パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

新城市庁舎建設見直しについての大まかな経過(個人的視点での報告)

2015年11月07日 16時15分27秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

新城市以外の方には関係ないし、おまけに分かりにくいにも関わらずしつこく取り上げているのが、住民投票、市庁舎見直しの件。
自分が関わったのはちょっとしたきっかけで今年の2月から、その経過を振り返ることは、「住民投票を求める会」が何をしてきたか、それから広がって市民自治をどのように実現しようとしているか参考になりそうなのと、何よりも自分の頭のなかを整理できるので頑張ってみることにする。(自分の視点からの経過報告だし、ちょっと長いので興味のある方はどうぞ)

 スタートは、「住民投票を求める会」(以下求める会)の方々の活動時点からではなく、自分が関わったところから。

まずは、住民投票実施のための署名活動を2月に行う
県議選が行われるために署名活動期間は前半の5日と選挙後の残りの日数に分けられたが、前半の5日間で予想以上の署名数を確保(9,000筆以上)。
そこでこの署名数をバックに4月の市議会での住民投票条例の可決を試みる

4月の市議会で、求める会に参加の議員から住民投票案が出されるも、一旦は文言に少訂正すべき部分があって、再提出を試みる
この時に、他の議員から共同提案の提出を打診される。
そこで、条例案が可決されるためには多くの議員の協力も必要と認識し、共同提案を行おうとする

 

条例案の検討が行われたが、そこで出てきたのが今回の住民投票の一番と問題となったあの分かりにくい選択肢による住民投票案。
選択肢1 市道東新町桜淵線の路線の変更を伴わない現計画の見直し

選択肢2 市道東新町桜淵線の路線の変更を伴う現計画の見直し 

共同提案を持ちかけられた議員は、このような条例案(選択肢)は署名をおこなった人びとの気持ちを反映していないし、何よりも分かりにくい、誤解を招く可能性があるために議決されることに責任は持てないと議決を棄権。結果的には新城市の議員18人のうち、この条例案で良しとしたのは議長をのぞく14名
この時の市議会には自分は部分的に傍聴にでかけた
求める会側のスタッフはおそらく傍聴できる全てにでかけたと思われる 

住民投票条例が可決した後、議会報告会が市内の数カ所で3日間、行われた。議会報告会では、あのわかり難い条例案(選択肢)をもっとわかりやすいものにしたらどうか、臨時議会で変更するように依頼をした。各会場はそういった声が多かったが、その場では持ち帰り検討すると返答されたが結果的には変更のための作業はなされなかった

住民投票が行われることになったため、求める会側は選択肢2が自分たちの意志を反映していないが、選択肢1と比べてより近いということで、選択肢2の支持を得るべく市内の数カ所で選択肢2の説明会を行った。
この説明会に動員を図るために、署名活動を積極的に関わった方々は案内チラシを人海戦術でポスティング
印刷費等活動費用に不安が生じたため、自発的に資金援助するメンバーが続出

 

5月16日新城まちづくり集会が行われ、住民投票について条例案の説明が行われる
しかし、このまちづくり集会は選択肢1,2の説明とも行政が行い、選択肢2についてはよくわからないとの答弁もあった。また実質的に選択肢2に与えられた説明時間は圧倒的に少なく不公平なものだった

 

住民投票が公示され、選挙活動に入る
街頭演説、支持を得るためのチラシのポスティングを各地に分かれて、行う

5月31日住民投票が行われ、選択肢2が12,899 選択肢1が9,759
選択肢2の勝利

6月4日 市長が住民投票の結果を踏まえて見直しを記者発表
内容は東庁舎の活用、東新町桜淵線の路線の変更は行う(元に戻す)、面積は7000平米を前提とする
求める会は、住民投票の本質は道路の形状等ではなくて、実質的に検討されたのは金額面であったため、見直すということは「3階建て30億円」を市民が選択したものと理解すべきと議会に請願書、市長に要請書を提出
この時、市長側から求める会側に公開の「住民投票の結果を受けての庁舎建設の見直しのための実務協議」の参加を依頼される
求める会側は了承

