南アフリカ戦で勝利し一気に話題となったラグビー
そのワールド・カップの決勝戦はニュージーランドがオーストラリアを下して
大会2連覇で幕を閉じたようだが、果たしてこの決勝戦の視聴率は
どのくらいいったことだろうか
ラグビー自体に興味を覚えたのなら、深夜でもそこそ行くはず
しかし、単に日本代表をブーム的・周りの空気に乗っかかっているだけなら
日本代表が帰国した時点でワールド・カップは終了している
で、みんなが涙した南アフリカ戦のことを少し考えてみた
あれには感動したと言う声が多かった
何故感動したのか
勝ったからか、それとも試合の進め方、試合で感じられる何かが
感動を呼び起こしたのか
思考実験ではないが、あのゲームを全く関心のない人が見たら
どう思っただろうか?
今までラグビーを支えてきた人びと、関係者が
あの試合の最中に様々なことを思い出し、それが今報われようとしている
とか、最後まで諦めない雰囲気につい涙腺が緩んでしまった
というのは分かる
しかし、全然自分とは関係のない外国人が、自分の知らないルールの
競技をしていて、とにかく勝利に向かって戦っているとしたら
彼らはなんと思うのだろう
なんとなく熱気は感じたかもしれない
しかし、それ以上の思いは果たしてしただろうか
結局は感動は想像力に起因するのではないかと思ったりする
自分の国が勝つのは嬉しい
これは子供も些細な事でも勝ちたいということと同じで
疑いようの無いものとしても
より深い感動は見ている方が勝手に選手自身の苦労・鍛錬・背景を
想像してしまうからではないのか
この想像力なるのもが、人を突き動かしているが
スポーツのように想像しやすいことなら良いが
同じ想像力でも、安保関連法案のような法令文を
想像力で補って自分のものとするのは難しい
りんごが5つと3つでは幾つになるか
を考えることができる人が
5+3といった抽象化されたことには
答えられないことがあるという
同じ理屈で、固有名詞の誰々さんが何々をして問題を起こした
この問題を誰々さんは何々をすべきと考えることができるが
そこで起こした問題は人間全体の傾向であって
一般化して今度起きないようにしようとするのは難しい雰囲気が
一気に漂ってしまう(?)
存立危機事態は、抽象的な表現となっている
それは残念ながら、みんなが即理解できるものではない
想像力を用いても、それでもなおかつ別の疑問も出てくる代物
だからこそあの法案を通した人びとは丁寧に説明していく
と発言していたが、今のところ説明のための機会は
あったのだろうか?
今肝心なのは経済対策と話題はシフトしているが、、
抽象的な文章の理解の仕方、想像力では追いつかない
不明な部分の説明
それは何時行われるのだろうか
いや、それとも本当に行われるのか?
ラグビーに本当に感動したのだろうか
ただストレス発散ができたのとは、違っていたのだろうか
つい、いらぬ心配をしてしまう