後はスタンディング・オベーションの嵐となり、いかにこの曲の人気が凄いかが分かる。
 ・・・だが、この曲を聴いた後で、「スーパーマン・マーチ」のメロディを思い出そうとすると、なかなか難しい。
 どっちがどっちだろう?
 なぜなら、曲調が非常に似ており、両者を混同してしまいがちだからである(Star Wars vs. Superman Theme)。

 
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二刀流から三刀流へ(2)

2023年10月09日 06時30分00秒 | Weblog

 「三部作」として有名なプッチーニのオペラの真ん中:「修道女アンジェリカ」と、ラヴェルにしては珍しいオペラ作品の「子どもと魔法」のダブルビル。
 この関係性は、「子による救済」と「母による救済」ということのようだ(公演パンフレット・p36~)。
 イタリア語とフランス語のオペラだが、急遽、2つのオペラに、準主役級(侯爵夫人役ち母親役)で同一の歌手が出演することとなった。

 「2023/2024シーズンオペラ『修道女アンジェリカ/子どもと魔法』におきまして、『修道女アンジェリカ』公爵夫人役に出演を予定しておりましたマリアンナ・ピッツォラートは、本人の都合により出演できなくなりました。代わりまして、齊藤純子が出演いたします。

 どちらも「怖いおばさん」というキャラクターだが、素晴らしいパフォーマンスであった。
 齋藤さんは、ワーグナーもレパートリーに入っているので、ドイツ語も堪能なのだろう。
 ということは、イタリア語、フランス語、ドイツ語の「三刀流」ということになる。
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ロバと roba

2023年10月08日 06時30分00秒 | Weblog
 (Dal fond a sinistra entrano due Suore cercatrici conducendo un ciuchino carico di roba)
(舞台奥下手からふたりの托鉢修道女たちが荷物を積んだ小さなロバを引き連れて入って来る)(p11)

 「修道女アンジェリカ」の予習で対訳本を読んでいたら、上に引用した箇所で目がテンになった。
 イタリア語の原文に、なんと”roba”という単語がある。
 だが、調べてみると、イタリア語でロバは asino で、”roba” は「物」という意味らしい。
 イタリア語に詳しい人なら、誤植かどうか判別できるのだろうが、いかんせん私はイタリア語が分からないのである。
 
 

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知的信用(9)

2023年10月07日 06時30分00秒 | Weblog
特捜検察の正体 著:弘中 惇一郎
 「もちろん、「真実を明らかにする」という使命感から法曹資格を取り、検察庁に入った人は、たくさんいると思う。しかし、そういう良心的な人は、組織の論理になじめず辞めていくか、抵抗して飛ばされるか、というのが世の常だ。頑張って出世しようという人は、組織の論理に従っていくしかないのだろう。」(p233)

 私がかねてから思っていたことを、弘中先生が書いて下さっていた。
  おそらく、検察庁では、「組織の論理」によって、人材における「悪貨が良貨を駆逐する」現象(知的信用(8))が起きているのだろう。
 というのも、(私も多少は知っている)司法研修所で学んでいる検察官志望者たちは、おおむね正義感の強い、善良そうな人たちであり、そのような人たちの全員が、「事件をでっちあげる」特捜検事に変貌するわけではないからだ。
 この点について言うと、ミクロの視点が重要だと思う。
 具体的には、不祥事を起こした人物の経歴や思考の傾向などをプロファイリングしてみるのである。
 おそらく、そこには、「経済的に比較的恵まれた環境で育ったこと」(つまり「没落」に弱いこと)と並んで、「極めて強い集団志向・集団思考」という共通点が浮かび上がってくることだろう。
 私見では、この二つの要素は深く関連している。
 「エリート・コースから外れる🟰集団・群れからはぐれる」ことに対する強い恐怖が、この種の人間を動かすのである。
 こうした人材がひとたび権力機構に入るや、「組織の論理」を貫徹するためには手段を選ばない人間になるわけだ。
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没落現象回避型の弁護士

2023年10月06日 06時30分00秒 | Weblog
 「弁護士の窮状が話題になるのはなぜか。その真相は二極化だ。弁護士の激増で顧問先の獲得にあえぐ弁護士が増える一方、大手の若手の収入が増えた。」(ペーパー版ではp49)