6月市議会が開催され、住民投票で結論が出たはずの市道東新町桜淵線の復活は
建設委員会では一旦継続審議となる。
それではせっかくの実務協議に参加できないこともあり、本会議では委員会に差し戻しとなり再度委員会で討論、可決
そして本会議で採決するが、住民投票で求められた市道東新町桜淵線の復活に賛成しなかった議員は6名また、求める会側から提出された住民投票の総括の請願書については継続審議となった
この議会は傍聴

住民投票が終わって一段落した時点で、求める会は署名活動に積極的に関わっていただけた方、市民に向けて住民投票の活動の報告会を文化会館で行った。

6月9日 住民投票の結果を受けての庁舎見直しの実務協議がスタート
庁舎に入る職員数、今までに費やした費用等の資料を請求。職員数の過剰と思われる点や、質問する度に職員数が増えていくことに大いに疑問を持ちながらも、とりあえず協議の席ににつく。
冒頭に行政側から「3階建て30億の案については、参考、検討材料とする」との発言があった。実務協議の内容は「3階建て30億の実現性」について多くの時間が割かれた。

求める会側の案は3階建て30億だけでなく庁舎への車の入り方も提案したため、そこで後々となるまで問題となる大型車の誤進入のケースが行政側から出された。

実務協議は、行政と求める会が住民投票の結果を踏まえて協同でより良い案を検討すべき場所と考えたが、何れの回も行政側から出てきたのは求める会側の案に対する問題点ばかりで、その解決法はなにも提出されなかった
(ずっと後になって侵入口の解決法は行政側からいきなり提案されたが、実務協議の時点ではされず)

侵入口については行政側の協力を得られなかったので、求める会側は工夫して解決策を提案。行政側はそれを現実的な解決法と認識。これでひとつの問題は解決(?)
次に出てきたのが机・ロッカーの問題
行政側は机・ロッカーのスペースが足りないと指摘。そこで求める会側は図面を引き直して入るはずと答えた。すると、今度は前もって言われなかった印刷室、サーバー室、電話交換室のスペースが足りないと実務協議の最終日の最後の時点で指摘。前もって指摘されたなら入る案を提出するように工夫したと求める会側は不満を覚える。

しかし、こんな状態で実務協議は終了。

 

中日新聞に「市民案は不可能」と掲載される
これは不可能ということではなく、市側が不可能と判断したということ
実務協議を終えた求める会側は「不可能ではなく可能」と判断をしている

求める会側は実務協議で話されたことの市民に対する説明会を市内数カ所で行い、現実的に「不可能ではない」ことの説明にあたる
そして現実に可能なことを証明するための具体的な案の作成に取り組む

中日新聞に、地下トンネルを用いた配置案が有力との市長の談話が掲載される

9月議会が開かれる
継続審議となっていた住民投票に関する総括は否決
地下トンネル案について議会でもその危険性に対する不安が話される

大幅な無駄な面積を要することになる体育館側の侵入について、公安との交渉の方法について担当部署に問い合わせを行う 

市長から4階建て6800平米、本体事業費30億円以下との案が提出される
求める会はこの案を検討、その結果30億円以下とするのは本体工事で問題となっている総工事費は45億ほどが予想されるために結果的に大幅な総事業費の削減を願った住民投票の意志を反映していないと判断し、市長に抗議と要請文を提出。 

こうした活動を、自分の視点から多少の偏りも認めながらまとめているが、求める会の活動は将来の市民のことを考えた上でのことであり、住民投票を求めて、結果を得たものとしての責任を果たそうとしているものと解釈している。
それは行政(市長)の提示する案とは異なるが、決して感情的にゴネているといった低次元のものではない。

