パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

エスカルゴは食べられるけど、かたつむりは、、、?

2006年11月24日 21時21分04秒 | Weblog
「エスカルゴって言ってた時は平気でパクパク
 食べていられたのに、それが、かたつむりって
 思い直したら全然食べられなくなってしまった」

これは先日食べ物について人と話していた時の事

「馬肉も知り合いからもらった時は
美味しくいただけたのだけれど
どうも、馬の姿を思い出すと、、、」

これらは自分の感想ではない
自分はどちらかと言えば
好奇心満々だからお腹に入るものは
とりあえず何でも食べてみるというタイプだ

しかし、言わんとすることは分かる気がする
そういえば以前、海老の踊り食いを
試す機会があった時、生きている海老の
皮をむしりとるのは、さすがに残酷に思えて
もう次からはいいや!と
思ったものだった

形がグロテスクだったりするとなかなか
食べられないかも知れない

蜂の子、ざざむし、
そういえばウニだって変な格好をしている
全く最初にあれを食べた人はエライ!

外国人は、日本人ならなんとも思わない
尾頭付きの魚を食卓に並べるのは
残酷で気持ちが悪いと
感じることがあるらしい

しかし日本人は、そういう彼らが
ご馳走のひとつとしてあげる豚や牛の丸焼き
顔がまだ残っているようなやつがテーブルに並ぶと
とても平気ではいられない?
(少なくとも自分は美味そう!より、なんだこれっ!だ)

結局は、単に食習慣の違い、
つまり慣れによるものだが
言葉でもって考え直すと
わりと変なことも、まだまだある

「死体を食べたことがありますか?」
と聞くと大半の人は間髪をおかず
「ノー」と答えるだろう
しかし、お刺身や焼肉は「死体」以外の何者でもない

こんな風に書いていても「死体」なんて
思うと食欲はなくなってしまいそうだが
改めて冷静に考えると
本当に生命を維持すると言うのは
全く多くの犠牲(おかげ)の上で成り立っている

その意味では、食事の前に発する言葉
「いただきます」の
省略形ではない本来の意味
「あななたたちの命を、私の命に(と)させていただきます」
を、我々は謙虚に思い出さなければいけないだろう



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