 二極化が進んでいるというのは事実だろうが、”窮状”といっても、それが直ちに預り金の横領や詐欺などの不祥事につながるとは限らない。
 ”窮状”にあって犯罪的行為に手を染めるのは、ごく一部の限られた弁護士だけである。 
 その原因を探るべく、二人の(元)弁護士(横領と詐欺)のケースで見てみたいと思う。
(1)20期代・男性(80歳代)、妻(病身)と二人暮らし。
 裁判官任官後、弁護士に転じ、長年普通の街弁として業務を行ってきたが、自宅建築などのために負債がかさみ、預り金の着服などを理由として業務停止を含む数回の懲戒処分を受けた。
(2)60期代・男性(40歳代)、家族(妻子)あり。
 就職難の時代にあって出身地で就職し、主に企業法務の分野で経験を積んだ後に独立。しばらくして次々と不祥事が発覚して懲戒請求を受け、弁護士登録を抹消。詐欺の被疑事実により逮捕・起訴される。なお、借金については今のところ不明である。

 やや例外に属する可能性もあるケースについての、あくまで私見ではあるけれど、両者にはいくつか共通点があると思う。
① 比較的恵まれた経済生活を送ってきた
 ①②とも比較的裕福な家庭に育ち、特段経済的な困難を経験することなく法曹となったようである。
 また、結婚してからも、家庭生活は、当初は順調だった模様である。
② サラリーマン生活の経験がない
 ①②とも法曹になる前にサラリーマン生活を送った経験がない。
 おおざっぱに言えば、業務上「他人に頭を下げる」ことが常態化したような生活を送ったことはないと思われる。
 今でも弁護士(に限らず法曹)は、社会に出るとすぐに「先生」などと言われ、基本的に「他人に頭を下げる」ことはしない職業なのである。
③ 経済問題について家族に相談出来ない状況にあった
 これが非常に重要なポイントである。
 ①②とも、家族を養っていたところ、資金繰りの窮状について家族に相談できる状況にはなかったようだ。
 仮に、単身者、あるいは相談できる家族がいたとしよう。
 その場合、生活水準を下げる、あるいは安い家賃のところに引っ越すなどのコスト削減が可能と思われる。
 場合によっては、家族に対し「頭を下げる」ことも考えられるだろう。
 ところが、何らかの事情(①では妻は重い病気で相談不可、②は状況は不明)で、それが出来ない場合にはどうなるだろうか?
 弁護士は、破産すると資格を失うため、自己破産だけは避けたいと考えるのが通常だろう。
 それでは、転職すればよいかというと、特にサラリーマン生活の経験がない弁護士の場合、弁護士としての地位を失いたくないと考える人もいるだろう。
 そういう人物のうちのごく一部が、何とかして資金繰りをつけようとして、「依頼者のお金」に目を付けるのである。
 このメンタリティーは、「自殺論」の中でデュルケームが指摘した、「没落現象回避型」(25年前(10))に似ていると思う。
 いわば、「没落現象回避型の弁護士」である。
 自分一人が没落するのも容易ではないが、家族を養っている場合、「家族みんなで一緒に没落する」という選択はかなり難しい。
 そして、この種の弁護士は、「没落」(極限の形態は自殺)ではなく、依頼者を犠牲にするわけである。
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院政による監視

2023年10月05日 06時30分00秒 | Weblog

 阿部氏のパワハラの件はかなり前からニュースになっており、読売本社サイドも当然把握していたはずである。
 ところが、彼が次期監督にほぼ確定したようだ。

 「巨人の原辰徳監督(65)が退任することが3日、分かった。球団史上最長の監督通算17年目となった今季は若手を積極的に起用したが、3年連続でリーグ優勝を逃し、2年連続4位でCS進出に届かず。球団史上初の同一監督で2年連続Bクラスという惨敗を喫した。後任には、阿部慎之助ヘッド兼バッテリーコーチ(44)が最有力候補に浮上していることも明らかになった。

 スポーツ報知が書いているくらいなので、当確なのだろうが、問題はパワハラ対策である。
 普通に考えると、目上の人物による監視が行き届く体制を構築することが考えられる。
 そうなると、真っ先に思いつくのは、原氏のGM就任である。
 これなら、原氏のメンツも立つし、阿部氏も好き勝手が出来ないので、一石二鳥である。
 ただ、この体制は「院政」であり、現場との不要な軋轢を招くという見方も出来る。
 それに、チーム内にいないとパワハラの実態がよく見えないという可能性もある。
 うーむ、これはなかなか難しい。
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ステージ観察

2023年10月04日 06時30分00秒 | Weblog
 「三浦文彰のモーツァルト!辻󠄀井伸行のシューマン!清水和音の皇帝!
日本を代表するソリストが圧巻の演奏を次々に披露する超豪華なオーケストラ・コンサートの第2夜。
」 