市民自治が叫ばれるが、実際のところ市民がここまで具体的なことをしなければならないのか?と思うと大いに疑問が残る。
大半の市民は余りにも多岐にわたっている法律を知らないし、その理解の仕方、活用の仕方も知らないので、たとえ行政の方から説明を受けるとしたら疑うことなく信じてしまうしかない。(しかし、それではいけないことが数回あった)
それに一般市民が得られる情報量はいくらインターネットが発達したとは言え議員さんの得る情報量とは大幅に違う。

つまりは市民の市政参加には限界がある。しかし、だからと言って放っておけない状況が残念ながら存在する。こうした時、どうすれば良いのかを考えるとすこしばかり滅入ってしまいそうだが、まずは「知ること」が大事かなと思ったりする。

「知ること」それから各自がどうすれば良いかを考える。その数が少しでも多くなれば、人にはいろんな知恵やら特技があって、なにかよい案が出てくるかもしれない。 

まずは現状を知ること。少し面倒でも事の経過を知って自分なりの考え方を持つこと、そして庶民全体のレベルを上げる。なにか遠い道のりのようでもこれが一番のような気がする。(甘いかな?)

 

 

 

 

 

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メルヘン「イルカのエリア」

2015年11月07日 09時02分14秒 | 創作したもの

昔、手がけて完成できなくて、そのままになっているメルヘン
どうやらまとまったものとして完成できそうにない
しかし、少しもったいないので、未完のままこっそりとアップしよう

相変わらず時代背景も場所もいはっきりしないが、読んだ人はどんなイメージを
自分のなかに思い浮かべるか、、(自分のイメージと同じか?)

イルカのエリア(メルヘン)

イルカのエリアはいつもと同じように思いっきりジャンプしてみた。

そして、いつもの様にななめになった視界にアレを見た。

ジャンプするとアレは少しだけ余分に見える。でも、それは一瞬だけ、ザブーンと大きな音をたてて再び水面に顔を出した時、アレはしっかりと大地に根をはやしているように見えた。

昨日より少し進んでいるようだ。エリアは丘の上に出来上がりつつある大きなアレを今度は大きく背伸びして眺めた。

空はここ数日ずっと晴れていた。今日も太陽は真上から照りつけ、丘の手前に茂ったオリーブの木は、時々、風に揺れカサカサと乾いた音をたてた。

それにしても、、、、エリアはいつもの様に考え込んでしまった。

エリアには人間たちが今取り組んでいるアレがなんであるかが解らなかった。これまでにも人間たちのする事はよくわからなかったが、今まではなんとか想像ができたり、どこか納得できるような気持ちになれたのだった。ところが今度のアレは全然違う。それが何であるか、と云うより、何故アレを皆で作っているのかが全く解らなかった。エリアの知っている人間はあんな事をするようにはとても思えなかった。今彼等のしている作業がとつもなく大変であることがエリアの目からも想像がついた。半端な事ではない事は、エリアが時々眼にした葬式のシーンの多さが物語っている。きっと彼等はアレを造っている間に何か事故にあってその命を失ったに違いない。それに遠めから見てもその作業は体力的にもかなりの負担を強いているのが解った。にもかかわらず、歳のいった連中としか見えない人々もいた。彼等は、本当は足手まといの様だ。しかし、何故かそれを解った上でそのままにしている。

エリアは、海中に潜って熱くなってしまった体を冷そうとした。が、先ほどのアレが気になって仕方なかった。

何故人間たちはアレを造っているのだろう。しかも、あんなに大勢で。

エリアの知っている人間たちときたら喧嘩ばかりしているか、自分の事しか考えない連中で、人間は自分達イルカとは違って平和に暮らす事ができない生き物だと思っていた。時には、船に乗った若い女や子供が我々を見つけては優しそうに接してくるが、それも、自分の思うようにならないと急に我々を脅かしたりする。そんな人間たちが何故かいつもの人間ではないように思える。みんなが協力して作業している。笑い声さえ聞こえてきそうな気がした。

