パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

録画しておいた第九を見た(聴いた)

2020年01月09日 19時14分48秒 | 音楽
録画しておいた年末のNHK交響楽団の第九を見た(聴いた)
シモーネ・ヤングの指揮でSNS上は高評価が多かったが
知り合いの方はケチョンケチョンの評価だった

そうした評価が耳に入るとなかなか冷静に聴けない
どうしてもどちらが自分の評価と似ているか考えてしまう

さてその結果は、、、、
この演奏をナマで聴いた人は幸せだったろうな!
単純にそう思った
ということは、気に入った演奏だったと言える

その次に感じたことはNHK交響楽団はうまいな!
ということ
音色もテレビを通して聴くだけだが、柔らかでトゲトゲしたところはない
特に個性的な感じはしないが、上手くついていく感じ

その次に感じたことは、年末にCDで聴いたディヴィッド・ジンマンに少し似ている気がした
もっとも似てると言っても全体の雰囲気で、それは現代の指揮者のパターンなのかもしれない
それぞれの楽器の音がよく聴こえて、スピーディで、活気があって
音響芸術としての交響曲を体験している感じだった

第九は最終楽章が注目されるが現時点の自分はむしろ第三楽章が好きだ
晩年の考えるような沈潜した音楽が聴ける
この音楽はどうしてもフルトヴェングラーのそれと比較してしまう
フルトヴェングラーの指揮する音楽はゆっくりしている
でも遅いのではなくしみじみと思いを告白しているかのよう
不思議なのは音を聴いているのだが、それは外で響いている楽器の音というよりは
自分の体の中、頭の中でなっているような感じがすることで
音楽が始まってしまたら自然に流れていくようで指揮という行為を感じない
そして2回奏されるファンファーレの効果、音色、感じることは
とても同じ楽譜の曲を聴いているとは思えない感じがする
(実はこの感覚が何度も聴くと薄れてしまうそうでフルトヴェングラーの演奏は何度も聴けずにいる
そしてその記憶の中の演奏で十分だとも思っている)

フルトヴェングラーの指揮は別格に凄いが、シモーネ・ヤングのそれもそういう表現があるのか
それも良いかも、、と感じさせるもので、今度近くにシモーネ・ヤングがきたら
聴きに行こうと思わせるものだった

それにしてもつくづく思ったのは、大好きなブルックナーの8番は
ベートーヴェンの第九の影響がしっかり残っているなということ
各楽章の性格付け、第三楽章の静的なピーク
最終楽章の力技によるまとめ方
でも時代と個性の要求するものが違うので、表現されるものは随分違う

今年はベートーヴェン生誕250年で彼に関するいろんな企画があるらしい
彼の作品は、エロイカ、ピアノ・ソナタ32番、弦楽四重奏曲14番がとっても大事な曲だが
ラズモフスキーの一番のアダージョほか考えさせるアダージョも捨てがたい
せっかくの記念イヤーだから滅多に生で聴けない音楽を聴きに行こう(あったならば)


コメント
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