パンセ(みたいなものを目指して)

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大会議室の必要性と、総工費削減は同じ扱いをすべきではない

2015年11月30日 14時27分59秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

先日新城市全戸配布された広報「ほのか」に
庁舎見直し案レイアウトが載っており
そこに東庁舎の活用方法がでていた
そこには以前の計画にはなかった大会議室が
設けられている

この会議室を入れた市側の根拠は
市民意見の(抜粋・要約)の中に挙げられた
・現計画は、会議室が少ない
という一番上に書かれた文章だと考えられる
(一番上に記されているところがポイントで
 さぞかし重要なポイントの様に見えたりする)

ところがその市民意見の中には(下から3番目、2番目には)
・設計者に3階建て30億円で建ててといえばできるのではないか
・身の丈にあった建物であってほしい 
とある

問題は、市民意見を取り入れたり参考にするのは良いとしても
・現計画は、会議室が少ない
 という意見と
・設計者に3階建て30億円で建ててといえばできるのではないか
・身の丈にあった建物であってほしい 
という意見を、同列の評価をしていないかということ 

結果的に会議室の問題は検討されているが、
下の2つは検討されていない 

住民投票になってしまったことを考えれば
会議室が少ないことと、
大幅に建設費を削減する可能性のあることとは
同列に扱われるべきではない 
ごく普通に考えれば、何よりも優先順位の高いのは
総工事費の削減であり、会議室のあるなしは
削減を考えた上で、実現すべき問題だ

何度も繰り返すが、新城市の庁舎建設に関して住民投票になってしまった
本質的な点は、総工事費の削減による財政負担の軽減にある
決して道路の変更を伴う、伴わないの問題ではない

それを、条例上の形式的な文言の解釈で、住民投票の精神を守って
計画を進めているという姿勢
これこそがおかしいのではないか
住民投票になってしまった意味を真摯に捉えずに
自分たちがわざと、分かり難くつくった選択肢の解釈で
自分たちは間違ったことをしていない
と言い切ること
それは市民の声を聞くことを前提に選ばれた人のすることだろうか

話は飛んで、新城市の例の住民投票の条例案
・市道東新町桜淵線の路線の変更を伴わない現計画の見直し
・市道東新町桜淵線の路線の変更を伴う現計画の見直し
をある人が、知り合いの弁護士さんに見せたところ、開口一番
「はめられましたね!」

また自分の他の地区の知り合いに見せた時は
「ミスリードを誘導する、悪意にみちた文章」との評価

そして自分がこの問題に深く係るようになってしまったのも
この意味不明な文章のせい

何故、こんな文章になってしまったのか
何故、議会報告会でも訂正するようにあれだけ声が出たのに
選択肢の文言は変えられなかったのか

いつまでも自分の怒りが収まらないのは
こういった進め方の不自然さが
いろいろ関り合いを持つようになって
この条例案だけでなく随所に見られると感じたこと 

本当はこんなことから早く開放されて
どうでもいいような、毒にも薬にもならないようなことを
グダグダと書き綴る生活ができればいいのにと思っているのに 

 

 

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