 

 

エリアは最近いつも同じ1日を過ごす。いつもと同じ場所でしっかりお腹をふくらませた後は、仲間と分かれてアレが見えるところに近寄ってじっと見ている。なにもしないで見ているだけ。それは前の日と少しも変わりないように見える。しかしエリアは少しも退屈はしなかった。でもこの調子では自分の生きている間には出来上がった姿は見ることができないかもしれない、それが少し残念な気がした。

 

その時だった、どこからか、もの凄い音が聞こえて急に体のバランスが取れなくなってしまった。体が海中に引き込まれ右に左に揺れ始めた。そのうちに海底の砂が巻き上げられて海中は薄暗くなり、全然視界が利かなくなった。エリアはとにかく海上に出ようと試みてみた。しかし、どういう訳か全然体が思うように動かない。それどころか、自分の体というのにまるで固まった棒のようにしか感じられない。どんどんと海中に引き込まれていく。波は信じられないくらいの高さまで上がり、ますますその高さは高くなるように思えた。その時になってエリアは初めて恐怖を感じた。こんな事は初めてだ。今は上も下も解らない。体の自由が効かない。それに薄暗くて目の前が何も見えない。必死になって生き延びるためのことだけを考える。思いつくいろんな試みを試してみる。仲間が今どんな状態か確かめる余裕はない。いつまで続くのだろう、今はまだ体に力が残っているが、長く続いて疲れが出てきてしまったら。エリアは頭に浮かぶ不安な思いを無理やり打ち消すように今のことだけを考えた。
 

どうにかまだ呼吸は余裕があるようだ。パニックになった時は少し焦ってしまったが冷静になってみると先ほどからたいして時間は経過していない。エリアはそのまま体を勢いに任せてみた。すると、始めはでたらめに思えた体を引きずり込むような動きも、短い間隔のサイクルで変化しており、タイミングを見計らって海上にでて呼吸する事ができる様になった。すると、同じようにほかのイルカたちも大きな声を出しながら海上に顔を出しにきていた。彼等は、興奮ぎみに話していた。「長年生きてきたがこんなのは初めてだ。」「子どもたちは大丈夫かしら」「これからどうなるんだろう」そんな時落ち着いた声が聞こえた。「みんな慌ててはならんぞ。とにかく慌てない事じゃ」いつもと違って長老の話にじっくりと耳を傾けている。少し落ち着けたような気がしたが、それでも先ほどの衝撃を思い出すとつい恐怖心を覚えるのだった。

一体どのくらいが経ったのだろう。一週間、それとも一ヶ月。エリアは自分の意志とは関係なく流されるようにいろんなところを彷徨った。原型どころか痕跡すら見せない破壊された村や平原だけがあちこちで見えた。太陽は以前と同じように真上から照りつけているが、人っ子一人見えない。

エリアは思い出したようにアレが見える場所に向かった。ようやく波はいつもの高さに落ち着き、海水の色もまた同じ深い碧に戻っている。太陽は少し西に傾いている。エリアは丘の上を見上げた。だがそこには在るべきものは見えなかった。大きくジャンプしてみたが視界には何も入らない。この間までは大きな存在感のある建造物があったのに、下から見上げるこの角度では一体なにがどうなっているのか全然解らない。何度大きくジャンプしても目に入る風景変わらない。丘の上には何もない。エリアは認めたくはないがあの建物たちは倒壊してしまったのだろうと考えた。