 今日はGALAコンサートの第二夜。
 最前列とはいえ端に近い方の席で、どうしてこの席をとったのか自分でもよく分からない。
 某交響楽団の事務の人に「いちばんいい席を」を頼んだ時は、中央・7,8列目あたりのチケットが送られてきたので、歌舞伎でいうところの「とちり」の席というのは、クラシックのコンサートでも当てはまるのではないだろうか?
 さて、この位置取りだと、音の聴こえ方が偏ってしまうけれども、楽団員の方の動きや表情はよく見える。
 演奏していないときの団員の方の動きや表情は結構興味深い。
 例えば、ソリスト(辻井さんと清水さん)がアンコール曲を演奏している時は、体でリズムをとりながら、満足の余りニヤニヤしながら聴いている人が多い。
 ラストで指揮の三浦文彰さんが聴衆から大拍手を浴びる場面では、我が子の姿を横から見つめる三浦章宏さんの、いかにも幸せそうな表情がよく見える。
 数年前に父を亡くしたこともあるが、なぜか私は、この場面で今日一番の感動を覚えたのであった。
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アダージョ・カンタービレ

2023年10月03日 06時30分00秒 | Weblog
 「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番ハ長調Op.53「ワルトシュタイン」,第14番嬰ハ短調Op.27-2「月光」,第23番へ短調Op.57「熱情」 他

 YouTubeで”悲愴”第2楽章(アダージョ・カンタービレ)を聴いて注目していたフレディ・ケンプを初めて生で聴く。
 運よく最前列中央の席が確保出来た。
 ”悲愴”の演奏はパーフェクトといって良く、大満足である。
 第2楽章の「アダージョ・カンタービレ」は、ベートーヴェンが作った最も甘美なメロディーだと思う。
 なので、私は2日に1回はこれを聴いている。
 私見では、最後のパッセージを「ねっとりと、名残惜しそうに」弾くのがミソである。
 ここでイメージしているのは、
といったところである。
 今回の公演では、まさしくそれが実践されていた。
 ただ、敢えて言えば、”月光”の第3楽章や”ワルトシュタイン”の第1楽章でいくつかミスタッチがあったのは惜しいところか?
 
 「三浦文彰×清水和音×髙木竜馬×辻󠄀井伸行 夢のようなガラ・コンサート!

 開始前に解説者が言っていたが、「2回分のコンサートが聴ける」お得な公演で、しかも運良く中央2列目の席を確保。
 何と、三浦さんは最初から最後まで出ずっぱりという大活躍である。
 私が驚いたのは、辻井さんがアンコールで「アダージョ・カンタービレ」を弾いたこと。
 ついさっき紀尾井ホールで聴いたばかりのメロディーが、サントリーホールでも流れ始めたのである。
 辻井さんらしく、メロディーをくっきりと浮き上がらせる奏法で、いい気分で聴きながら、私は、最後の30秒間に全神経を集中させた。
 すると、・・・・・・。
 辻井さんは、予想したよりも”駆け足”で、最後のパッセージを弾いてしまったのである。
 うーん、これはちょっと・・・。
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二刀流から三刀流へ

2023年10月02日 06時30分00秒 | Weblog
 「清水和音×辻󠄀井伸行+三浦文彰&フレンズ!
豪華ソリストによる極上の室内楽!ブラームスの室内楽曲の人気作品を辻󠄀井伸行と清水和音が弾き分け、三浦文彰とARKシンフォニエッタが誇る名奏者たちが共演する、2023年の〈サントリーホール ARKクラシックス〉のオープニングを飾る夢のような室内楽コンサート!
」 

 「サントリーホール ARKクラシックス」は、「サントリーホールとアーク・カラヤン広場を舞台に、日本を代表するアーティストとして世界で活躍するピアニストの辻󠄀井伸行と、ヴァイオリニストの三浦文彰をアーティスティック・リーダーに迎え、世界でトップクラスの音楽仲間が集結する豪華な音楽祭 」である。
 「都会で楽しむクラシック」という、「富士山河口湖ピアノフェスティバル」とは真逆のコンセプトに基づいているようだ。
 さて、スケジュール表を見る限り、今年の主役は、おそらく三浦文彰さんということになるだろう。
 というのも、彼は、ヴァイオリンのソロだけでなく、指揮者としても、大車輪の活躍が見込まれているからだ。
 指揮者としての活動を始めるに際しては、お父様(東フィル・コンサートマスター)から苦言を呈されたらしい(「甘く見るなよ」ということだろうか?)。
 だが、昔から、ソリストが指揮者を兼ねたり、指揮者専門に転身したりすることはよくあったし、師匠であるピンカス・ズーカーマンもそうである。
 そういえば、ピアニストの反田恭平さんも、指揮者への転身を示唆しているそうだ。
 さて、「二刀流」の代表例と言えば、個人的には、やはりレナード・バーンスタインが真っ先に思い浮かぶ(彼は作曲家としてもすぐれた業績を残しているので、「三刀流」なのだが。)。
 三浦さんや反田さんも、「二刀流」を超えて「三刀流」になる日がやってくるかもしれない。
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