あんなに必死に建ててきたのに、こんな事になるなんて。エリアは、少しだけ人間たちが可愛そうに思えてきた。どんなに希望を持って事を行っても、先の事なんて誰も解らない。生きているうちにする事なんて膨大な時間の中からすれば何の意味も持ち得ない。エリアは沈みがちになる気分の中で、そんな風に考えた。エリアはあの壮大な建物に、どんな意味と目的が在ってみんなで造ろうとしているかは解らないが、無意識の内に期待していたにかも知れない。なにかが、自分の中で変わるかも知れない。アレが、自分に勇気や希望を与えてくれるかも知れない。しかし、やはりもう駄目だ、何もかも破壊されてしまった。エリアは水平線に赤い太陽が沈むのをチラッと見て海中に潜りどんどんと岸から離れていった。

 

いくつもの季節がやって来て幾つもの季節が過ぎていった。いつの間にか出会うイルカが自分より年下になっていた。自分のことを振り返っても許される年令になった。エリアは自分の見てきたもの、感じたこと、そして生きていく上で困難に直面した時にどのように立ち向かったかを若いイルカたちに話した。だが言葉は若いイルカ達の耳を通り過ぎるだけの様に思われた。しかしエリアは気にかけず繰り返し繰り返し話し続けた。それは自分への言葉でもあった。

エリアはアレの事はすっかり忘れてしまっていた。悲しすぎる記憶は無理やり思い出さないようにしていた。そのうち、そんなことがあったということすら忘れてしまっていた。だから、断崖の近くに近寄る事もなく、毎日沖の仲間がいっぱい居る所でも過ごしていた。

そんなある日、エリアは不意に仲間のイルカが話す気になる噂を耳にした。どうも人間たちは訳の解らないものを造っているらしい。それもなんだか必死で、その目的は解らないが人間たちにとっては極めて大事なものらしい。エリアは急に懐かしい想い、憧れ、確かに若いあの一時期持っていた感情を呼び起こさされた気がした。そして大急ぎで岸に向かって泳ぎ始めた。アレを、造っている、人間たちはまた、アレを造っている。エリアは、自分の心が高揚してくるのを感じた。何故かは解らないが、エリアにとってもアレは大事なものの様に思えた。アレができれば、自分も変わるかもしれないと思ったアレは、アレは。

エリアは、昔よくきた場所まで泳ぎつくと思いっきりジャンプをしてみた。すると、水面からでは見えなかったアレのようなものが丘の上に建てられつつあった。今見たばかりの建造物は、以前よりももっと大きそうに見えた。前のものよりもっと丈夫に、まだ未完成だが観るものに畏敬の念を呼び起こしてしまいそうだった。今は丘の上に多くの人間たちが居る、女の連中も見える、子供すら見えたようだ。エリアは何度もジャンプを繰り返し人間たちの姿を眺めていた。

それから、エリアは毎日その場所に来て、日がくれるまで飽きもせずに、その進み具合を眺めていた。ほとんど昨日と同じ様子でもエリアは全然気にならなかった。早く出来てほしい、と思う反面ずっとこのまま造り続けていてほしいとも思うのだった。(おわり)

                                           
自分勝手になっているところが多いので、全体的な手直しは必要だが
ブルックナーの初稿みたいなもので、荒々しい直截な力も捨てがたいし、、
それに、何よりも力量がないから仕方ない
生きてるうちに機会があったらより洗練されたものに、、、できるかな

ところで、このメルヘンのきっかけは西脇順三郎のambarvalia
ギリシア的抒情詩から「皿」と題された詩

黄色い董が咲く頃の昔、
海豚は天にも海にも頭をもたげ、
尖つた船に花が飾られ
ディオニソスは夢みつゝ航海する
模様のある皿の中で顔を洗つて
宝石商人と一緒に地中海を渡つた
その少年の名は忘れられた。
麓(うららか)な忘却の朝。

(いいなあ~) 

何の関係もなさそうだが、インスパイアされたのは間違いない
ところで、拙い他のメルヘンのきっかけは
「春の夢」はトーマス・マンのトニオ・クレーゲル
「目が見えたモグラ」はH・Gウェルズの「盲人の国」
そして「セミと風鈴」は かもめのジョナサン


 

 

 

 

 

 

 

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